1月3日 黒い目
深夜二時、視線を感じて目が覚めた。ゆっくりと起き上がり、灯りをつけて辺りを念のため確認する。見回してみるも特に不審な点はない。カーテンをわずかに開け、そこから外を覗き見てみるも特に何の異常もなかった。近くの幹線道路で自動車が通る音がかすかに聞こえる程度でいたって静かだ。
昔、寝ている間に空き巣に入られたことがあって慎重になりすぎているのかもしれない。とはいっても女性のアパート一人暮らしなのだから用心して損ということはないだろう。おまけにこの物件はオートロックがついているわけでもない格安アパートだ。数か月前には帰宅時に私の後をつけてくるようなストーカーまがいの者もいたくらい。
喉が乾いた。起きたついでに水でも飲むことにしょう。ウイスキーのストレートをチェイサーなしに飲んでしまったからか、いまだ時間が経っても酔いが抜けていない。頭もぼうっとしている。キッチンに向かい、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出し、グラスに注ぎ入れる。水を口に含んでゆっくりと飲み込むと、喉から胃、腸という順にたちまち身体中が冷えていくような気がした。
グラスを置いたところでまた視線を感じた。恐る恐る後ろを振り向く。
しかしそこには無論、冷蔵庫と電子レンジがあるだけだった。気のせいだろう。そっと胸を撫で下ろし、水の入ったボトルを元あった場所へ戻す。
そうして冷えた手をさすりながら再びベッドに戻る。そして照明のリモコンを手に取ったところであることに気づいた。
真っ黒な目がこちらをじっと見つめていた。
恐怖のあまり声は出ない。ただ茫然とその目を見たまま硬直してしまう。
吸い込まれそうなくらいに黒い目は手のひらほどの大きさもある。ふさふさとしたまつ毛をしていて、時折ぱちくりぱちくりと瞬きをしている。得体の知れない黒い目は部屋の片隅に置いてあったミカン箱からただ一つ生えているのだった。それは左目にも見えるし、右目にも見えるような気もする。
「……なんなの?」
恐る恐る蚊の鳴くような声で問いかけるが返答はない。
その代わりに目つきが変わった。私をあざ笑うような目でこちらを凝視している。
「そんな目で見ないで」
私にさんざん嫌がらせをしてきた憎き同僚の目のようで、思わず視線をそらしてしまう。不気味なこの物体から逃れようとすぐさま立ち上がる。そしてキッチンを通りかかった時だった。
黒い目は冷蔵庫からこちらをじっと見つめていた。
背中に嫌な冷たい汗をかき始め、呼吸も荒くなってきた。吐き気までもよおしてくる。急いでトイレへと駆け込む。
便器のふたを開けると――便器を覆いつくすほどの大きな黒い目が現れた。
「きゃっ」
瞬時にふたを閉める。私はすっかり腰が抜けてしまい、這うようにして玄関まで移動する。そして靴も履かずに裸足のまま家を飛び出した。それでも黒い目は私をじっと見つめ続けている。ブロック塀には無数の黒い目が私を凝視してやまなかった。
走っても走っても黒い目から逃れることはできない。
以降、私の記憶はなかった。無我夢中で走り続けたことだけしか覚えていない。気がついた頃には朝、家のベッドに倒れ込むようにうつぶせになって寝ていたのだった。辺りを見回しても昨日のことが嘘のように黒い目はどこにもない。遮光カーテンの隙間から朝日が差し込み、部屋にあったテーブルを明るく照らしている。大きなあくびをしながらソファーから立ち上がる。すると床にあった何かを踏んづけた。
「ん?」
落ちていた注射器を拾い上げ、腕にあった無数の注射痕を見て気づくのだった。
ああ、そうか。あの黒い目を見たのはこれが初めてではなかったのだと。
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