1月5日 代替
私は彼を画家として成功させなければいけないと思った。確固たる理由はなかったが、なぜかそう思ったのだった。あえていうのなら彼の絵を初めて見た時、不思議と鳥肌が立ったからかもしれない。風邪のかかり始めによくある悪寒のようなものを感じたのは今でもはっきりと覚えている。
彼の絵は鳥肌が立つほどのとても素晴らしい出来栄えとは到底いえるものではない。とりわけ何か特徴があるわけでもなく、細かなところに目をやると画家としてまだまだ未熟だと感じさせる部分もあり、決してクオリティーが高いというわけでもなかった。けれども気がついた頃には何かに駆り立てられたように私は彼に助言をしていたのだった。
「君、ここはもう少し人物を小さく描いて遠近感を出したらどうだね」
「ははあ」
彼はあっけらかんと私の顔を見ていた。見知らぬ人に突如として絵の助言をされたらこのような反応でも仕方ないだろう。
私はカバンに入っていたスケッチブックを取り出しておもむろに鉛筆を握る。建物をバッグにして人々が歩いている風景画を彼とほぼ同じ構図で描いてみた。彼の描いたものと違う点は助言でそうしたように人物を小さく描いて遠近感を出したところだ。
「できた。こんな感じでどうかね」
「ええ、確かにこっちの方が自然な感じがします。とてもお上手ですね。もしかして画家の方ですか?」
「まあ、そんなところさ。最近は自分の絵はあまり描けていないけれども。学生に絵を教える仕事ということもあってなかなか自分の絵に向き合う機会も減ってしまったよ」
「あの失礼を承知で申し上げますが、私に絵を教えていただけないでしょうか」
「いいとも。まずこの部分なんだが、こうしてみては――」
それからというもの、私と彼とのレッスンは始まった。彼は私の助言に素直に耳を傾けて、みるみるうちに技術を吸収していく。ついには私の助言なくともまずまずの出来の絵をつくり出すこともできるようになったのだった。彼は画家として少しずつではあるが、細々と生活するには困らないほどの金を稼げるようになった。彼はその金の一部をお礼にと言って、事あるごとによこそうとするが、私は全く受け取らなかった。私自身、好きで教えているだけだ。何も金を取ろうと思ってのことではない。そもそも最初に話しかけたのは私の方ではないか。君は何も気にする必要はないと私が言うとほんの少し不服そうな顔していたが、一応は納得してくれたようだった。
それから数年が経過して、彼は本格的に画家として活躍している。美術館には彼の絵画が展示されるまでに成長していた。そして時折、私の勤める学校に来ては共に学生たちに絵画を教えている。
「アドルフ君、今日もありがとう。学生からも君の評判はかなり良いよ。そういえば来月、個展を開くそうじゃないか。おめでとう」
「ありがとうございます。これも先生のおかげですよ……なんだか外が騒がしいですね。なんでしょう?」
アドルフは絵ばかり描いているからめっぽう政治に関することには疎いのだろう。私が説明しようとしたところで、外の音は一層強まった。
「勝利万歳! 我らが総統万歳! 祖国万歳!」
彼の絵を見た際と同じ悪寒のようなものを感じたのはなぜだろうか。
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