【11】
「ここに教会を作ったのは父よ」
驚く兄弟にリズは言った。
「父だと? 本当の親子なのか?」
「ええ」
随分失礼な質問だが、ヴィルカインの問いにリズはうなずいた。神父は妻帯を禁じられている。だとしたら、その神父は、神の子の信徒は一生不犯という、最大の禁忌を犯したことになる。
「大人の男と女がいて惹かれあって結ばれたのよ。自然なことじゃない」
リズは悪びれもせずにそう言う。
「ただ、ウルカヌスの頭の固いお坊さん達には理解出来なかったみたいね。元々、父が貧しい者達に手をさしのべるだけでなく、教会が罪人とさげすむ人々にも手をさしのべたから……破門されたのよ」
娼婦に乞食、煙突掃除人、そのような貧しい人々をウルカヌスはその職業故に、罪人、異端と差別してきた。実際、神の家たる教会の中へ、そのような者達の立ち入りは禁止されている。どころか、洗礼も終油さえも授けられることはない。
これらを受けることが出来なければ、悪魔に魂をとられたも同じであり、死後、魂は地獄どころか、行くところさえなく、地上を永遠に彷徨うと言われている。もちろん、最後の審判など受けられるわけもない。
「破門されたのは、かれこれ二十年以上も前かしら。この国の王様が勝手に国教会作ったのは、そのあとの話よ」
破門されてもなお、リズの父親は神を信じ、人々に神の愛を解き、神父としての暮らしを守ったという。
「だけど、そのうち、この国では旧教は禁止となった」
旧教というのは、ブリテンでのウルカヌスの宗教の言い方だ。この宗教には名前はない。なぜなら、唯一絶対の神の教えはただ一つであり、他にあり得ないからだ。神は神であり、その名など口にする必要もなく、信徒また信徒以外の何物でもない。
だが、ブリテンでは国教会が起こり、ウルカヌスの教えは旧教と呼ばれることとなった。旧い教義とはなるほど言い得て妙ではある。
「父は改宗を迫られたけどね、破門されているというのに、最後まで神の教えを守ろうとして、火あぶりになったわ。
他の神父達はさっさとブリテンを逃げ出したっていうのに、迷える子羊達を見放せないって、本当に真面目でいい人だったのよ」
淡々とリズは語る。火あぶりは宗教裁判において、最も重い刑だ。燃やされ灰となれば、身体はこの世に無く、最後の審判のときに復活は果たせない。
「それで、君はどうしたの?」
ユイアベールが訊く。神父の子だ。当然、ブリテン政府からにらまれたはずだが。
「なにも、あたしはここにいたわ。祭壇は打ち壊されたけれど、そんなものは無くたって祈りを捧げることは出来る」
「ここに? お前は役人に捕まらなかったのか?」
「私が神父の娘だって知るのは、この街の者だけよ。表向きは娼婦ヴィクトリアの娘として、届け出てあるしね。父によくしてもらった人は、街のみんな全員だからね。誰も、あたしを役人に売りはしなかった」
そして、彼女は娼婦達をまとめる“
「昔の神殿じゃ、乙女が身体を売ったそうだけどね。そんなことを言うと今の坊さんから見れば、異端ってなるのかしらねぇ。
本当はお金の為よ。生きていくためには身体を売らなきゃならない、悲しい女がここには来るの。それで、男達にひとときの安らぎを提供出来るってなら、神様が許さなくても、私が許すわ。父様は、いつも、そういう人達に許しを与えていた」
そうリズは締めくくった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
兄弟達が館にたどり着いたのは夜更けだ。当然、もうとっく寝ている時刻である。通された部屋には、どーんと大きなベッドが一つ。
「客間しか空いてなくてね」
と案内した女が言った。彼女もおそらくは娼婦だろう。
客を泊めるから客間なのだが、娼館の場合の客間とは……つまり、娼婦と〝客〟が寝るための部屋だ。
「二人寝るには十分、十分」
ユイアベールはいつもの調子で答え、ヴィルカインは無言だった。案内した娼婦は「じゃあ、用があったら、またなにか言って」と言い残して出て行った。
「うーん! 広いベッドだ!」
ぽふんとベッドに飛びこんで、ユイアベールが歓声をあげる。
「それにふかふか! この娼館、気前がいいね!」
ごろごろベッドの上を転がる兄に、ヴィルカインが「子供か」とあきれて言う。
「だって、こんな大きなベッド、久々じゃない。かのマジャールの貴族の城以来だよ」
「ああ、あの馬鹿でかいばかりで、暗くて寒い城か」
中世初期につくられた石造りの城は、部屋は広く、天井は高く、さらに極寒の寒さとあっては、室内で遭難した……という冗談も本当になりそうなほどだった。
「そうそう、あげく、城に出た悪魔というのが、養子の伯爵を追い出そうとした、妻と使用人の間男の陰謀だった! なんてねえ!」
けらけらとユイアベールが笑う。悪魔の仮面を被った間男は、翌朝、ヴィルカインに縄でぐるぐる巻きにされて、伯爵夫妻の前に突き出された。間男は当然、城どころか領地から追放となった。そして、伯爵夫人は泣いて夫に許しを請うていたが、あとのことは城をさっさと後にした兄弟は知らない。
コンコンと控えめなノックの音がして、「どうぞ」とユイアベールが声をかける。
「こんばんは」
薄く扉が開いて、そこから顔をのぞかせたのは、若い娘だ。魔物に襲われそうになったところを、ヴィルカイン達が助けた。名前は確か、メアリーと言った。
「夜遅くにごめんなさいね。警官に追われて疲れているだろうし。でも、どうしても御礼が言いたくて」
「いや、御礼を言うならこっちのほうさ。君たちが僕たちを匿ってくれなかったら、こんなふかふかのベッドにいないで、未だに夜風と追ってくる官憲に怯えて震えていた」
「そう、なら、あたしは役に立ったんだ。よかった」
娼婦らしくない、はにかんだ笑顔を娘は見せる。もしかしたら、この商売にはいって、日がまだ浅いのかも知れない。そう思える、若さでもある。
「でも、二人を助けたのはリズ姐さんだから、あたしはあたしで、別に〝お礼〟をしたいな」
今までの純朴な娘らしさは何処へやら、とたん色っぽくしなを作って、ベッドに横たわるユイアベールに、もたれかかる。その胸元に思わせぶりに手を這わせて。
「あいにくだけど、僕は持ち合わせを持ってないんだ、お財布はそこにいる、がめつい弟」
ユイアベールもまんざらでもない様子で、己の胸にもたれかかる娘の髪を撫でる。
「あら〝お礼〟だって言ってるでしょ? お金なんて、いらないわ」
「本当に? なら、遠慮なくいただいちゃおうかな!」
「おい……」
娘の腰を抱き寄せるユイアベールにヴィルカインは眉間にしわを寄せる。奔放な兄ではあるが、まさか姦淫をしてはないらないという神父の誓いを忘れた訳ではあるまい。
しかし。
「なに、ヴィルカイン。仲間に入りたいの?」
「あたしは三人でもかまわないわよ」
娘は無邪気な笑顔で、ユイアベールは人の悪い笑みを浮かべて、こちらを見る。からからようにひらひらと『おいでおいで』と、ユイアベールは手招きする始末だ。もう片方の手は、娼婦の腰を抱いたまま。
「つきあえるか!」
ヴィルカインは叫び、部屋を出た。しかし、どこも行くあてはなく、結局、ドアの横に立っているしかなかったが……。
まったく、あのふざけた兄には腹が立ってばかりだ。そもそも、神父の誓いを守る気などない。ヴィルカインが〝お目付役〟としてついているから、かろうじて神父の端くれに引っかかっているだけのことだ。
ここで、あのドラ兄貴が童貞捨てようと自分の知ったことか? とヴィルカインは胸の中で毒づく。いや、そもそも、あれは〝童貞〟なのか? ヴィルカインは間違いない〝童貞〟であるが、あの兄のこととなると、ちと不安だ。まさかすでに、神父服をまとう資格を無くしているかもしれない。だから、あの赤い神父服なのか? とさえ、思考は脱線しかけたが……。
しかし、そんなことを考えているうちに、時がたったことに気づく。部屋の中のやけに静かだが、しかし、本当にやっているのか? とヴィルカインは考える。
ここは、兄が〝あやまち〟を犯す前に、飛びこむべきだろうが、しかし、ことがはじまっていたなら、まったく見たくない。あの兄と娼婦のからみなんぞ、目が腐る。そんなものを見た日には、それこそ、どこかの礼拝堂に籠もって、一日中、神に祈りを捧げたい気分だ。いや、それこそいっそ、どこかの山奥の修道院にでも……遠く砂漠の真ん中にあるというベルベルの修道院。あれがいい!
しかし、堕落した兄でも、兄は兄。それに聖職者なのである。過ちは正さなければならないと、ヴィルカインは再び部屋に戻ろうとしたが。
その前に、部屋の扉が開いた。出てきたのはメアリーだ。軽く目を見開く、ヴィルカインにメアリーは照れたような顔をして。
「追い出されちゃった」
「そうか」
やはり、生臭坊主でも、一応神父としての最後の良識はあったか……とヴィルカインは内心でホッとする。
「あのね、あなたがお兄さんの添い寝が無いと、寝られないからって」
「なんだと!」
「『ヴィルはね、僕が抱っこしてやらないと泣いちゃうんだ』ってお兄さんが」
「嘘に決まっているだろう!」
「あのクソ兄貴、なんてこといいやがる!」と毒づくヴィルカインに、メアリーはくすくすと笑う。
「それはともかく、嬉しいことも言ってくれたから出て行くの」
「うれしいこと?」
「うん、今、あたしを抱っこするのは無理だけど、神父を辞めてもいいぐらい、おじいちゃんになったら……って」
そう言って、娘は幸せそうに笑う。それをヴィルカインはじっと見て。
「そんなじいさんになったら、あいつが役に立つかわからないぞ」
「そんなの、あたしだってよぼよぼのおばあちゃんだもん」
「…………」
本当はユイアベールが歳を食うことなどあり得ない。吸血鬼は不老不死、その子であるダンピールも当然不老だ。それは死神も一緒であるが。
そして、永遠に二人は教会の僕なのだ。神父を辞めることなど、生きてる限りあり得ない。ならば、それは永遠にあり得ないことだ。
「あいつの言葉など信用しないほうがいい」
「男はみんな嘘つきだって、姐さん達は言うわ」
「それは正しいな」
「でも、嬉しい嘘ならいいと、あたしは思うわ。
ほとんどの男は、今すぐ君と一緒になりたいっていうのよ。そして、翌朝には、消えて居なくなっちゃう、二度と戻って来ない」
「…………」
「でも、お兄さんのは遠い未来のお話でしよ。それこそ、あたしやあなたたちがよぼよぼになるまでに何十年もかかるような」
「そうだな」
ただし、時はメアリーだけを老婆にして、自分達を置き去りにしていくのだが……それをあえて言うことはないだろうと、ヴィルカインは思う。なぜなら。
「そんな未来のお話なら、もしかしたら叶うかもと思うし、叶わなくても、これから何十年か先は、あたしは希望を持って生きていけるわ!
いつか、あたしがおばあさんになったら、金色の髪を持つ絵本から抜け出てきたような王子様が、迎えに来てくれるんだって!」
「その王子様も〝おじいさん〟だがな」
「そのとおりね!」とメアリーは声をあげて笑う。「でも、いいわ」と彼女は去って行った。
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