【3】


 一方その頃、大聖堂に残った衛兵達は、顔を寄せ合ってぼそぼそやっていた。大半の者は『報告の為に』上に行ってしまったが、運の悪い彼らは『見張りの為』残ることになったのだ。


「どうする? 奴が奥の部屋から、戻ってきたら?」

「あんな化け物に俺達が敵うわけないだろう? 上から援軍が来ない限り、手を出さないでやり過ごすことだ」

「しかし、少しは足止めしたそぶりを見せないと、あとで処分されるかもしれないぞ」

「じゃあ、お前がしろよ」

「とんでもない! 俺に出来るか! お前がやれ!」


 と、押しつけあっているうちに、祭壇が作られた壁まるごと、一気に崩れて飛び出してきたのは、見たこともない化け物。

 それは広間の高い天井に、頭が付くほどの大きさがあり、獅子の身体に蛇の尻尾。頭がなんと、二つあった。雄鶏に雄山羊の頭だ。


「ば、化け物……!」


 そう叫びかけた衛兵達は、雄鶏の赤い目のひとにらみで固まった。文字通り一瞬にして、灰色の石にだ。


「お、おい!」

「どうした!?」


 傍らにいた別の衛兵が呼びかけたが、返事は当然ない。その、彼らの前にも影が差す。キメラの尻尾の蛇が青紫色の不気味な大口を開けて、ぱっくり呑み込もうとしたのだ。


「ひっ!」


 恐怖のあまり、逃げることも出来ず、傭兵達は目を閉じた。生きたまま蛇に呑み込まれることを覚悟したが。

 その瞬間は訪れることなく、どさりと傍らになにか落ちる音。恐る恐る目を開いて、衛兵達は「ひゃあああっ!」と悲鳴をあげる。


 切り落とされ蛇の頭が、うねうねと動いていたのである。その尻尾を切り落とした、極悪神父もとい、ヴィルカインは、祭壇の壁から奪った剣を槍を乗せ、獅子の尻の上でしゃがみ込んで、腰を抜かした彼らを、見下ろして口を開く。


「男ならちょん切られた蛇を見たぐらいで、悲鳴あげるな。情けない」


 キメラが咆吼をあげて暴れたために、そのまま彼は獣の尻から飛び降りる。一方、断末魔に身をよじっていた、切り落とされた蛇は、それでも腰を抜かして床にへたり込む衛兵達に口を開けて、再び飛びかかろうとしたが。


「危ない!」


 その彼らをかばうように立ったのは、白いドレスを翻した、細くあまりにも頼りない姿。蛇は当然、その白い姿に狙いを変えて呑み込もうとした。が……。

 ぱっくりと蛇が口を開けた、その口がさらに開かれ、いや、引き裂かれて蛇の身体は上下二つに切り裂かれた。

 それは姿の見えない、鋭い刃物によってとしか言いようがない。もしくは、蛇の身体が独りでに避けたように見えたのだ。


 そう、この白い聖女? の前で、奇跡が起きたように。

 いくら生命力の強い生き物でも、二つに裂かれてはひとたまりもない。その身体は薄い二切れの肉となって、床に転がる。


「お怪我はありませんか?」

「は、はい……」

「大丈夫です!」


 にっこりと笑う、白いドレスを翻した女神に、衛兵達は陶然となった。この際、声が多少低いことなど気にならない。これは、地獄に舞い降りた、天女か、妖精か。


「なにボケっとしてる!」


 そんな衛兵に鞭打つような声をかけたのは、真っ黒な姿の悪魔のような神父。ヴィルカインだ。


「とっと逃げやがれ! 邪魔だ! この野郎! キメラの餌になりてぇのか!」


 怒鳴りつけられて、傭兵達は慌てて広間から逃げようとしたが。


「待て! 仲間を置いていくなよ! この薄情野郎! その石像持っていけ!」


 と石になった衛兵をヴィルカインは指さす。


「すぐに教会に持ち込んで、神父に邪気払いの祈りを捧げてもらえば、元に戻るはずだ!」


 その言葉を受けて言われた衛兵達は、顔を見合わせる。こんな重い石など残った三人で持って動いて、逃げ切れるかどうか。しかし「早くしろ!」

とヴィルカインに怒鳴られて、石像になった仲間をあわてて、担ぎ上げる。

 意外に仲間は軽く、衛兵達は一目散に駆けて、礼拝堂から離れたのだった。しかし、広い空間から出て、狭い通路を行くことしばし、七層から六層への階段を上がったところで、急に石像が重くなって、彼らはごとりと仲間を取り落としてしまった。

 落としたことで、どこか割れてないか? とカンテラで照らしたところで、どこも傷ついていないと彼らはホッと息をついたが、とたん仲間をにらみつけた。


「お前が力を抜いたんだろう?」

「俺は抜いてなんかいないぞ!」

「俺じゃないぞ!」


 言い合ったところでどうしようもないと、三人で持とうとしたが、どうにも重い。

 途方に暮れていたところで、六層まで救援がやってきて、石になった衛兵はえっちらおっちら、仲間に運ばれて地上でようやく、元に戻ることが出来たのだが……。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




「優しいねぇ」


 傭兵達がいなくなったところで、ユイアベールが、ヴィルカインの横に並んで言う。


「彼らを逃がすなんて」

「居られたら返って邪魔だ」

「憎まれ口、叩いちゃって、悪ぶっているクセに本当は良い子の弟君」

「…………」


 からかうように微笑むユイアベールをヴィルカインはぎろりと横目で見る。口を開く。


「お前のほうこそ、お人好しだろう」

「あら、なんで? 僕はなにもしてないよ」

「してるだろう。あの石になった男を、三人で運べる訳がない」


 男達が石像を軽く感じたのは、ユイアベールの〝力〟の助けがあったからだ。だから、その力が及ばなくなったとたん、石像が持てないほどに重くなった。


「さて、僕はなにも知らない!」


 ぷいっと拗ねるようにそっぽを向いて、ユイアベールは言う。まったく、素直に〝助けた〟と言わないあたり、自分と同じくこの兄も、とんだひねくれ者だと思う。

 そのとき、自分達を無視するな! とばかり、キメラが咆吼をあげた。めぇえええ! とコケェーッ! という、いささか牧歌的な二重奏であったが。


「あらあら、放っておいて、ごめんなさい!」


 歌うような調子で言い、ユイアベールはドレスの裾を翻し駆ける。まるで、おとぎ話の舞踏会で姫君が踊るがごとく。その相手がキメラとは、とんだ美女と野獣だが。

 だが、たおやかな微笑みを浮かべた姫君こそ、この場合極悪の魔女。いや、地獄の獣も狩る非情な狩人だった。


 ふわりとユイアベールの膝裏まである、銀の髪が翻る。それは咆吼をあげて、ユイアベールに突進する、獅子と山羊の頭の間に吸い込まれた。

 その一房の髪の毛が、キメラの身体を真っ二つに切り裂いていく。その身体は当初切られたことさえ気付いてないように、綺麗な肉と骨の断面をのぞかせていたが、その一瞬後に噴水のように真っ赤な血が吹き出す。


 縦に切り裂かれた獅子の身体は、花開くように左右に分かれて倒れた。

 これが、先の蛇が二つに裂かれ、また今、獣の身体が裂かれた秘密だった。ユイアベールの優雅にたなびく銀の髪は、鋼の剣より切れ味が鋭い。


「ほら、僕にかかればこの通り!」


 得意げにユイアベールは、ダンスのつづきとばかり優雅にターンして、ヴィルカインを振り返る。しかし、ヴィルカインはユイアベールの肩越しに、じっと倒れたキメラを見つめている。


「?」


 ユイアベールも不思議に思い、再び後ろを振り返り「げ!」と声をあげる。

 なんと、綺麗に真っ二つにした胴体から、足が生えてきたのだ。足だけではなく、無くなった丁度半分の胴体が再生する、どころか、先ほどちょん切った、尻尾の蛇まで、うねうね、復活しているではないか。


合成生物キメラは、その名の通り複数の生き物の命を持っているからな。一度、斬ったぐらいじゃ、すぐに再生する」

「早く、それを言ってよ!」


 ヴィルカインの言葉通り、再生したそれぞれのキメラの胴体の半分は、雄鶏の頭を持つものは鶏、雄山羊の頭を持つものは、山羊の胴体のものだった。元の半分の獅子の胴体と合わさったその姿は、キメラの不気味な奇妙さを漂わせている。

 その二匹の瞳が、ぎろりとユイアベールを見たのに、彼の背筋にたらりと冷や汗が流れる。


「僕一人で二匹も化け物を倒させるつもり? 一匹ぐらい倒しなさい! このクソ弟神父!」

「なんだ! その呼び名は!」

「とにかく、僕はあのニワトリ倒すから、君はヤギさん倒しなさい!」

「ヤギさんなんて、可愛いものか!」


 怒鳴り返しながら、それでも真面目な神父は、ユイアベールの言葉どおり、雄山羊の前へと立つ。黒い体毛、巻いた大きな角、赤い瞳が不気味だ。なにより天井までつく大きさが、とても普通の山羊ではないが。


 山羊はヴィルカインを見ると、めぇ~とこれは普通の鳴き声をあげた。しかし、めくれてみえた上唇の下の歯はワニのような牙がずらりと並んでいた。こんなものに噛みつかれたら、ひとたまりもないだろう。人食い山羊など、ゾッとしないが。

 くわりとその真っ赤な口をあけて、雄山羊はヴィルカインに襲い掛かろうとした。ヴィルカインはこぶしを構えて、その鼻っ面にたたき込もうとしたが。


「!」


 山羊の口の奥にちりちりと嫌な光が見えて、ヴィルカインは己の身体ごと槍を退けた。その瞬間、紅蓮の炎が彼に襲い掛かる。雄山羊が吐いたのだ。

 ヴィルカインの全身が炎におおわれたように見えたが、炎はすぐに消える。


「ただのでかい山羊であるわけないよな」


 現れたのは全身ずぶ濡れのヴィルカイン。ただの水ではなく、聖水だ。外套の下に隠し持っていたものを、とっさに全部割って、自分の身体に振りかけた。


「だが、これでお前の最大の武器は訊かないぞ!」


 雄山羊は人語など理解しないのだろう。めぇ~とまた、この怪物には不釣り合いな鳴き声をあげて、ヴィルカインに炎を浴びせかけた。


「きかねぇって言ってるだろう!」


 ヴィルカインは灼熱のそれを、ものともせずに、突進し、振り上げたこぶしを炎を吐き出す雄山羊の鼻面へとたたき込んだ。どの獣でも鼻は弱点だ。

 キメラの雄山羊も例外ではなかったのか、めぇえええっ! と悶絶する。それを逃さず、ヴィルカインは雄山羊の首に背後から飛びついた。そして、その腕を回すと、そのまま、ぎりぎりと締め上げる。


 雄山羊は断末魔の悲鳴をあげて、最期のあらがいとばかり、炎を吹き続けるが、背後に取りついたヴィルカインに、その炎が届くことはない。

 やがてごとりと嫌な音がして、どうっと雄山羊が床に倒れる。びくびくと後足が断末魔の痙攣に震えていた。


 尻尾の蛇が身をよじって、ヴィルカインに噛みつこうとするが、それも、コートの懐から取り出された、聖なる御印が刻印された銀の短剣ダガー。それに下のあごから、上の脳天に貫くように突き刺されて、蛇はびくりと跳ねたきり沈黙する。


「うわ~我が弟だというのに、優雅さの欠片もない見事な猪戦士の戦いっぷり! あれなら、聖水なんて要らないんじゃないの? 筋肉で炎をはじきそう!」


 弟の無茶な力押しを、横目で眺めながら、ユイアベールは雄鳥から逃げ回っていた。雄鳥はぴかぴかと、赤い瞳を光らせて、ユイアベールを石にしようとする。


「だから、僕を石にしようとしたって、無駄だって!」


 さらに巨大なくちばしでつつかれそうになるのを、ユイアベールは細身の剣ではじき飛ばす。

 邪眼などでユイアベールは石になどならない。それは、ヴィルカインも同じだろう。たぶん。


 雄鶏の最大の武器だろう、それが効かないからこそ、ユイアベールはこちらを選んだのだ。自分には石化の邪眼は効かない。だったら、こんなのただの馬鹿でかいニワトリ、ただの肉だ。




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