【6】
ブリテンは、内海に近いウルカヌスより遥か離れた、外海に囲まれた島国だ。大陸からは狭い海峡を隔てただけ。しかし、この海峡こそが、大陸とブリテンを隔てる大きな壁となった。
優れた文化は海峡から、それも遅れてやってくる。王国が発展し、大陸と代わらぬ石造りの城や建物出来、王都ドーンが、ロマーヌに負けぬ大都市となった今も、この国の人々は〝田舎者〟と馬鹿にされれば、烈火のごとく怒る。
それは、すなわち、今も昔も変わらずこの国の人間が島国の田舎者……に他ならないからだが。
そう、ブリテンは島国だ。どこに歩いて行ったって行き着く先は、海へと至る。海へと出れば、また陸に、人の居る地にたどり着くだろう。
それが死んだじーさんの口癖だったなぁ……と、港の倉庫番の男は、その日の不寝の番を終えて、家に帰るところだった。大きな船、小さな船、漁船、無数の船が並ぶ岸壁をほてほてと歩く。
「ん?」
そんな船と船の間にぷかぷかと浮かぶ物を男は見つけた。酒樽が二つ、どこかの船からこぼれ落ちたものらしい。男は樽の近くの桟橋へと飛び降り、そこに置いてあった先に鉄鈎がついている棒で樽を引き寄せる。
名前も書いてなければ樽は拾った男のものだ。いや、どこの船の物とわかったって、わからない振りをして自分の物にしてしまえばいい。早朝、誰も見ていないのだ。
引き上げた樽の一つ目は、少し軽く、二つ目はずっしりと重かった。どちらにしても中身は入っている感じだ。さて、中はワインかビールか、はたまた別の物か、男はわくわくしながら重い方の蓋を開けようとしたが。
バキッ!
そんな軽い音がして、内側から樽の蓋が破られた。そう内側からだ。にょっきり拳が生えていた。骨張った大きな男の手は、己の手首にはまった蓋ごと押し上げ、中から現れたのは長身の黒い服を着た男。首に掛かった、黒檀の神の印から坊主だとわかる。
いや、坊主とは信じられないような目つきの悪さであり、また苦み走った美丈夫ぶりは、坊主より役者でもやったほうが良さそうであった。
そして、その背も男が見上げるほどの長身であった。いや、首が疲れるほど見上げているのは、倉庫番が、この樽から現れた〝珍客〟にすっかり腰を抜かしていたからだが。
「ここはどこだ?」
男がギロリと倉庫番をにらみつけ尋ねる。「ド、ドーンだ」と男は喉に張り付いたようなしわがれた声で答えた。
「ブリテンはドーンの港か?」
男……ヴィルカインは、ドーン名物の霧に煙る港を見渡しながら尋ねた。「そうだ」と倉庫番はこくこくうなずく。
「海流の計算どおり着いたか」
ヴィルカインはつぶやき、そして、まだ腰を抜かしている倉庫番に、近づく。
「引き上げご苦労」
そして、その腰を抜かしている胸に、ぽとりと一枚の銀貨を落とした。積み荷の引き上げ代金としては十分なものだ。
そして、引き上げられたもう一つの樽に近づく。バキリと蓋を破壊して、ごそごそと中から引き出したのは。
「うぅぅ……死にそう」
「不死のダンピールがなにを言っている」
深紅の神父服に身を包んだ、ユイアベールだった。その両脇に手を入れて、子供のようにヴィルカインは彼を持っていた。白いズボンに包まれた足が、ぶらんぶらんと揺れる。
夜風にふわりと揺れる白金の髪。血の気が失せた白い顔、伏し目がちの紫の瞳、その顔立ちはまるで精巧な人形のようだった。腰を抜かしたままの倉庫番は、思わず見とれた。
しかし、その紅い薔薇のような唇から、こぼれた言葉は……。
「死ぬ、死ぬぅ……気持ち悪い。絶対死ぬ」
「それだけ死ぬ死ぬうめいている人間こそ、死ぬものか」
あきれたようにヴィルカインはいい、ユイアベールの身体をひよいと、肩に担ぎあげた。そのまま、長い足を動かして、すたすた歩み去るのを倉庫番は呆然と見送った。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「はぁ、お腹空いた。樽の中では、なにも食べられなかったからなあ」
早朝、夜明け前ということもあって、まったく人のいないドーンの街をユイアベールが見渡す。
「あれだけ酔った、酔ったと言っていたのに、もう腹が減ったか?」
ぐったりした兄をようやく肩から降ろす事の出来た、ヴィルカインが言う。それに「もう、治った!」とけろりとユイアベールは言う。
「だいたい、なんで樽なの樽? ブリテンに渡る船なら、いくらでもあったでしょ?」
そう、ブリテンがうっすら向こうに見える海峡の港街にて。嫌がるユイアベールを樽に押し込んで、ヴィルカインは放り込んだのだった。そして、自分も後に続いた。
「船なら、入国に足がつくだろう。相手側には、俺達がブリテンに入ったことは知らせたくない」
「で、樽? それも椰子の実みたいに、海流の流れるままになんて、もし、流れに流れて遙か南の暗黒大陸に着いちゃったら、どうするつもりだったの!」
「計算通り着いただろう。問題はない」
「問題ありありだよ! 樽の中は窮屈だし、波に揉まれてぐるぐる回転木馬みたいに回されて、おかげで僕は酷く酔っちゃったし」
「しかし、今は腹が減っているんだろう?」
「うん、お腹空いた」
ぐう……と鳴るお腹にひくりとおいしそうな匂いを鼻が捕らえる。
「お! おいしそうなのあるじゃない!」
ユイアベールは早朝の、人もまばらな大通りに、ぽつねんと立っている屋台へと近寄った。タラとイモの揚げたものを売る屋台だ。これは最近のドーン名物。産業革命が起こり、街にあふれる下層労働者達の主食と言っていい
「おじさんちょうだい」
「あいよ」
「ひとつ」
後ろからついてきたヴィルカインがぼそりと言い、代金分の銅貨を差し出した。ちなみに兄弟の財布の管理はヴィルカインの役目だ。ユイアベールなどに渡したら、すぐにも革の財布だけにしてしまう。
屋台の親父はタラとイモを揚げ、昨日の新聞紙でくるんでつきだした。ユイアベールの白い手が受け取った新聞には、滅多刺しにされた上、手足をバラバラにされた娼婦の残酷な絵が書かれている。そして、ヴィルカインの黒革の手袋につつまれた、開いた指越しに、見出しが躍る。
バラバラスコット! また現る!
「味が無い」
タラのあげものを一口食べたヴィルカインがぼそりと言い、ユイアベールも「このイモ、味がないね」とぽつりと言う。
「ケチャップにマスタードなら、そこにあるよ」
親父はあごで、傍らにある調味料入れを示した。ヴィルカインはマスタードを山ほどかけ、ユイアベールはイモとタラが真っ赤になるほどケチャップを振りかけた。ほとんど、マスタードとケチャップの味しかしないんじゃないか……と、親父は思う。が、古いイモにさほど新鮮でもないタラを、使い古しの油であげた料理だ。どんな味付けをしようと、こだわるものでもない。
「アンタらこの国の者じゃないな」
「なんでわかるの?」
口の端についたケチャップをぺろりとなめながら、ユイアベールは尋ねる。夜明け前の薄暗さのせいだろう。彼の美貌にようやく気づいた屋台の親父は、一瞬、彼に見とれ「……なんだ、男か」とつぶやいたあとで、口を開く。
「イモとタラに味がついてないことぐらい、三つの子供だって知ってる」
「なるほど、じゃあこれからは常連のふりしてケチャップをふりかけることにするよ」
「あんたらかけ過ぎだ。次からはケチャップとマスタードは持参で来てくれ」
「かけ過ぎかな」と首をかしげながら、ユイアベールは真っ赤になったタラの揚げ物を口に運んでもそもそしている。その横でヴィルカインもマスタード漬けのような、同じそれを食べていた。顔色一つ変えないことから、辛くねぇのか……と親父は思ったが。
「用が無いなら、早くこの国を立ち去ったほうがいい」
親父はユイアベールが首から吊されている、銀の御印をじろりと見て言った。
「どうして?」
「アンタら、旧教の坊さんだろう? この国じゃ歓迎されねぇよ。布教のために辻説法なんてしようものなら、たちまち警官が飛んできて、監獄塔にぶち込まれるぞ」
「王様は坊主を毛嫌いしているからな」と親父は言う。
監獄塔とは、このドーンで一番最初に建てられた城だ。分厚い城壁に囲まれ、高い塔が真ん中にそびえる。今も、灰色の霧が立ちこめた街で、不気味な姿をさらしていた。石造りの街の向こうに、霧にかすむ姿でそびえ立っている。
「あの監獄塔に入れられて、生きて出てきた者はいないって話だ。幾人もの王子や姫様、王妃が不幸な死に方をしたってね」
「有名な話だね。忠告ありがとう」
ユイアベールは礼を言う。二人は屋台を離れて、その監獄塔に向かい歩いて行った。
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