【2】



 ヴィルカイン・グレンデルは苛立っていた。

 ヴィルカインとは例の鉄の棺桶から蘇った神父の名である。本人も神父という自覚があるのだから、神父なのだろう。


 それが、神の国を守る衛兵と対峙しているのだから、皮肉としか言いようがない。

 狭い通路が続く地下七層の中で、突如開けた聖堂に黒づくめの神父と、鉄兜を被った少々前時代の格好の衛兵達が向かい合っている。

 ヴィルカインが口を開いた。


「赤い棺はどこにある?」

「俺達が知るか!」

「知らないなら、道を空けろ!」


 苛立ち怒鳴り、ヴィルカインは片手に持っていた、それ・・を投げつけた。衛兵達は悲鳴をあげて逃げ惑う。


 哀れ床に転がったそれは、金色の衣をまとっているが、茶褐色に干からびたミイラだった。生前の名は、ミロ三世。芸術と美食を愛したのは良かったが、愛しすぎて暴君と化し、最後には暗殺された、史上最悪のロマーノの王として歴史に名を残している。

 美食に耽った晩年はゾウガメのようにでっぷりと太り、その自分の姿を見るのがイヤで城中の鏡を撤去させたという逸話が残っている。死後、ミイラと化して、しおしおにしぼんで細くなった自分の姿を見れば満足だっただろうか? 死んでしまった今となっては、見ようもないが。


 ヴィルカインの不機嫌の理由は、この皇帝陛下にあった。正確には、ミイラと化した皇帝陛下の棺のあった場所と言うべきか。

 〝目覚めた〟ばかりで墓所の記憶も曖昧なヴィルカインは、とにかく厳重に警備された場所を目指した。


 何重もの鉄の扉、格子の扉、最後には重い岩の扉を動かして、安置されていた大理石の棺にたどり着いた。

 美しい女神の彫像が浮き彫りにされた、その蓋をどかして見たところ、この黄金の衣に包まれた皇帝陛下がいらっしゃったのだ。七つの罪を犯した大罪人という、青銅の札がつけられた茨の冠を被って。


 目当ての中身を違って、むしゃくしゃした気分のままヴィルカインは、棺の中身を引き摺ってここまで来たのだ。生前七つの大罪を犯そうが、他の失われた二つの大罪もくわえて、九つになろうが死人は死人だ。死んだ人間はそれ以上の災いも罪も犯さない。最後の審判の日まで眠ったまま、永遠の沈黙だけがそこにある。

 そんな死体を安置するのに、七つもの扉がいるのか! とヴィルカインは、内心で叫ぶ。おそらくは、この皇帝の犯した罪にちなんだものだろうが、それにしたって、それをした者の悪趣味さえ感じる。


 犯人は、歴代の法王のうち誰かだろう。そう法王猊下などと呼ばれる奴は、悪趣味に決まっている。そのうえに性格が悪い! えらい坊主などみんなそうだ! 

 そこまで毒づいてヴィルカインは、目当ての棺が、真っ赤だったことを思い出した。そう、赤く輝く棺だ。その中に、〝奴〟は眠っている。

 それで、目の前で震える衛兵達に尋ねたのだが……。


「知らないならいい」


 ごとごとと片手で重いそれを引きずりながら、ヴィルカインは衛兵達に向かって言った。衛兵達は「近寄るな! 止まれ!」と叫び、銃を構える。しかし、ヴィルカインの歩みは止まらない。

 彼があと五歩で衛兵達のいる場所に達するとなったとき、耐えきれなかった誰かが引き金を引いた。

 響き渡る銃声に釣られるように、彼らは次々と引き金を引く。打ち込まれる銃弾、硝煙に白くかすんでその長身は見えない。


 これであの化け物は倒れたはずだ。

 誰しもがそう思った。

 しかし。


「ひいいっ!」


 誰があげた悲鳴なのか、衛兵の何人かは腰を抜かしていた。男が立っていたからだ。

 正確にはその長身は女神の像が浮き彫りにされた棺桶の蓋に隠れていた。蓋にはいくつもの銃弾の痕がある。これを盾にして、銃撃を逃れたらしい。


 それよりもなによりも、衛兵達が驚愕したのは、どう見たって重そうな……重いどころか、とても人間一人、いや、大の男十人集めなければ、動かせないような蓋を、ヴィルカインが軽々片手で掲げていることだった。

 彼は長身ではあるが、大男とはいえない。どちらかといえば、長い手足は足長蜘蛛のようにひょろりとした、痩せた男だ。それが、巨大な大理石の蓋を片手で持ち上げている。この奇妙さよ。


「ほら!」


 ヴィルカインはその蓋を兵士達に向かい放り投げた。そんなものの下敷きになったら、怪我どころの騒ぎではない。兵士達はわらわらと蟻のように逃げ惑う。その真ん中を、ヴィルカインは黒い外套の裾を翻して突っ切った。

 彼にとびついて止めようなどという勇者はいない。巨大な石の棺の蓋を投げつける化け物を、どうやって止めろというのだ。

 ヴィルカインは地下聖堂の祭壇。その横にある扉に手をかけて開くと、その長身をかがめて中に入って行った。それを呆然と衛兵達は見送り、顔を見合わせる。


「どうする?」

「どうするって、あの祭壇の奥へ入ることは俺達は禁じられている」

「じゃあ、ここで待つのか?」

「あの化け物を?」


 その言葉に一度シーンとなる。次の瞬間、一人が立ち上がり叫ぶ。


「お、俺、上に報告してくる!」


 「俺も!」「俺も!」と兵士達は我先にと、争って聖堂を出て行った。


   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇


 祭壇の奥は小さな部屋となっていた。

 ただの部屋ではない。部屋の一面に、青銅の板がはめ込まれて、そこに神話上のありとあらゆる怪物達が浮き彫りにされていた。竜に火蜥蜴サラマンダー巨人ジャイアン大蛇ウロポロス

 その怪物達の視線は、すべて中央の一点に注がれていた。まるで〝それ〟を監視するように。〝それ〟の蘇りを阻むように。


「こんなところにあったのか」


 化け物達の視線の先には、赤い棺。それに、ヴィルカインは歩み寄った。彼が部屋に入ってきたときから、その視線のいくつかが、彼に向かって動いたように見えたが、しかし、ヴィルカインはまったく意に介することもなく、棺の蓋に手を掛けた。


 赤く輝く棺には、鎖も巻き付けられておらず、鍵も掛けられてない。蓋はあっさりと開き、中に横たわる人物と対面出来た。

 棺の中もまた紅。血のような深紅だ。綿の詰められた光沢ある繻子の寝床に包まれて、彼は横たわっていた。志の前で手を組み、寝ながらも神に祈りを捧げている、そんな風に。


 その身を包むのは、光沢ある絹と純白のレースで出来た長衣。まるで、姫君のドレスのようだが、いくら、細くてもその身体の中身は男だ。

 白金プラチナの長い髪が、卵型の形良いふっくらとした頬を縁取る。薔薇色の頬、紅を塗らずとも紅い唇。閉じたまぶたは蒼く、長いまつげは髪と同じくプラチナだ。

 眠る姿は、まるで毒を受け、はたまた魔女の呪いを受けた伝説の美姫のよう。

 ただし、繰り返すがこれは男だ。正真正銘、間違いなく男だ。


「おい、起きろ」


 呼びかけて、さらに肩を揺さぶる。しかし、起きない。ヴィルカインは少し考え、棺の傍らに跪くと、身をかがめ、眠る人物の林檎のように熟れた唇に、己の男らしい口元を寄せると……。

 そっと口づけた。


「ん……」


 眠る人物のまつげがふるりと震える。まるで、蝶が花からふわりと羽ばたくがごとく、まぶたが開き、見えたのは紫水晶アメジストの瞳。

 その紫の瞳と、ヴィルカインの黒い瞳が合った。




 うぇっ!!




 二人とも、同時に口元を押さえて、顔を背けてえづいた。ユイアベールはがばりと上半身を起こして、石棺の縁をぶるぶる震える手でつかみながら。


「き、気持ち悪るっ! 男とキス! しかも、弟としちまった!」

「俺だって気持ち悪い! こともあろうに、兄貴とキス! くそユイと口くっつけ合うなんて!」

「こらっ! くそユイとはなんだ。お兄ちゃんと呼びなさい!」

「誰が、お前のことをそんな風に呼ぶか! ちゃん付けなんて虫ずが走る!」

「うん、僕も、そんな無駄にでかく、むさ苦しく育った弟に、ちゃん付けで呼ばれたくない」

「……殺してやろうか」


 あっけらかんと言った兄に、本気の殺意を覚えたヴィルカインだった。

 この兄の名は、ユイアベールという。





「なに、この白いぴらぴらしたネグリジェみたいなの!?」


 目覚めたユイアベールは、自分の着ていた白い長衣を裾をつかみ上げた。


「それにこの棺に、この白百合!」


 自分の寝ていた状況を見て、ユイアベールはゲラゲラと笑っている。彼の天使の美貌を見て、飾り立てた者達が見たら、さぞ幻滅するだろうが、ヴィルカインは子供の頃から、この兄のことは知っている。こういう中身だ。


「さぁ、お前のことを封じた奴らの中に、人形趣味の奴でもいたんじゃないのか? 通り越して、死体趣味ネクロフィリアとかな」

「やめてぇ! 気色悪い!」


 「男に知らないあいだに全身なで回されていたなんて!」とユイアベールはおぞましさにぶるぶると震える。別に棺桶の用意をしたのは男とは限らないが、法王庁関係者となれば、大概はヴィルカインと同じ、黒服の神父だ。シスター達より、ユイアベールを着替えさせた可能性は高いだろう。


「それで、ここはどこ?」


 ユイアベールがきょろきょろ周りを見回して尋ねる。


「自分がどこで〝寝た〟のか忘れたなんて、ボケたか?」


 ヴィルカインがあきれたように口を開き、続けて言う。


「ウルカヌスの丘だ。坊主殿の墓だな」

「ああ、そうだったね。だけど、寝起きで思い出せないぐらいで、ボケたはないもんだ。そう言う、ヴィルだって、すごく寝起きは悪かったじゃない。ちゃんと起きられたの?」

「…………」


 まさか〝寝ぼけて〟ロマーヌの暴君皇帝の棺桶の蓋とその中身を引き摺った……とは言えず、ヴィルは黙り込む。結局、あとでユイアベールにバレて大笑いされることになるのだが。


「あ~! その沈黙、また、なにかしたな!? お兄さんに話しなさい!」


 ユイアベールが問い詰めようとしたところで、獣の咆吼が響いた。ここは地下墓地であり、森の中ではない。そのうえ、その声は二人のすぐ目の前で響いたように聞こえた。

 二人は声がした方向の壁を見た。そこには青銅の板が張られ、古今東西の怪物達が浮き彫りにされているのは、先にヴィルカインが見たとおり。その目が、すべてこちらの棺に注目しているのも。


 しかし、その青銅の板の一つ、雄山羊の頭に雄鶏の頭、獅子の身体、それに蛇の尻尾のキメラ。その六つの瞳が、赤くらんらんと輝いていた。さらに、青銅の色だった、彼らの身体が鮮やかに色づいていく。獅子の毛皮の黄金に、雄山羊の黒、雄鶏のとさかの赤、そして、蛇の緑。

 彼らの皮膚はうねり、黒山羊はメェーと少しも牧歌的でない鳴き声をあげて、口を大きく開き、雄鶏は頭を高くあげてコケコッコーと、朝なのか夜なのかわからない暗闇の墓所で時の声をあげる。蛇は鳴くことはないが、ちろちろと青紫色の先が二つに分かれた舌を出し。


「ねぇ、ヴィル、すごく嫌な予感がするんだけど」

「これは予感じゃなくて、現実だ。逃げろ!」


 ヴィルカインが叫び、ユイアベールは棺から跳び上がるようにして、彼に抱きついた。

 弟が兄を反射的に横抱きにして、逃げ出したのと……。

 青銅の板から飛び出したキメラが、棺を粉々にしたのとは、ほぼ同時だった。



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