1月2日 落とし物

「お巡りさん、ありがとうございます。大切な指輪だったので助かりました」

 女性は頭を下げてお礼を言い、にこやかに交番を去っていった。

 交番に勤務していると、時おり落とし物を親切に届けてくれる人がいて、さらにこうして受け取りに来る人がいる。今回のように幸いにも落とし物が持ち主の元に戻るケースもあるのだが、多くの場合は遺失届を出しても見つからなかったり、警察に落とし物が届けられていても持ち主が受け取りに来なかったりすることも多々ある。落とし物でよくある品は財布やスマートフォン、帽子、手袋などだ。

「すみません。落とし物をしてしまったのですが」

「はい。こちらで伺いますよ。どうぞおかけください」

 交番中央にある椅子へと案内する。そして遺失届を取り出し、机の上に置く。

「こちらにご記入いただけますか」

 男は氏名、年齢、生年月日、遺失日時、遺失場所などの必要事項をすらすらと記入していく。そして物品の記入欄まできたところでペンが止まった。頭を抱えて男は考え込み始める。

「どうかされましたか?」

「ええと……何を落としたのか忘れてしまったのですが」

 警察は忘れてしまったことの記憶までは探す出すことはできない。何を忘れたのか当事者がわからないのなら協力するのも難しいだろう。

「それは困りましたね。落とし物を思い出していただかないとこちらも対応できかねますが」

「確かにそうですよね。はあ、何を落としたのだったかな」

 私は男が途中まで記入を終えた遺失届を確認しながら話す。

「落とした場所が三丁目の交差点付近と書かれていますが、ここで何をしていたか思い出せばもしかしたら、何を落としたか思い出せるかもしれませんよ」

「何をしていたのだったかな。確か昨日の夜は仕事仲間との飲み会が終わって家へと帰っていた時に、あの三丁目の交差点を通ったはずです。特にその後は用事もなかったので、そのまま家に向かったはずなんですけどね」

 落とし物をしたことだけは覚えていて、何を落としたかを忘れるなんてことがあるのだろうかと、疑問に思っていたが、アルコールが入っていたとなると、そういうこともあるかもしれないと自然と腑に落ちる。

「どの段階で自分が落とし物をしたと気づいたのですか」

「それが、その……今朝目が覚めたら大切なものを何かを落とした気がすると思ったんです。だからこうして交番に来たわけなんですが、落とした物が何なのかわからないのではお巡りさんも困りますよね。すみません。また出直すことにします」

「ええ、承知しました。その際はまた伺います」

「それでは」

 そう言って男は丁寧に頭を下げて立ち去っていく。私は彼の後ろ姿を静かに見送る。

 気がつけばもう夕暮れが迫る時間となっていた。交番の近くの道路を走る自動車は先ほどの男を前照灯で明るく照らしている。

 遅ればせながら私はここで男が何を落としたか瞬時に理解した。ライトに照らされても影ができない彼は、自身の言う通り本当に大切なものを落としてしまっていたのだ。

 私は一人ぽつりとつぶやく。

「それは無理ですよ」

 それは――落としたものを届けてくれる人もいなければ、警察で探し出すこともできないもの。

 『命』を落とされたらどうしようもないではないか。



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