死神とダンピール
志麻友紀
【1】
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そのときウルカヌスのドーム。そのてっぺんにつけられた、青銅の烏が鳴いた。
ロンバルディアの大都市ロマーナ。そこにウルカヌスと呼ばれる聖なる場所がある。緩やかな丘であるその場所は有史以前、緑の草だけが生え羊たちが草を食む牧草地だったというが、今はそんな面影はない。
丘全体が巨大で重厚な石の建物に覆われているのだ。三つの巨大なドームを持つ聖堂群に、それを結ぶ建物が、祭典の時には人々でびっしりと埋まる石畳の巨大な中庭を囲む。
巨大なウルカヌスはそれ自体が一つの国と言ってよい。実際、ここはロマーナの中で独立した一角であった。丘一つという世界最小の国であるが、神を信じる人の数からすれば、その領民と領地はまさに、無限と言ってよいだろう。
法王庁。世界中に散らばった神父と、その信徒の頂点に立つ、聖なる法王が住まう神聖なる墓所。
そう、ここは墓所なのだ。かつて人々が無数の神を信じていた時代。一つの神だけを信じるこの宗教は過酷な弾圧を受けた。初代法王とされるウルカヌスは、この丘で逆さ磔となって処刑されることとなる。
そのときより、この丘はウルカヌスと呼ばれ、彼の墓となり、歴代の法王および、殉教者達の墓所となった。
ドームの聖堂の地下には、巨大な迷宮が広がり、天獄および、地獄を模した七層まで掘り下げられていた。
その
「いつまでたっても慣れねえなあ」
「兵長もそうですか?」
中年の兵長のぼやきに、若い新兵が反応する。
「僕は毎回怖くて」
「そりゃ怖くて当然だ。墓だぜ、墓。普段は近寄りもしねぇだろう」
確かに墓所は忌むべき場所だ。新兵が育った村でも、墓は村から離れた森の中にあり、葬式で新たな遺体を埋める以外、普段は人が行くこともない場所だ。これは、どこの街や村でもそうだろう。
一つの神を信じるようになって以来、人々は祖霊を敬うことはなくなった。唯一絶対の神以外の加護などあり得ないからだ。墓は最後の審判に備えて遺体を保管しておく場所であり、そこから霊魂がさまよい出るなど、その人物が神の加護から外れたことに他ならない。
そんな亡霊に会えば、己の魂も死後、永劫にさまようことになる。そう人々は信じているために、墓所に近づくことはないのだ。
「でも、この墓は聖なるものなんでしょう? たくさんの法王様や聖人様が眠っていると聞きましたけど。それから、昔はいたロマーナの王様も」
ロマーナは現在、共和制だ……といっても、選ばれた世襲の名士たちによる議会制であるが。とりあえず王は倒され、その守護を受けていたウルカヌスも共和国に呑み込まれそうになった。しかし、神の国の独立を唱えた、その当時の法王が、この石の巨大な聖堂に立てこもることによって、ここは最も小さな独立国となったのだ。
「そりゃ、第三層あたりまでの話だろう」
新兵の言葉に兵長は答えた。第一層~三層までは、たしかに有名どころの法王や聖人、それに宗教の守護者であった王の墓が並ぶ。そこに参拝にくる巡礼者は絶えず、上層の地下墓所は賑やかと言ってよい、言葉は不謹慎だが観光地だ。
だが、四層以下となると墓所拡張に伴い、上層に埋められていた無名の人々の棺桶を掘り出して、乱暴に放り込んだ、そんな有様となる。一番、酷いのは五層あたりの骨の壁で、棺桶が腐ってなくなってしまい、残った骨を無造作に積み上げたという、なんとも言えない場所だ。
しかし、そんな荒れた墓地より、怖いのは。
「この第七層ってのは、そのまま地獄の最下層だって話だからな。とんでもない極悪人が入れられてるって話だ」
そう、哀れな無名の庶民の墓所とも言えない墓所を通り過ぎた第六層、七層はまた、上の聖人達の大理石作り白い墓地とは違う、独特の雰囲気がただよっていた。苔むした石が積み上げられた通路は、伝説の彼方にある化け物が封じられたという地下迷宮のごとく、複雑に通路が絡まりあっている。ところどころにある鉄や石の扉が、衛兵達の行く手を遮り、彼らでさえ、入ることを禁じられている場所もあるのだ。
「たとえば、あの鉄の棺とかですか?」
新兵は、自分達の向かう先、細い通路の行き止まりにある壁を、手に持っていたカンテラで照らした。
そこにあったのは言葉どおり鉄の棺だ。背の高い人物なのか、大男なのか、それともその両方なのか、ずいぶんと巨大な棺である。普通の物の三周りは大きい。
それよりなにより異様なのは、その歳月に赤茶けてさびた棺の表面に、幾重も巻き付けられた鎖だ。その鎖をさらにいくつもの種類のまちまちの錠前で止められている。
急いで鍵付きのそれをかき集めて止めた、そんな雰囲気がより一層、この棺の中身を外には出していけないと、鎖を巻き付けた者の狂気と、信念を感じる。
なのに、鉄の扉の向こうに隠しもせずに、こうして、地下墓所の壁に無造作に立てかけられているのだ。そう、棺は横にされることなく、壁に立てかけられたまま。つまり、中の死人は立ったままということだ。永遠に立ったままで居ろということなのか。それはそれで辛い罰だろうが。
「あの中には誰がいるんでしょうね?」
「さて、俺も知らんが、俺がお前のような新入りだった頃から、あれはあの場所にあるぞ。最初見た時はゾッとしたがな」
「確かに中に入ってるのは、相当な凶悪犯か、殺人鬼か、それとも本当の悪魔か……ってところでしょうね。兵長が新兵だった頃って、かれこれ三十年以上前からですか?」
「三十年どころか、数百年、ことによると
「千年、立ちっぱなしはゾッとしないですね」
「柱の行者様だって、そんなに立ちっぱなしじゃなかったのにな」
聖シメオンという、生涯柱の上に立って修行したという聖人の名をあげた兵長に、新兵もまた笑う。
二人の笑い声が細い墓所の通路に響いたが、そこにギィ……と何かがきしむような音が響く。
墓所には、二人以外、動く者はいないはずだ。したがって音もない。二人は、その異音に敏感に反応した。ぴたりと笑うのを止めて、お互い顔を見合わせあう。
そこに再びガシャン! と、大きな音が響いた。ガシャン! ガシャン! と立て続けに音が鳴り、二人はそちらを見て、その四つの目を大きく見開いた。
そこにあるのは壁に立てかけられた、れいの鉄の棺だ。それががたがたと揺れている。だけでなく、扉を内側から開こうとしているのだ。ガチャガチャと鳴っているのは、たわむ鎖だ。ギィギィというのは、さび付いた棺の蝶番が立てる音。赤い砂のようなさびが、棺の蓋が大きくたわむたびに、表面からさらさらと落ちて、その足下に降りつもる。
ガン! ガン! という音がそこに重なった。棺の中にいる人間が蓋を蹴り上げているのだ。鉄の棺、鉄の蓋は、普通ならばびくともしないだろうに、まるで木の板かなにかのように蓋は大きくたわむ。
兵長と新兵は声もなく抱き合い、いつのまにかうずくまっていた。棺の中に入っているのは死体と決まっている。そして、死体が生き返ることなど、あり得ない! そのあり得ないことが起ころうとしているのだ。
バキバキと鉄の鎖が木の枝がなにかのように、引きちぎられはじけ飛ぶ。ついに、最後の一つがはじけ飛んで、棺の蓋が動く。上の蝶番は長年開けられなかった年月にさびて固まって、動かされた瞬間に崩れて外れた。蓋は斜めに傾いた少々情けない格好で開いた。
中にいたのは、黒づくめの男だった。千年間封じ込められていたにしては、綺麗な身なりといえるだろう。黒い詰め襟の上着に、黒いズボン、黒いコート、首には黒檀でつくられた御印をかけている。それを見て、新兵と兵長の二人は、この男が神父だと知る。では、その神父がこんな場所に封じ込められる、どんな罪を犯したというのか?
棺から一歩踏み出した神父がゆらりゆらりとこちらに向かってくる。新兵が投げ出した床に転がるカンテラが、その顔と姿を照らし出した。長い手足から伸びる影は一層長く、まるで巨大な蜘蛛のようにさえ見えて、二人は震え上がる。
「ひいっ!」
暗黒の地下墓地で、それまではっきり見えなかった神父の顔。黒髪、黒い瞳は切れ長、すっと伸びた高い鼻、精悍な頬、薄く酷薄そうであるが形のよい唇。奮い立つような美男であったが、こんな時にはその美しさなど、恐怖を払うひとすじの光にもなりはしない。
むしろ、声をあげたとたん眼光鋭くにらまれた、悲鳴が喉にこびりつき声も出せない。
「…………」
しかし、神父は二人を一瞥したきり、その場を通り過ぎて行く。その長身の後ろ姿が、通路の角に消えるまで見送る。そして、先に我に返った兵長が、がたがた震える新兵を引っぺがして叫んだ。
「おい! 第七層の死人が生き返ったと、
二人は先を争い転がるように地上の兵士の詰め所へと向かった。
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