【5】



 さて、翌日。兄弟達の姿は、修道院からその隣の〝宮殿〟と呼ばれる場所にあった。象徴である白いドームの真下。天国の窓と呼ばれる、法王が中庭に集った信者達を毎日祝福するバルコニーの奥にある部屋。

 すなわち、法王の執務室にいた。


「さあ、この僕がぴらっぴらのレースのドレスを着せられていた経緯を説明してもらおうか?」


 真っ赤な神父服に身を包んだユイアベールは言った。

 前法王陛下ヨハネ三世こと、ジェラーモはいささかふくよかな体型であったため、法王庁ウルカヌスお針子修道女シスターズ達を、総動員して、丈を短く動きやすくして、さらに横幅も袖も縮めて、一夜の突貫工事で深紅のど派手なユイアベール専用神父服は完成した。


 そして、その姿でかっこよく腕を組んで見下ろすのは、このウルカヌスの頂点に立つ、黄金の机に座る法王猊下だ。


「いや、どうも眠っている君を見て、納棺の係の修行僧が、第二層に納められる聖女だと誤解しちゃったらしいんだよね。それで、綺麗に着飾らせてしまったと!」


 「実はその聖女、八十歳の老婆だったんだけど」とへらりと法王猊下は笑う。歳の頃は二十代前半か下手をすれば十代、ユイアベール達の外見と、そう歳は変わらないように見える。

 随分と若い法王猊下だが〝若い〟だけではない。


 輝くような金色の髪。それはたなびく雲のようにふわふわとゆるかな波を描いて、肩のあたりで切りそろえられている。真珠をとかしたような艶やかな肌に、陽光輝く海よりもなお青い瞳。通った鼻梁。花開くような薔薇色の唇。微笑を常に讃えたような唇からこぼれてかがやく白い歯。


 約半年にも渡った、揉めに揉めた法王指名選挙コンクラーベで、この法王が決まったとき、誰しも、彼の本名のジュスト・マリアーノ・ルチーディという聞き慣れない名と、二十歳という若さに不安を覚えたものだ。

 それは中庭に集った選出を待つ、信者達も同じだった。半年の空位期間を経て、やっと新法王がバルコニーに立つ。そのことに期待よりもやはり、不安は大きく……。


 しかし、バルコニーから出てきた法王を見たとたん、人々の声は歓喜へと変わった。

 そこに立つのは、慈愛あふれる微笑みを浮かべた、天使のごとき容姿の青年だった。人々が不安を覚えた若さも、彼の輝くようなその姿には必要なものだったのだ。

 これこそも今まで自分達が望んでいた法王の姿だったのだと、人々は思った。若き大王のような、もしくは天上にいる神そのもものような姿。

 人々は口々に法王万歳! と叫び、歓喜し、涙さえ流した。


 こうして、愛されし法王と呼ばれた、パウロ十三世は誕生した訳だが……。

 しかし、そんな法王様の天使の美貌も「へぇ……」と馬鹿にしたように言う、目の前のダンピールには全然通用しないようだった。なにしろ奇跡のような美貌なら、毎日、見慣れている。そう、鏡を見て。

 そして、そんな兄の顔を見慣れている弟も同様。まあ、こちらも別の意味で、苦み走った歳不相応な美丈夫なのだが。


「では、俺の棺桶が鎖でぐるぐる巻きにされていたのはどういう訳だ? ついでに、第七層の壁に立てかけられて、ずっと、中で立ちっぱなしだったのも」


 ヴィルカインが低い声で尋ねる。〝ついでに〟といいながら、後半の〝立ちっぱなし〟のほうが、ずっと声が低く重々しかった。その迫力に、ジュストの後ろにいた法王付きの小姓の少年ががたがたと震えたほど。


「い、いや、それはあきらかにこちらの手落ちだ謝ろう。なにしろ、納棺係の僧というのは、なぜか醜男揃いだと、君たちも知っているだろう! だから、美しい聖女の扱いは丁寧だが、生前美男だったという男性の扱いは酷くてねぇ……。

 たぶん、君の美貌への嫉妬のあまり、最後の審判で復活されて、女性達を全部とられてはたまらないと思ったのだろう。それで思わず鎖を……」

「鎖の理由は分かったが、壁に立てかけられたのはどうしてだ?」

「それは、なんというか、場所がなかったんじゃないかな? 私はその場にいなかったから、分からないけれど」

「棺桶の中で立ちっぱなしの身になってくれ。以後、棺桶を立てて埋葬するときには、椅子を要求する」

「君の言い分はもっともだ。今後、立てて納棺する棺桶にはかならず、椅子を入れることにしよう」


 と言うわけで、今後、このウルカヌスの地下墓地だけでなく、どの埋葬地においても死者の安らぎのために棺桶は、なるべく横にして埋葬すること……というのが不文律となった。もし、やむを得ない事情で棺桶を立てて埋葬する場合は、中に椅子を入れること……という、不思議な条文も付け加えられて。


「では、僕の棺桶があった部屋にいた〝守護神ガーディアン〟について説明してもらおうか?」

「ガーディアン?」


 ユイアベールの言葉にパウロ十三世は、まるきり知らないという口調で尋ねた。しかし、天使の微笑を讃えた、その柔和な笑みこそ〝知っている〟というように、ユイアベール達には見えた。


「僕が目覚めたとたん、キメラにジャイアント、ドラゴンと、神話上の怪物のオンパレードだ。このウルカヌスで飼ってる魔術師の術を総動員したような歓迎ありがとう」


 唯一絶対の神の宗教ゆえに、ウルカヌスは魔術のたぐいを表向き否定しているが、実は魔術師を密かに飼っている。

 この世の中には神もいるが、化け物もいるのだ。だが、それを知っているのは一握りの人間のみでいいというわけだ。

 なぜなら、あなたの横に化け物が居ますよ……なんて言ったら、世間は大混乱に陥るから。


「いやいや、大切な君たちの守護のための、あの仕掛けだったのだけどね。誤作動してしまったようだ。すまない」


 ニコニコと笑いながらパウロ十三世は言う。さきほどは『知らない』という口調で言ったのに、今度は『誤作動』ときた、たいした役者だ。

 それに「違うだろう」とヴィルカインが口を開く。


「盗掘者が居たとしても、そんなものは〝人間〟の衛兵で十分に対処できる。だったら、あの化け物達はなんのための、守護者ガーディアンだったか」

「化け物に対抗するには、化け物ってのはいい考えだね」

「なるほど、俺達が二度と目覚めない為の守護者か」

「いや、いや、それは違う!」


 パウロ十三世は叫んだ。椅子から立ち上がり、そして不穏な空気を出している兄弟達に向かって、両手を広げる。それは隣人を受け入れ、和解しようという、神の子の姿そのもののように。


「私たちは純粋に君たちを守りたかったのだ。だから、あのようなやりすぎの守護者をつけてしまった。どんな者が襲ってきても、君達の眠る棺桶は守れるようにという守護者をね!」

「たしかに、あんな化け物が襲ってきたら、たいがいの奴は死ぬな」

「その通り! 君達でも、手こずるほど強力だっただろう!」


 ヴィルカインの言葉に、パウロ十三世はうんうんとうなずく。


「だけど、僕達はあの程度の化け物相手じゃ、死なないけどねぇ、ちょっと疲れたけど……」

「そう、その通り、君達ではあんな化け物など、それこそ束になったって、敵わないだろうね」


 うんうんうんとパウロ十三世は、今度はユイアベールの言葉に首を上下させて。


「だから棺桶の封印が解かれたら、守護者が目覚めるようにしておいたのだよ。万が一、盗掘ではなく、君達が目覚めたのだとしても、君達ならば守護者を片付けて終わりだろう? 君達は死ぬことはないし、これで盗掘も防げるならば、万々歳だ!」


 パウロ十三世は、まるでオペラ歌手のごとく、最後の万々歳まで一気にまくし立てると、「これこそ神の恩寵、人の愛というものだよ!」と天を仰ぎ見て、両手を合わせて祈りを捧げる。

 うっとりと目を閉じ、恍惚の表情で神へを仰ぎみる天使。その姿だけを見れば、そんな場面にこの若き法王を取り囲んだ、兄弟以外の者達は、うっとりとしている。


「顔が良いってのは徳だね」


 そう小さな声でヴィルカインにささやいたのは、ユイアベールだ。


「そのうえに口が上手ければな」

「口が上手いというより、とんだごり押しだよ。それを大げさな仕草と、あの顔だけで、押し通している」

「それは、どっかの馬鹿兄貴も同様じゃないのか?」

「誰が馬鹿なの?」

「自覚はあるんだな」

「…………」


 二人がぼそぼそやっていると、祈りの両手を解いたパウロ十三世が、こちらを向いて口を開いた。


「とにかく、ドームにとまりし烏は鳴いた」


 ウルカヌスの大聖堂、そのドームの頂点には青銅で出来た鳥が止まっている。青銅製のそれは雲雀だとも、鳩だとも言われているが、一応、烏という呼び名で落ち着いている。


 そして、烏が鳴くとき一つの預言が法王の元にもたらされる。

 預言は予言と違う。人が未来を視るものではなく、神の言葉そのものだ。ならば、その未来は違えず、人の世の警告となる。


「預言の言葉は……」


 パウロ三世の美しい薔薇色の唇が告げたのは……。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




「よろしいのですか? 猊下」


 兄弟達が去ったあと、側近の神父がパウロ十三世に向かい言う。


「あの狂犬どもをこのまま野に解き放っては……」

「言葉を気をつけたまえ。狂犬ではなく、聖家族だろう? 〝母親マリア〟を含めて、彼らはね」

「…………」


 たしかにウルカヌスでは、母親と彼らを含めて聖家族と呼び、また彼らのことを聖兄弟とも呼んでいた。


「しかし、私は素手で鎖を引きちぎり、化け物を生身で倒し、さらに数十年……いや、数百年も若いまま生き続ける者達を、とても人間とは……彼らこそ化け物そのもの……」


 「ヨハン」とパウロ十三世は、彼の洗礼名を呼んだ。「ヨハン、ヨハン、ヨハン」とその名を三度繰り返す。それはこのいつも怒ることなく、微笑を浮かべている。その法王の叱る時のクセであった。名前を三度呼んだなら、その発言は慎みなさいという、言外の圧力だ。


「申し訳ありません、猊下」

「いやいや、ヨハンは私の為を思って言ってくれたのだよね」


 と小首かしげるパウロ十三世は、天使のように美しく、神父はこの法王に仕えてよかった……と思いを新たにするのだった。


「ともあれ、ドームの烏は鳴いたのだよ。そのラッパに似た響きとともに、地獄の門たる兄弟達の棺桶は開いた。

 解き放たれるのは福音か災厄か。すべては神の御心のままに」


 美しき法王は、再び天に向かい祈りを捧げ、神父もまた両手を合わせて同じように祈った。

 その祈りをパウロ十三世は解き。


「それにあの兄弟が今回向かった先は、ブリテンだ。海峡渡った海の向こうの島国だよ。あそこでなにか起きたって、まあ、すぐにこちらに影響はあるまい! 


 それにあの国の王は先代の法王に破門されているんだからね! いわば神の守護のない国に、なにが起ころうとこちらが、責任をとる必要はないわけだ」

 「関係ない、関係ない」と笑うパウロに、神父はこの方に仕えてよかったと毎日思うと同時に、その日の夕方には切なく同じ数、考えること。


────この人についていって大丈夫なんだろうか……。


 と、内心で思ったのだった。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 ウルカヌスを離れる前に。

 兄弟達は再び地下墓地へと戻った。


 第七層までではなく、第二層の奥、巡礼の参拝客で賑わう場所へだ。

 そこには一人の聖女が眠っている。

 〝マリア〟と呼ばれる彼女は、実の所、どのような由来でここに安置されているのか、わからない。神の子に最後まで仕えた端女だとも、まだ教えが悪辣な王によって禁じられていた時代、教えを最後まで守って殉教した乙女だとも。

 しかし、由来は分からずとも、彼女はその地下墓地で一番の人気を集めている〝遺体〟であることは間違いなかった。


 その理由は、硝子の蓋で覆われた棺。その中を見ればわかる。

 日々、世話係のシスター達に取り替えられる、参拝客が捧げた花々。色鮮やかなそれに取り囲まれてなお、色あせることのない美がそこにあった。

 亜麻色の長い髪、白い蝋のような肌。軽く閉じたまぶたは眠るよう。


 そして、その神聖なる眠りを妨げてはならない。そのような厳かな神聖さが、眠るマリアの姿にはあった。その証拠とばかり、人の詰めかけた墓所は、それでも、静かなのだった。親に手を引かれ、連れられてきた幼子でさえ声もなく、眠るマリアの顔をじっと見ている。

 そこに兄弟達もいた。大勢の巡礼に囲まれるマリアの棺を、ヴィルカインはじっと見つめ。


「今なら、あそこから棺桶ごと運び出すことが出来るな」

「本気で盗掘者になるつもり? やめておけ、そんなことしても、彼女は目覚めない」


 ユイアベールは冷ややかに眠る女の顔を見て言う。


「彼女はあそこで眠っているのが、一番だ」

「ああ、母さんはずっと眠りたがっていたからな」

「ならば、今は安らかな眠りを」


 二人は巡礼者と同じく、眠るマリアに祈りを捧げた。胸の前で手を組む、その姿勢は同じだが、巡礼者達が願いを捧げるのに対して、兄弟達はただ、ひたすら、彼女の安らかな眠りを願った。

『なにも考えず眠りたい』

 それが、彼女の願いだったからだ。





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