【9】



 しかし、そのあとも散々警官に追い回されて、日が暮れた頃。二人がたどり着いた先は……。


「ここ、どこ?」

「見ればわかるだろう?」

「ああ、うん、どう見ても色町だねぇ」


 「おっかしいなぁ、地図によると、このあたりなんだけど」とユイアベールはつぶやく。


「待ち合わせの教会」

「影も形もないな。あるのは派手な看板に酒場に賭博場に娼館か」


 歓楽街というべきか、それとも、貧民窟とも。どちらにしても、神父姿の二人がうろついて良い場所ではないが、ここではその赤と黒の二人の姿も、気にする者はあまりいない。

 なにしろ、道ばたに立つ、街の女……つまりは街娼、娼婦だ。そちらの派手なドレスから出た胸や、わざとらしくたくし上げたスカートから出た脚。そちらのほうに、男達の視線は釘付けだからだ。


 娼婦達を見ていないのは、日が暮れてすぐだというのに、すでに出来上がって、道ばたにうずくまる酔っぱらい達だ。あとは、扉の硝子越し、銀の水タバコのパイプを加えて視線もうつろに寝椅子に寝そべる男女は、これは明らかにハッシシか、アヘンでもやっているうつろな顔つき。こんな大通りで、大っぴらに商売をやっているとは驚きだが、そういう〝街〟は、こんな大都市ならば、どこにでもある場所ではある。


「さすがに警官達も、ここには踏み込めないかもね」

「どうだか」

「しかし、おかしいなぁ。この地図によると、このあたりに教会が……」


 きょろきょろとユイアベールが見回しても、大通りには、派手な看板に派手な女達が並ぶばかりだ。


「百年前の地図なんじゃないか? それか、お前がまた方向間違えているか」

「失礼な! 僕だってもう方角ぐらいわかるよ! ほら! あっちが北!」


 と、これまた巨大な看板、建物から漏れる明かりの照らし出されているのは、女性の上半身。コルセットで締め上げ、盛り上げられ白い二つの膨らみを、ユイアベールが指さす。


「……そっちは南だ、ユイ」


 二人とも神父であるが、旅から旅で、こんな場所にも慣れている。前を通り過ぎると、胸や脚を強調するように挑発する、そんな娼婦達の前を涼しい顔で通り過ぎた。


「兄さん達、お安くするからどう?」


 その服装で神父だとわかるだろうに、声をかけて誘ってくる者もいる。もっとも、法王庁のあるロマーナの裏町でも、部屋つきの娼婦の住む下宿から、黒い制服を着た誰かさんが、飛び出してきた! という、戯れ歌があるぐらいだから、聖職者の堕落など、これまたどこにでもあることなのだろう。ちなみに、戯れ歌の題名は『この子のお父さんはだあれ? 』。


「また今度ね」


 ユイアベールはそう言って、娼婦達に手を振る。ヴィルカインは当然無視だ。

 が、目の前を通り過ぎた娼婦と客らしい男。腕を組んだ二人に、ヴィルカインは振り返る。そして、二人のあとを追うように、元、来た道を戻る。


「なに? あの子が気に入ったの? だけど、あの子には先にお客がついているみたいだけど」 


 横に並んで歩きながらユイアベールが問いかける。それに「馬鹿を言え」とヴィルカインは応え。


「あの男、ぷんぷん匂うだろうが。お前の鼻はとうとうダメになったか?」

「死神ほどじゃないけどね。たしかに、すごく臭い。いやな死臭だ」


 若い娼婦は男に甘えしゃべりかけるのに夢中で、男はといえばそれに応えず、真っ直ぐ前を向いて歩いている。灰色のフロックコートにシルクハットのいかにも紳士な装いではある。その服装だけなら、金持ちの紳士がちょっとした火遊びと気晴らしに娼婦を買いに来た……とも見えなくはないが。


 ともあれ、兄弟達につけられていることを、二人はまったく気づいていないようだった。大通りを少し進んで、彼らは脇の裏通りへと入る。そこで、逢い引き用の安宿に入るか、それとも、娼婦が借りている部屋に転がり込むか……と思ったのだが。

 男女は裏通りに入り、さらに細い路地へと入りこんだ。そこで、女の声が聞こえた。


「ねぇ、こっちは宿のあるほうじゃないわよ、きゃあ!」


 その悲鳴に、兄弟達は駆けて、彼らが曲がった路地へと飛びこんだ。そこで、恐怖におののく顔の娼婦と一緒に見たのだ。

 男の着ていた男のフロックコートがぶわりと膨らむ。服がびりびりと破け、飛び出したのは黒い毛むくじゃらの身体だ。シルクハットもはじけとんで、現れたのは二本のねじくれた角に、黒山羊の顔を持つ赤い瞳の悪魔。


「ありゃりゃ、たしかにあんな紳士の皮を被っていたんじゃ、女の子達も騙されたはずだ」


 ユイアベールが声をあげる。初めから恐ろしい殺人鬼の姿ではなく、安心できるような相手の姿だったからこそ、娼婦達もひとけのない裏通りへと連れ込まれ、惨殺されたのだ。


「ああ、それからもう一つ言えば、あの悪魔は一匹だけって訳じゃなさそうだ。このぶんだと、あれ以外にも何匹かいそうだ」

「確かに、僕は確実に一匹目の首を切って消滅されたからね。あれは二匹目どころか、紳士の皮を被った悪魔が、このドーン中にうじゃうじゃいる可能性がありそうだ」


 一匹目が消滅した今、出現したのは二匹目だ。そして、二匹いるならば、三匹、四匹、さらにたくさんいるかもしれない。


「しかし、すくなくとも二十匹、いや、十匹以下だと思いたい」


 ヴィルカインが言うのに「その数の根拠は?」とユイアベールが尋ねる。


「事件は一晩に一人ずつ、これまでの犠牲は十人足らずだ」

「十人でも、人が死ぬなら十分な数だよ」

「二十匹もあの悪魔がいたなら、一晩に一人ずつどころか、二人も、三人も殺されていてもおかしくない。もっとも、十匹だってたいした数だからな。あの悪魔は一晩に一匹ずつ、街に解き放たれているのかもしれないな。〝飼い主〟なのか〝監理人〟なのかはわからないが」


 飼い主ならば、悪魔を生み出した、さらに上の大悪魔ということになる。監理人ならば、その大悪魔に、悪魔の〝管理〟をまかされた人間ということになる。

 いずれにしてもバラバラスコットの事件は、あの悪魔一匹退治したところで終わらない。実行犯以外の黒幕がいる、大きな事件となる。


「なら、その黒幕の目的は?」

「今は考えている場合ではない」


 ヴィルカインが飛び出し「言えてる!」とユイアベールも追いかける。

 悪魔の光る爪が、怯える娼婦に今しも振り下ろされようとしているところだった。

 それを横から出した黒い棒で、ヴィルカインは受け止める。


「大丈夫? 怪我はない?」


 路地にうずくまる若い娼婦に、ユイアベールは手をさしのべる。彼女は「ええ」とユイアベールの白い手をすがるように握りしめた。そのひんやりと冷たい手に、びくりと驚いたように肩をふるわせたが、しかし、この手は地獄に現れた一本の救いの糸だ。それに引っぱられて彼女は立ち上がる。


「よかった、走れるみたいだね」

「はい」


 娘は立ち上がり、ユイアベールの顔を見て、改めて彼の美貌に魅入られたように、ぽうっと頬を染めた。そして、ぼんやりと彼の紫の瞳に見とれる。


「じゃあ、そのまま表通りへと戻って。安全な場所にね」

「はい……」


 娘はふらふらと、元来た路地を戻って行った。その背中を見送って、ユイアベールは「さて」と弟とにらみ合う、悪魔に近寄ろうとするが。


「おわっ!」


 弟の横に並んだところで、また壁から黒い犬が現れた。しかも、合計四匹。


「ちょっと! 犬も増えすぎじゃない!」

「文句を言うな! 今度こそ、消滅させるなよ!」

「それを言うなら、そっちこそ、今度は鎌で消さない!」

「無理を言うな、死神の鎌は命を狩るのが仕事だ。手加減するように出来てない」

「もうっ、ワガママ!」


 二人がそんな面白おかしい? 言い合いを続けている合間に、悪魔は使い魔に場を任せて、逃げてしまっている。「こらっ! 逃げるな!」とユイアベールは叫び。


「このっ! ヴィルは三匹だけ消しなさい。一匹だけは残していいね!」

「わかった。首をちょん切るなよ!」

「もう、ちょん切らない!」


 ヴィルカインは黒い棒を振り上げて、蒼い炎をまとった巨大な死神の鎌を出現させると、それを飛びかかってくる三匹に向かって放つ。切り裂かれた黒犬たちは、たちまち真っ黒な煙となって霧散して消える。

 そして、残りの一匹は。


「大人しくしなさい!」


 己の髪で作った糸を投げて、犬の首の周りに巻き付け、ユイアベールが使い魔を捕らえる。黒い犬の使い魔は暴れたが、みるみるその巨体は小さくなっていき、手の平ほどに乗る、小さな子犬の姿となった。


「なにをした?」

「なに、死なない程度に生気オドを吸い取ったのよ。大きな犬のままじゃ、言うことも聞かないし、暴れられると押さえるのもたいへんでしょ」


 「やだ、かわいい」とユイアベールはとらえた子犬を、ヴィルカインに渡しながら言う。しかし、小さくなった黒犬は抵抗を諦めずに、がじがじその黒革に包まれた手を噛むが。


「いい加減に大人しくしなさい。じゃないと、切り刻んで炊き込みご飯ピラフにしちゃうよ」


 と、ユイアベールがその紫のきらめく瞳で、子犬を見て言う。それに、子犬はびくりと跳ね、身体をがたがた震わせて、おとしくなった。ヴィルカインは子犬を、自分のコートのポケットにしまう。


「いた! やはりあいつらだ!」


 そこに警官達が現れ、叫ぶ。


「しつこいな!」

「まったくだ」


 二人は再び逃げ出した。




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