【14】

   



 そんなこんなで、二人は街に出ることになった。心ならずも腕を組んで、娼婦と客を装い歓楽街をあてなく歩く。


「なんでお前と腕を組んで街を歩かなきゃならないんだ」


 ぶつぶつヴィルカインは文句を言うが……「仕方ないじゃない」と嫌そうな顔を帽子で隠した弟と裏腹、彼の腕にしっかり両手を絡ませ歩く兄、ユイアベールはご機嫌で。


「その姿でまた一人、この街を歩いてみる? それから、僕も一人で……」

「一人で歩くのは止めろ! 俺も一人歩きはこりごりだ」


 苦虫をかみつぶした表情でヴィルカインが言えば、ユイアベールはくすりと笑い、さらに彼の腕にしっかりとしがみつくのだった。

 初め「二人で歩けるか!」とヴィルカインはユイアベールの手を振り払って、街をずんずん歩いたのだ。娼婦達の警備ならば、ばらばらのほうが効率がいいだろう……と思ったのだが。


 とたん、ヴィルカインの前に酒場やら、怪しげな舞台の呼び込み、さらには、別の娼館に属する娼婦達だのが、立ちふさがり声をかけてきて、気ままに歩くことが出来なくなった。

 あげく、後ろでは「綺麗な姫さん今晩いくら?」とユイアベールを買おうとする男の声が……。さらには「俺が先に声を掛けようとしていたんだぞ!」「いや! 俺が先だ!」と客同士の争いが始まり。


「……俺が一番の先客だ。みんな、そいつから離れろ!」


 慌てて戻ったヴィルカインがユイアベールを囲む男どもにガンを飛ばすハメになった。客達は、この貴族の青年のひとにらみに、震えて蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

 かくして、ヴィルカインは不承不承、ユイアベールはなぜか楽しそうに、兄弟達は腕組んで歩いていた。この目立つ二人連れに、声をかけるものは、まず、いない。


「今夜も来るかな?」

「一昨日も昨日も来たんだ。当然、現れるだろうさ」

「僕達を怖がって出ないかもよ」

「それはないだろうな」

「断言するね」

「あの娼婦達と一緒とは言いたくないが、奴らも毎日〝狩り〟に出なきゃならない理由がある」


 女達が毎日、街角に立つのは暮らしの為もあるが、街の女としての意地だ。暗く沈むがちな、そのドーンにあだ花とはいえ、色を添えようとする。

 ならば、化け物が毎夜出る理由は……。


「化け物とて、飯を食わなければ飢える。狩人が居るからといって、巣穴から外にでなければ、いつか飢えて死ぬ」

「なるほど、心理だね」


 うんうんとユイアベールはうなずき。


「まして、奴らの飢えは酷いからね。一日食いっぱぐれれば、それこそ、千年も飢え乾いたように感じるだろうに」


 人の味を覚えて〝悪魔〟となった魔物の飢えはすさまじい。常に人の血と肉と魂を渇望するようになるからこそ、彼らは悪魔と呼ばれるのだ。

 それが禁忌を犯した魔物に対する罰なのだと言う者もある。たしかに、飢えた悪魔の苦しみは、地獄の業火に焼かれるそれと同じだと言うが。


「今すぐにだって、この街にいる女に食らいつきたいだろうさ」

「道ばたでお食事なんてしつけがなってないね! ちゃんと、席について食べなきゃ」


 軽口をたたき合いながら、兄弟達はいつのまにか大通りから外れて、裏通りのさらに裏通り。大きな建物があったのだろう、ぽっかりと空間が開けた場所へと歩いて行った。二人とも意図的にである。


「まあ、食事の邪魔者をするハエを、その前にたたきつぶそうっていうのは、お行儀が良いかな?」


 くるりと振り返りユイアベールが言う。裏路地の暗闇の奥で、無数の赤い光を宿した、凶悪な目が輝いていた。


「俺達はハエか?」


 ユイアベールの言葉に、続いて振り返ったヴィルカインが言う。


「そんな図体が大きいハエがいるもんか!」

「なら、金色のハエってのも珍しいな」

「僕はハエなんかじゃない!」


 叫びざま、ユイアベールは金色の髪を飛ばして、自分に飛びかかろうとしていた、黒犬の首をはねた。長い髪は結い上げられていたが、こんなときのために……と、耳の前の左右一房ずつだけは、垂らしておいてもらったのだ。くるくると毛先は当世流行風に縦のロールとなっていたが、それがしゅるしゅると伸びで犬の首に巻き付いて跳ねた。このあいだ、瞬き一つほどの時間。


「おわ?」


 しかし、黒犬は血をまき散らしながらも、ユイアベールに飛びかかる。とっさに喉を腕でかばった、そこに黒犬の牙が食い込む。


「おかしいな……」


 腕にぎりぎり牙が食い込む中、ユイアベールは暢気な声を出す。たしかに首をはね飛ばしたはずなのにと、傍らを見れば黒犬の首は、たしかに空き地の地面に転がっている。

 ならば、自分に噛みつくこの首は……とよく見れば……。


「ああ、なるほど首二つのケルベロス!」


 そうユイアベールに噛みつく犬は首が二つの怪物だったのだ。道理で、首を一つ切り離しても、もう一つの首が噛みつくはずだ……と彼が納得すると。


「なにをしている!」


 ヴィルカインが切迫した声で叫ぶ。振り下ろされた鎌は見事にユイアベールを襲っていた黒犬の頭……どころか、胴体を縦に真っ二つにした。


「あ~頭が二つあるとは思わなかった」

「油断しすぎだ!」


 返す鎌で、ヴィルカインは左右から襲ってきた二匹を真っ二つにする。二つの頭は無事でも、胴体を真っ二つにされては、たまらないのだろう。黒犬二匹はたちまちのうちに消える。


「だいたい、こいつらの鈍い動きなど避けられるだろう! あえて噛まれる必要はあるまい!」

「噛まれたって平気だよ。すぐ、治るし」


 「ほら!」とユイアベールは噛まれた手を見せる。ドレスの袖のレースからのぞく腕は、すでにあとかたの傷どころか、どういう理屈が流れた血のあともついていない。


「だから、こんなの平気だって言ってるだろう?」

「お前は平気でも、俺は平気じゃない。噛まれればお前だって痛い、流れる血を俺も見る」

「…………」


 ユイアベールがぽかんとしてヴィルカインを見る。ヴィルカインはと言えば、そんなユイアベールをけして振り返らずに。


「おい! 次が来るぞ!」

「うん、ヴィル! 僕、怪我しないようにするね!」


 にっこり笑うユイアベールに「よそ見をするな!」と怒鳴って、ヴィルカインは鎌を振るう。ユイアベールも飛びかかってくる、黒犬に「今度こそ、その手は食わないよ!」髪を二房に分けて飛ばす。犬の二つの首にからみついた髪は、瞬時にその首をはね飛ばす。


「犬の数だけ増やしたってねぇ」

「それを言うなら、あいつ等の数も増えてはいる」


 ユイアベールのため息交じりの言葉に、ヴィルカインは黒犬の山のむこうがわを見る。

 そこには二つの影が立っていた。いずれも見覚えがある、赤く凶悪に輝く瞳、黒山羊の頭の悪魔達。


「二匹いるってことは、やはり複数いたってことだね。僕がうっかり首をはねちゃったのを含めて、三匹か」

「いや、あれだけがすべての数って考えるのは短慮だぞ」

「ええっ! この黒犬みたいにうじゃうじゃいるの!? それも、なんだかイヤだ!」

「それほどの数はいないだろう!」


 二つの首となった黒い犬の数は、二人を囲んで空き地を埋め尽くすほど。その数は百匹とは言わないが、数十匹はくだらないだろう。


「よくもまあ、これだけの数の使い魔をそろえたものだね。魔力の消耗だって激しいだろうに」

「それだけ俺達を倒したいってことだろう。鉄砲を持った狩人がいては、狼たちは得物を襲えないからな」

「だからって、犬の百匹や千匹。そろえたところで僕達は倒せないよ」

「言えているな。一気に城を墜とすぞ」

「わかった!」


 ヴィルカインが大きく鎌を振れば、ごおっ! と風が起こった。その刃に触れた犬達の身体のみならず、周りを取り囲んでいた半分以上の犬達も、見えない風の刃に切り裂かれる。


「追加!」


 ユイアベールが叫び、髪をまとめていたかんざしをほどけば、金色の長い髪が夜の闇に踊り、ふわりと周囲に広がる。美しい金色の糸はしかし、恐ろしい死の使者だ。残りの犬たちの首にからみついたそれは、彼らを一気に引き裂いた。ころりころりと地面に首が落ちる。その美しい切り口は、最初、己が切られたことを忘れたように静かだが、じわりとわき出た血が一気に噴水のように吹き出し……しかし、それもさらりと黒い霧となってたちまちのうちに消滅し、その赤黒い血の一滴も空き地に残さなかった。


「さあ〝王〟を守る兵は居なくなった。城はがら空き! 一気に王手を決めさせてもらうよ!」


 ユイアベールがふわりと移動して、山羊の頭を持つ悪魔の前に立つ。二匹同時に、その首に金の髪を絡ませたが……。


「ありゃ!?」


 〝死なない程度〟に締め上げようとしたとたん、すっぱりとその金の髪が切られた。


「おや、僕の髪を切る?」


 しなやかな金の髪は、その実、鋼のように頑丈だ。本人がハサミを入れることが出来るのは不思議だが、他人ではからみついた髪を絶対にほどくことなど出来ない。


「そのナイフ、特別製?」


 ユイアベールが悪魔達二匹が持つナイフを見る。それは月の光を受けてぎらりと銀色に輝いていた。それが同時にユイアベールの白い顔に向かって振り下ろされる。


「危ない!」


 ナイフがユイアベールの顔に届く寸前で、死神の鎌が二つのナイフを受け止める。


「死神の鎌に受け止められて、刃こぼれ一つしないとは……確かに特注品だな」


 ぎりぎり鎌と力比べする二つの刃を見つめて、ヴィルカインはうなるようにつぶやく。そして、後ろにいるユイアベールをギロリとにらみつけ。


「なんで、また刃物を避けようとしない! この馬鹿ユイ!」

「こら! 兄さんをまた馬鹿と言ったな! このくそヴィル!」

「避けられるものを避けない馬鹿を、馬鹿と言ってどこが悪い! くそっ! 俺のどこが、くそだ!」

「くそって言う子だから、くそなんでしょ! それより、僕は避けようとしました! だけど、その前に心配性で、実はお兄ちゃん大好きっ子のツンデレな誰かさんが、割り込んできたんでしょ!」

「誰がくそ兄貴など好きなものか! なんだ、そのツンデレっていうのは!」

「だから、それがツンデレ!」


 と、二人がふざけた会話を繰り広げている間に、復活したのか、再び生産されたのか、黒犬の数匹が後ろから襲い掛かる。


「後ろ!」


 それにユイアベールが髪を飛ばして、黒犬達をまとめて片付ける。が、犬たちが一瞬で葬り去られることなど、敵もわかっていたのだろう。続けて別の黒犬の集団が、今度はヴィルカインの側から襲い掛かる。


「ちっ!」


 悪魔二匹のナイフを受けていたヴィルカインは、これを力任せに押し飛ばし、返す鎌で黒犬たちを切り裂いた。

 これが狙いだったのだろう。悪魔達が身を翻して駆け出す。


「待て!」

「といって、待つ犯人はいないってね!」

「追いかけるぞ!」

「当然!」





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