【7】



「さて、どうしようか?」


 とのユイアベールの言葉に、ヴィルカインは「おい」と顔をしかめた。


「決めてなかったのか?」


 とにかくブリテンに渡るという兄に、丸投げされて弟は樽の密航計画? を考えたのだ。それで、ブリテンに着いてみたら『どうしようか? 』とは、これいかに。


「じゃあ、ヴィルカインちゃんは『ブリテンに世界をおおう邪悪な陰あり、これを打ち払い、偽りの王を退け、正しき教えの王を打ち立てよ』って曖昧な預言一つで、方針を立てられるって言うの?」


 これがドームの青銅の烏が鳴いて、法王にもたらされた預言だった。預言は歴代法王の持つ祈祷書に、その法王のみが分かる言葉で浮かび上がるという。

 だから、その預言が正しいのかどうかは法王しかわからない。神の言葉とも言える預言を、法王様が偽るわけがないと、世の人々は思うだろうが……。

 とはいえ、あの〝口先だけ〟の法王猊下を知っている兄弟達は、まともには受け取っていない。


 しかし、烏は鳴いたのだ。だから、預言は法王に渡り、そして、法王も〝半分ぐらいは〟嘘は言っていないだろう……というのが、彼らの考えだった。


「後半の部分はやけに具体的だけどな」

「偽りの王ってのは、法王庁の目の上のこぶである、坊さん嫌いの今の王様。逆に正しいってのは、法王庁の言いなりになる良い子の王様ってことでしょ」

「産業革命以降、この国には世界中の富が流れ込んでいるからな」

「欲の皮の突っ張った坊さんは嫌だねぇ。ここの国の王様が嫌うのはわかるわ~」


 予言の後半の王のくだりは、偽だろうと二人は思っていた。この預言によって、あわよくば国教会などというものを建てて、法王庁に反逆した現国王スコットが退位すればよいと。さらには法王庁にとって都合の良い王が即位したならば、万々歳だ。


「まあ、偽の後半部分はどうでもいいよ。肝心なのは前半だ」

「世界を覆う邪悪な陰か。おそらくは悪魔だろう」

「ブリテンだけに悪魔が出たなら、あのいい加減な法王猊下は放っておいたと思うけどね。さすがに世界となるとビビったか」


 そのときの権力者の都合で付け足される偽の預言はともかく、本当の預言ならば、それは外れることはない。

 ならば、ブリテンに悪魔は現れる。いや、もうすでに現れているのかもしれない。そして、ブリテンどころか、世界を闇に落とそうとしている。

 だからこそ、兄弟達は法王庁の支配を遠く離れた、この島国にやってきたのだ。


「しかし、まったくの手がかりがないんじゃ……あった……!」


 話しながら、ユイアベールは大通りから、ふらりと裏通りへと入り、そのあとをヴィルカインも追った。そこで〝見つけた〟のだ。


「まったく、お前の行くところ〝災い〟ありだな」

「それを言うなら、僕たちの行くところ……でしょう?」


 だから法王庁のあるロマーナから、このドーンに着くのに半月あまりも掛かったのだ。あっちの幽霊騒動に、狼男騒動と解決して回って……。


「ドーンに着くなりいきなりこれだ」


 ヴィルカインは細い裏路地の薄汚れた壁によりかかる〝それ〟を見た。〝それ〟は、ほんの少し前まで〝女〟という生き物のはずだった。そう、人間の女だった〝モノ〟。

 喉を楔の形に鋭い刃物のようなもので切り裂かれ、それだけで致命傷だったと分かる。だが、その無残さにさらに拍車を掛けているのは、着ていた服を切り裂かれたその様だ。いかにも娼婦らしい肩と胸を出したドレスは、さりに引かされて白い肌どころか、その中身まで露わになっていた。そう、喉から下腹部まで彼女は引き裂かれ、その血潮は赤黒く石畳にいやな水たまりを作っている。


「うわ~これが今、流行のバラバラスコットって奴?」


 タラとイモを食べた、その新聞をなぜか持っていたユイアベールが、その記事と横たわる娼婦を見比べ、さらには……。


「ねえ? 君が彼女をこんな風に、飾り立てたの?」


 そう、訊いた。引き裂いた女の傍らにうずくまる人影。

 いや、悪魔だ。

 その身体は真っ黒な毛に覆われ毛むくじゃら、さらには頭には巻いた二本の角、赤い瞳のその顔は、山羊そのもの。その両手は赤く染まり、その一つ一つが大きなナイフのような爪が見えていた。たしかにこんな爪を突き立てられては、女の柔らかな肉など、ひとたまりなく切り裂かれてしまうだろう。


「人間に手を出しちゃいけないって、お母さんに教えてもらえなかったのかな?」


 いつものどおりのふざけた口調ではあったが、ユイアベールが怒っていることは、ヴィルカインにはわかった。


「ユイ、そいつを殺すなよ」

「どうして? そこの彼女のことを思えば、同じ目に遭わせたって物足りないのに」


 さらりと恐ろしいことユイアベールは言う。その人形のように綺麗な姿形から発せられる殺気に気圧されたように、黒い山羊の姿をした悪魔は後ずさりをしたが。


「そんな小悪魔が預言された邪悪な訳がない。黒幕は別にいるはずだ」

「ま、確かに、こんな〝小物〟」


 小物という言葉に反応したのか、それとも追い詰められて反撃に転じたのか、悪魔は爪をひらめかせて、ユイアベールに襲い掛かった。


「おっと!」


 ナイフのような爪の一撃をさらりと避けて、ユイアベールは長い髪をひらめかせる。しゅるりと悪魔の毛むくじゃらの腕にからみついた毛は、すぱん! と凶器の爪がついた手を切り落とす。それはこの悪魔が娼婦を引き裂いた、そのナイフよりも鋭い切り口だった。

 その証拠に、悪魔は瞬き三つほどの時間、腕が切断されたことに気づかずにいたほどだ。己の手が肘を過ぎた中程より先から無いのを見て、初めてその痛みに声もなく身もだえる。


「あら、ずいぶんと鈍いねぇ。さすが悪魔」


 悪魔は苦しみながらも、汚れた石畳に落ちた己の手を拾う。そして、傷口にその手を押し当てると、黒い血を滴らせながらも、その手は再び、元の腕にくっついた。


「以外と高性能だね。じゃあ、両腕を切り落としたら、どうなるかな?」


 ぺろりと舌なめずりして笑う、その顔は、なまじ綺麗なだけに、怯えて後ずさりする悪魔より、よほど悪魔のようだった。それに「おい……」と再びヴィルカインが声を掛ける。


「殺すなよ」

「両手両足切ったって、死にゃしないけど。首をちょん切ったらどうなるかなぁ。実験してみたいなぁ」

「するな」


 これはダメだ……と、ヴィルカインは前へと出る。が、その前に横から飛び出してきた大きな陰が立ちはだかった。横から……といっても、路地があったのではない。石の壁の黒いシミ。そこからぬうっと飛び出してきたのだ。

 大きな黒い犬が。


「ありゃ、こんなケチな悪魔に眷属までいるなんて、随分と贅沢すぎない?」


 ユイアベールが振り返り言う。

 壁から出てきたところからして、使い魔だろう。姿形は、巨大な黒い犬であるが、赤い目が爛々と輝いているところから、明らかに魔のモノと分かる。

 それがうなり声をあげて、ヴィルカインに飛びかかる。そして、ユイアベールが黒犬に気を取られた、その隙に。黒い悪魔は壁を蹴って逃げ出した。細い路地、両側から建物の壁が迫っている。壁を蹴って、反対側の壁、またその反対側と駆け上がったのだ。屋根のある上へと。


「こら、待てっ!」


 ユイアベールもその悪魔のあとを追いかける。こちらも同じく壁を蹴ってだ。姿形は人間であるが、その身体能力は魔物である。そもそも、これぐらい身が軽く無ければ、魔物とは名乗れない。


「ありゃりゃ、ずいぶん逃げ足だけは速い」


 上にあがるとすでに屋根伝いに遠くへと逃げている悪魔の姿に、ユイアベールは声をあげる。このまま、あの悪魔と同じに屋根から屋根へと飛んで追いかけてもいいが、しかし、もうすぐ、太陽が昇りきって朝になる。そうなれば、悪魔と追いかけっこをする神父の姿を人々の目にさらすことになり面倒だ。


 悪魔の存在を大っぴらにすることを、法王庁は禁じている。単なるヒステリーの自称悪魔つきが、神父が聖水呑ませて説教をしただけで、ベッドの上でのたうちまわったあと、けろりと回復して、悪魔は去ったという報告。これまた犬に伝わる風土病が、人間に感染して犬のような奇行に走った。そんなものを〝狼付き〟だと、そんないかにも眉唾物の報告は〝怪異〟と認めているにもかかわらずだ。


 本物の悪魔となれば、それが世を騒がせると、ここ千年、出現をひた隠しにしているのが、法王庁と各国の王や貴族、政治家達だ。民衆は目隠しをされたまま、偽物の悪魔や狼つきの噂話に花は咲かせど、自分達の背後に迫る本当の脅威は知らない。それで、いくつもの辺境の村、そして、戦火に消えたという街も、本当は……。


「ま、今では僕もその手下だ」


 ユイアベールは自分の髪の毛を一本、指に絡ませて、それを風ののせるように投げた。

 元々彼の膝裏ほどの長さの髪は、さらに伸びて、遠く走り去ろうとする悪魔の首に巻き付いた。


「よし、捕まえた!」


 ぐい! とユイアベールは己の髪で出来た糸を引っぱり、そして「あ!」と叫ぶ。

 強く引っぱりすぎて、悪魔の首はすっぱり髪で断ち切られ、宙に飛んでしまったのだ。


「ありゃ、首と胴くっつればなんとかなるかなぁ」


 とんでもない光景にのんびり声をあげたユイアベールだが、悪魔の首と身体は、その瞬間にさらさらと砂のように風にさらわれるように崩れて、消えてしまう。「わわわ!」と慌てた声をあげても、今さら襲いというものである。


「ああ、消えちゃった」


 消えちゃったもなにも、自分で消してしまったのだが、ユイアベールは「仕方ないね」とあっさり諦めて、下へと飛び降りる。屋根の高さは四階ほど。普通の人間なら、大怪我、もしくは、即死……の高さであるが、ユイアベールは〝ふわり〟と足から着地した。

 そして、無残な死体となっている娼婦の前で頭を垂れ、祈りを捧げている弟の横に立つと、同じように両手を組んで祈りを捧げた。首に提げた銀の御印に口づけて。


「安らかな旅路を……」


 そうつぶやく。死は終わりではなく神の国への旅立ちだ。正しく神を信じた者には天への道が開かれ、罪人や異教徒は地獄に堕ちるというが、死の無い兄弟達には一番縁遠い場所だ。

 だが、どんな死であっても、それが人である限りは、安らかな旅立ちであって欲しいと、彼らは祈る。自分達にはけして訪れることのない、安らぎを……と。


「それで、あの悪魔はどうした?」


 顔をあげたヴィルカインが尋ねられて、ユイアベールはさりげなく目をそらす。


「いや、首と胴がつながるか、つい実験しちゃってね」

「自分の首でやれ!」


 冷ややかな目で見てヴィルカインがきっぱりと断言するのに「ひどい! ひどいわ!」とわざとらしくユイアベールは泣くような仕草をし。


「こんな残酷な弟に虐げられて、お兄ちゃん泣いちゃう」

「だれが虐げた! このクソ兄貴!」

「だったら、愛しい弟のヴィルカイン君に質問だけど、ここにいた黒くておっきくて、怖そうなワンちゃんはどうしたのかな?」

「……消えた」


 一瞬沈黙したヴィルカインがぽそりと言う。それにユイアベールはぴくりとこめかみをひくつかせて。


「消えたんじゃなくて、消したんでしょう! 君が死神の鎌でばっさりと! 悪魔が消えた今、残された貴重な証拠を!」

「うるせぇ! そもそも、ユイがあの悪魔を捕まえときゃ、あの犬より確かな証拠になったんだ!」

「ふぅん、僕だけのせいにするわけ? だいたい、『殺すな』って念押ししたのは、ヴィルカインだったよね? それが、自分が言ったそばから、ワンちゃんを消滅させてどうするの?」

「だから、俺は殺すなとお前にいったはずだぞ、ユイ!」


 兄弟達か揉めているそこに「貴様等か!」と、ドヤドヤやって来たのは、警察の制服を着た男達。壁に寄りかかる娼婦の遺体と、兄弟達を見比べるなり叫んだ。


「貴様等だなバラバラスコットは!」


 そう叫び、警棒を突きつけられて、二人は顔を見合わせた。




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