【4】
「今日の夕ご飯は、チキンのコンフィ! って、ライオンの肉混じりじゃまずいかな?」
そんなふざけた鼻歌交じりで、ユイアベールは、またもくちばしの突っつき攻撃を翻る髪の毛で、軽くいなして、雄鶏の片目を跳ね上がった、髪の毛の一房で突き刺した。
コケェェエェェッツ! と、早朝の農場で聞かれるような鳴き声が、壊れた地下聖堂に響き渡る。
「こんな地下じゃ、鳴いてくれたって、朝なのか、夜なのか分からないなぁ」
ユイアベールは、片目から血を流し苦しむ雄鶏の前で、小首をかしげて言う。その雄鶏は残る片目でギロリと目の前の残酷な天使を見た。
「だから、にらんだって、僕は石にならないって……」
「もっとも、僕が石になったら、世界一美しい彫刻だろうねぇ」とうっとり、悦に入るユイアベールに、雄鶏はそのくちばしを開いて、なにかを浴びせかけた。
とっさにユイアベールは飛んで避けたが、その場所の石畳に雄鶏の口から吐き出された液体が降りかかり、じゅっと石の床が溶ける。立ち上る煙にユイアベールは顔をしかめる。
「くさ~い!!」
叫んで跳び上がり逃げだした。雄鶏はコケェエッ!!と勝ち誇ったように叫んで、逃げ惑う彼を追いかけた。
「くさい!!くさい!!くさいぃいいぃ!!」
雄鶏が吐いたのは毒液だ。それも鼻が曲がりそうにくさい。とにかく、くさい。ユイアベールが逃げたあとに、吐かれた泥色の毒液がじゅわわ……と石の床を次々に溶かしていく。その立ち上る匂いもまた強力だ。少し離れた場所にいたヴィルカインが思わず鼻をつまむほど。
「うわっ! こっちに来るな! ユイっ!」
ユイアベールが「うわぁあ~ん、ヴィル助けてぇえ!!」と叫びながら、駆けてくるのに、ヴィルカインはギョッとする。
「くさぃいい!!こんなのやだぁあ!!ヴィルちゃん、このニワトリも任せたぁああ!!」
「ちゃん付けなんて、気持ち悪いから呼ぶな!!そして、勝手なこと言うな!!」
錯乱して、自分のほうに駆けてきたユイアベールから逃げて、ヴィルカインも走り出す。祭壇が壊れた聖堂で、二人と怪物がぐるぐると奇妙な追いかけっこ状態となる。
「だって、くさいぃいぃい!!」
「だったら、とっととそのニワトリ倒せ!!」
「やだぁ~!!くさいもん! こんなくさいの倒したら、僕の髪に一生染みついて離れない!!」
「さらに、強力な匂いつきで、最強の武器になるだろうが!!」
「なら、ヴィルがその拳で倒せばいいでしょ!!最強の香り付きになるよ!!」
「俺の拳にそんな匂いつけられるか!」
じゅわじゅわ、雄鶏が吐き出した毒液がそこらじゅうの床をとかして、もわもわと妖しい五色の色のついた煙が部屋中に充満しているが、兄弟達は元気に逃げ回る。普通の人間なら一呼吸しただけで、肺がただれて、即死する毒煙の中をだ。
「うわぁああ~ん、お風呂行きたい!!シャワー浴びたい!!シャワーぁあああ!!」
「うるさい、このクソガキ!!とっとと、あのトリ絞めて来い!!」
「うわぁあああっ!!」
切れたヴィルカインは泣きわめいて後ろからついてくるユイアベールの、首根っこをつかんで雄鶏に向かい放り投げた。
「この、鬼おととぉおおぉお!!」
本当は鬼おとうと……なのだが、混乱のあまり言い方が、まるきり、鬼オットセイに聞こえる叫び声を響かせて、ユイアベールはニワトリに飛んで行く。
雄鶏はくわり……とくちばしを開けて、そのユイアベールに、くさい息、もとい毒液を吹きかけようとした。
「いやぁぁぁあぁぁあ!!」
ユイアベールはその髪の毛をぶわりと拡げて、雄鶏に向かい飛ばす。
髪の毛の先が雄鶏の首にからみつく。そのまま切り裂くかと思いきや、なにも変化はない。
いや、変化はすぐに現れた。髪がからみついたとたん、雄鶏が硬直した。雷にでも打たれたように、カッ! とその丸く小さな目を見開く。くちばしも開きっぱなしとなり、一歩前に出ようと振り上げた足が、そのかぎ爪がびくびくと痙攣していた。
その痙攣は身体全体へと広がり、そして雄鶏の巨体の輪郭がぶれたように見えた。いや、ぶれているのではなく、みるみる縮んでいくのだ。なにかに生気を吸い取られるように、その身体はしぼんでいく。頭の上の赤いとさかも、みるみる赤黒い枯れ葉のようになり……。
「まずい~くさい~この
ユイアベールが涙目で叫ぶ。彼がその髪の毛を雄鶏から解く頃には、枯れ木のようにかさかさに骨と皮ばかりに雄鶏はなっていた。髪の毛が完全に離れると、支えをうしなったように、雄鶏はばたんと倒れた。とたん、その干からびた身体は、砂のようにざあっと崩れて、消えてなくなってしまう。
「初めから、そうすれば良かったのに」
そう言う弟を、キッ! とした顔で、ユイアベールは振り返る。
「この、鬼おとと! この
ユイアベールは耐えられないとばかり叫ぶ。きゃんきゃん叫ぶその声に、閉口したようにヴィルカインは耳をふさぎ。
「昔はなんだって食っていただろう? この
「ヴァンパイアじゃない。僕はダンピールだ! 弟ならば憶えておけ!」
ダンピールとはヴァンパイアと人間との間に生まれた子供のことだ。ユイアベールは両肩に手を回して自分の身体を抱いて「う~う~気持ち悪い!」とうなり続け。
「お風呂! 今すぐ、薔薇のお風呂に入りたい!」
「だったら、入ればいいだろう?」
そう言ったところで、どどど……と地鳴りがして、聞き覚えがある咆吼が聞こえた。咆吼は獅子のもので、それにめぇめえという鳴き声と、コケコッコーという鳴き声が混じる。それに、兄弟達は顔を見合わせる。
「ねぇ……すご~く、嫌な予感がするんだけど」
「墓所の守護は一匹だけじゃないってことだな。壁にはめ込まれた青銅の板が、全部、それだったとしたら」
「それ、もっと早く先に言う!」
ユイアベールが叫んだとたんに、どぉ~んと今度はひときわ大きい衝撃波が襲った。
崩れた壁から現れたのは、獅子の身体に雄鶏の頭、雄山羊の頭に、蛇頭の尻尾のキメラ。だけでなく、
「数えられないほどたくさんいるじゃないかぁあああ!!」
「風呂は先になったな」
「そういう問題じゃない!」
それでも戦わなければ死ぬ! と、兄弟達は髪の毛を、拳を振り上げたが、いかんせん数が多い。そのうえに、相手は化け物だ。キメラに巨人に竜だ! そのうえに蛇女だ!
「ええいっ! キリがないっ!」
ぶち切れたヴィルカインが叫び、彼のなにもなかったはずの手に、黒い棒が出現する。そして、両手で掲げた、その棒の先から、鎌のような三日月型の、巨大な刃が現れた。蒼い炎をまとった、死神の鎌だ。
「王に乞食、老いも若きも、男も女も、すべての者に平等に死は訪れる! 化け物も等しく、消え失せろ!」
ぶん! と鎌を振り回せば、その一振りで化け物達が半ば消え失せる。さらに返す一振りで残り半分。もう一回振れば、その欠片さえなくなり、完全に消え失せた。
ふう……と肩で息をつくヴィルカインに、ユイアベールが、いささか座った目で言う。
「なんで、早く、その切り札出さなかったの! この死神!」
「忘れていた」
「わすれ……た!?」
あっさり答えたヴィルカインに、さすがのダンピールの兄も、信じられないとばかり愕然とする。そして、ふるふる拳を振るわせて。
「なんで忘れる。この馬鹿おとと!」
「仕方ないだろう! こっちは目覚めたばかりで、寝ぼけていたんだから! 拳のほうが確実だ!」
「この脳みそ筋肉!」
「なんだと! こっちが起こすまで、ぐうすか寝ていた寝ぼすけは、そっちのほうだろう!」
弟は兄のレースの寝巻きの襟首をひっつかみ、兄は弟に必殺の髪の毛を絡みつかせる。
大きな子供のとっくみあいのケンカは、第七層に恐る恐るの偵察の衛兵がやってくるまで続いた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
さて、無事?
「飯だ。肉にイモにパンに、暖かなスープがありゃ申し分ない。酒はいらん」
「僕は、お風呂! お風呂! 薔薇の花を浮かべないと許さないからね! そして、そこの欠食児童にはまずご飯だけど、そのあとにはお風呂にたたき込んでやって! これには薔薇の花はいいから!」
ヴィルカインとユイアベールの言葉に、世話係の
かくて、ヴィルカインの前には山盛りの肉にイモにパンに、豆のスープが、そして、ユイアベールは望み通りの薔薇を浮かべた湯につかった。
シスターの手を借りて、念入りの身体と髪を洗う。風呂から出たあと、用意された黒の服を『ださい! 』と一言で切り捨てて、ガウン姿で「うーん」と腕を組んで、思いついたとばかり「ほら!」と口を開く。
「あれあったじゃない? ジェラーモが作らせた、あの派手な真っ赤な奴!」
「ジェラーモ……様?」
お付きのシスターが首をかしげるのに「法王ヨハネス三世だよ!」とユイアベールは答える。
「それは前法王猊下のことでございますか?」
「なに、ジェラーモ死んじゃったの? 僕が最後に見たときは、まだ頭が黒々したおっさんだったのにね」
ユイアベールはあっさり言ったが、シスターは畏れるように彼を見る。
ヨハネス三世が亡くなったのは三年前だ。法王は終身制であるから、彼はなくなるまで法王で、シスターが知る前法王猊下は、髪も髭も白くなった老人となった姿であった。
前法王の髪が黒い時代など、何十年も前だろう。その頃をこの十代にさえ見える青年は知っていることになる。そして、ヨハネス三世は老いて死んだというのに、彼は若いまま生きているのだ。
「じゃあ、今は新しい法王ってことだね。なんて名前?」
「パウロ十三世猊下にございます」
「十三世、十三とは不吉で、良い数字だ」
不吉なのに良いとはどういうことだ? ではあるが、それにユイアベールは言及することなく。
「とにかく、ジェラーモがおっ死んでしまったなら、あの派手好きの彼の衣装は、そのまま倉庫に収められているでしょ? だったら探してきてよ。彼の枢機卿時代の真っ赤な僧服!」
かくてシスター達から、注文を受けた修道僧達が、法王庁の倉庫中を駆け回ることになるのだが、それを知ることもなくユイアベールは自分達にあてがわれた部屋に向かう。
そこには、風呂に行く前と変わることなく、ヴィルカインが椅子に座っている。彼は最後のパンの一切れを、口に押し込んだところだった。
「……なに、全部食っちゃったの?」
思わずユイアベールは聞いた。そう小さくはないテーブルの上、いっぱいにあった、焼いた肉とゆでたジャガイモ、パンが無くなっていた。いずれも、人の顔より二回りデカい籠に山盛りに盛られていたはずだ。さらに豆のスープも大鍋一つ。傍らの椅子に置かれたこれも、空になっていた。とても、人間一人の食事量ではない。まるで、馬の食事だと思ったのだが。
「十数年ぶりの食事だぞ。腹が減っていて当然だろう?」
食後の一杯とばかり、熱いお茶を飲みながら言うヴィルカインに、「腹へりすぎ」とあきれてユイアベールは答える。
「とにかく、風呂浴びてきなさい。食事のあとお風呂」
「風呂、風呂うるさい奴だな。別に風呂に入らなくても人間、死には……」
「死にます。数十年入らなきゃ死にます!」
「…………」
きっぱり言った兄に弟は黙り込み、そのまま立ち上がる。「彼を風呂に案内して!」というユイアベールに「ご案内いたします」とシスターの一人が思わずヴィルカインの腕に触れようとするが。
「触れるな!」
そのとき鞭のような厳しい声が飛んで、そのシスターのみならず、他の部屋にいたシスター達も、びくりと身体を震わせた。
「あ、あの……」
「俺に触れるな。自分のことは自分で出来る」
戸惑うシスターにヴィルカインはそう言い「風呂に案内しろ」と続ける。シスターは怯えた顔で「はい」と答えて、先に立って歩き出す。
「ゴメンね。彼、職業柄、女の人に触れられるの嫌いなのよ」
残されたシスター達にユイアベールはそう言って微笑む。そして、内心で。
────でっかい図体に育ったわりに、ホント、繊細なんだから……ま、そこが愛すべき弟だねぇ。
とつぶやいた。
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