第2話 大阪府立S看護学校



 私たちの学校は大阪の郊外のニュータウンの中の医療センター内にあり、私が今勤めている由緒正しい財団の系列病院の建物の三階部分がそうだった。だが、実習は私たちはこの病院を使えない。二部のコースの学生が使うためだ。二部とは准看の看護師が正看の資格を取るために、午前中授業、午後から病院勤務の働きながら二年行くコースだ。

 制服を着ていれば見分けはつかないが、准看と正看とはどうちがうのか?准看は知事が与える免許で、正看は昭和23年制定された保健師助産師看護師法によって定められた国家資格で、厚生大臣の免許である。正看の受験資格は三年の専門学校以上が条件である。地域を巡って馴染みのある保健婦さんや、助産婦さんは専門学校を出て、さらに一年のコースに行かねばならない。看護大学卒業の者は看護師、保健師ないし助産師の資格が合わせて取れる。準看は中学校卒業、二年間の准看の學校で受験資格が取れる。学校は病院に付属しているか、医師会立が多く、看護助手のようなかたちで働きながら行けるように配慮されている。やる業務に差はないが、何より給与、待遇に差がある。

 元々、看護学校は病院の付属の養成所として出発している。戦前は、働きながら学べる数少ない場所だったのだ。貧しい農村の子女が手に職を持って自立できるまたとない機会であった。また、戦中は戦争の激化に伴って大量の従軍看護婦がいった。国は教育期間を短縮し、陸軍付属の看護學校を作ったりした。

 

最近は医療の高度化で看護学校の大学化が進んでいる。大学院も全国で42もあるようになった。看護教育の高度化が進んでいるのである。看護婦(師)の歴史も時代と共にある。男性がなれないわけではなかったが、圧倒的に女性の職種とされ、「看護婦」と呼ばれてきたが(男性は看護士だった)、男性も増えてきて2003年に「看護師」に呼称が統一された。

 看護教育の高度化に伴って、最近、病院でも名札を見られると思うが、認定看護師や専門看護師の資格ができている。認定看護師は看護経験五年以上で六ヶ月以上の講習を受けた者、専門看護師は大学院修士過程で教育を受けたことが与件とされている。日本看護協会の認定を受ける。専門看護師は五年ごとに認定の更新を受ける厳しいものだ。専門分野のコンサルテーションを行う。病院によっては医師と同じような部屋が与えられている所もある。


 面白いことに、このような高度化、専門化の流れの中で、看護師の地位向上を掲げる日本看護協会は准看制度は〈日本にしかない制度〉として廃止を国に要請しているが、看護師不足や人件費の高騰に悩む病院側や、医師会は猛然と反対している。

 看護師として就労しているものは120万人と云われているが、三分の一の40万人が准看資格者である。准看から正看になった人も多いから准看資格取得者はかなりな比率を持つことになる。

 看護師不足は外国人看護師養成の受け入れが始まったり、時代の流れとともに、その養成、教育制度は混乱、複雑を極めている。准看から正看へ移行できる二年コース(二部)は、准看の人には大切なコースなのだ。


 高齢化に伴って介護保険法の下、訪問介護がはじまり、平成9年介護支援専門員(ケアーマネージャー)の資格もできた。看護師以外の専門職(社会福祉士、理学療法士、介護福祉士等)でも取れるのだが、看護師資格者が半数以上をしめている。看護師は病院の中だけでなく、そのフィールドを広げた。又、子供を産んで夜勤のない就労の道も広がった。

 フランスでは開業ナースが看護師の15%を占め、医師の処方箋にもとづいて医療行為を行い、相談業務、介護や福祉と連携を持ってより自由な形で地域のなかに存在している。日本ではこれに近いのが訪問看護ステーションであるが、開業ナースの声がその内あがってくるだろう。社会保障に占める医療費の問題、医師不足、医療と介護の障壁の解消、看護師の活躍の場はもっと広がっていいのではないか。

 やっと、看護師の重要さや、その社会的機能が認め始められたのだから、そのためには、制度の改革も必要だが、何より患者さんはじめ、人々の信頼を得ることが大事だと、私は思うのだ。そんな覚悟で学んでいるのに、現役の若い娘たちは〈彼〉のことしか話さない。


***

 そんなわけで、不便だが、私たちは隣のM市にある市民病院か、大河内医療法人が経営する大河内病院を実習場所にしている。大きな病院といえばM市ではこの二つで、たいていの人はどちらかを利用する。市民病院は老朽化し、設備も古くなっているのに、大河内病院は近代設備を誇り、医療機器にも最先端のものが導入され、サービスにも定評がある。例えば食事だが、かなり前から、温かいものは温かいまま、冷たいものは冷たいまま出すようになっている。

 その装備をセットされた無人ロボット車が、厨房からエレベータに載ってナースステーションまで磁気でも塗られているのだろうか、金のテープをなぞってやってくる。よほど珍しかったのか、〈おとうさん〉キョロキョロと人のいないのを確認して、そのロボット車の前を〈とうせんぼ〉した。「シゴトチュウデス、ジャマヲシナイデクダサイ」とロボットに言われたのを、通りがかった花子が見た。「〈おとうさん〉ロボットにまでバカにされていたよ」と話してくれた。

 大河内病院は介護事業も積極的に展開し、評価は旧態依然の市民病院と入れ替わり、M市における地位を不動のものにしつつあった。

 

一学年50人のクラスが二クラスある。私たちは一組で、成績はクラスで一番は玉ちゃん、二番は私だ。頑張っても玉ちゃんにはかなわない。〈おとうさん〉は三番から五番の間。ミスがなければ一番かも知れない。オザッキーは10番内には入っている。高島花子は、私や玉ちゃんを脅かす成績の時もあれば、追試で四苦八苦のときもある。定まりがないのが花子流だ。大谷はやっと真ん中ぐらい。社会人の平均点をひとり下げている。社会人組は成績では現役組を圧倒的に凌駕している。


二組の社会人組は、ご主人を癌で亡くし二人の子供を抱えた明美さん、38才。隣組の一番である。〈おとうさん〉はこの明美さんに気があるみたいだ。電車で一緒に帰るとき、しきりに窓の外を見ている。踏切の向こうに、二人のお子さんの手を繋いだ明美さんの姿があった。私は知らんふりをした。

他に大学を中退してきた友ちゃん21才。看護學校ではなく、相撲部屋に行くべきだと思う大介君、28才。大谷の高校の後輩清水さんなんかがいる。

 職員室は全員看護師資格を持つ女性ばっかりで男性は一人もいない。チョット異様な光景。校長だけが男生で、ドクターの資格を持つ。看護学校の先生になるには、看護師経験五年で、教員養成所で10ヶ月程度の講習を履修しなければならない。お子さんが出来て夜勤が大変になった人には丁度いい。年齢がいって現場がきつくなった先生もいる。

看護師教員以外に専門のドクターが提携病院から講師として来る。例えば「脳外科」「循環器」「内科」とかの専門科目がそうである。

「心理学」とか「化学・生物」とかは大学院生なんかのアルバイト講師で安くあげている。他に理学療法士、社会福祉士等の専門資格を持つ人がそれぞれの科目の講師としてくる。


***

 一年生で一番授業時間数が多いのが「解剖生理学」で、私たちは中国国籍の女性ドクターに教わった。中国国籍の医師資格は日本では医療行為はできないのだ。「格調高い講義だ」と〈おとうさん〉はこの先生のファンだ。時々、たどたどしい日本語になるとき、若い娘たちは笑う。こんな時、〈おとうさん〉の顔色は変わっている。

「人間は自分の身体についてこんなにも知らないのかと思った、一番大事なものなのにね。生物の科目の中だけでなく、ちゃんと『解剖生理学』として、高校の必須科目にすべきだ」が〈おとうさん〉の意見だ。

筋肉の名前、骨の名前全部覚えなければならない。最初のテストはそうだった。〈おとうさん〉の意見も分かるが、これ以上受験生に肩がこることや、骨が折れることを要求するのも可哀想だ。


 でも大切な科目だと思う。人間はpH(ペーハー)0,1の閾値の中で生きていると解剖生理で習った。pH、水素イオン濃度のことです。1~14まであって、pH7が中性で、数字が7より小さいと酸性、大きいとアルカリと習いませんでしたか。人間の体液は7.3~7.4の間にあり、弱アルカリよりなのです。

人間は海からやってきたと云いますが、太古の海のpHがこの濃度なのです。この閾値を越すと人間は変調をきたし、ふれが大きいと死んでしまいます。このバランスをとっている物質がナトリウムとカリウムです。ナトリウムは食塩という形でとりますね。塩分のとりすぎは血圧を上げるといいますが、ナトリウムやカリウムは筋肉や血管の収縮に重要な働きを持っています。カリウムを注射すると〈楽に死ねる〉と言うのはこんなところから来ているのです。

「pH1の差以内で、たった1の中で生きてるの?お酢の飲みすぎなんて恐い」と私が言うと、「pHは水素イオン濃度の逆数の常用対数で表しているから、2とは10の2乗のことで100倍の濃度差ということになる」と〈おとうさん〉が説明してくれた。「常用対数ね」、習った、習ったことは覚えているが、中身はインド洋の遥か彼方、花子じゃないがアフリカあたり…。ともかく人間は僅かな閾値の中で生きている繊細な生き物なのだ。


入院した、しないは別にして病院を知らない人はまずいない。どんなエライ人でも必ずお世話になることがある。それが「白衣の天使」看護婦(師)だ。では、看護学校を知っている人は?看護学校の中に入った人は?ガクンと少ないはず。私たち看護師がどんな科目を勉強し、どのような実習を経て看護師になるのかを知ってる人?ドクターだって正確に知らない。彼らの中には「医療を中途半端に学んできた人」と思っている人もたまにいるのだ。

 この機会に看護学校學校でどんなに努力?をしているのか知って、看護師に優しい言葉をかけて欲しい。患者さんやご家族の「ありがとう」の言葉ほど、私たちを元気づける言葉はないのです。たちまち夜勤の疲れなんか吹っ飛んでしまう。

「あー、それはヘンダーソンの理論ですか?」なんて話しかけて、美人看護師にお近づきになるチャンスだって出来るかもしれない。


基礎科目:生物学、心理学、生化学等そして解剖生理学、病理学を学びます。

看護学:基礎看護学(看護技術、臨床看護総論)小児、成人、老年看護学と成長別に、そして外科看護学、母性看護学、精神看護学、リハビリテーション看護学、そしてターミナルケアーがあります。

成人看護学がメインになり、疾患別に、例えば呼吸器、循環器、運動器疾患、・・・目、歯、口腔、耳鼻咽喉等病院の診療科みたいな科目が並び、科目数も一番多いのです。疾患の医学分野は専門のドクターが、看護分野は看護学校の先生が受け持ちます。

他の専門科目:薬理学、公衆衛生学、栄養学、放射線医学等があり

概論的なものに:医療概論、人間関係論、社会福祉、介護、国民衛生の動向等、実に幅広く学ぶのです。

臨床看護総論は急性期、慢性期、終末期別の看護のあり方を学びます。基礎技術は文字通り、清潔や安楽等の概念と技術を学びます。安楽には移動、安楽な体位の保持、清潔は文字通り、包帯の巻き方、髪の洗い方等です。

実習は原則、一年生は学内実習、二年生で二回病院実習があります。一回目は一週間。二回目は基礎実習と称して、二年の三学期に四週間あります。三年になると週一日は学校で、後は全て病院実習になります。


***

 学内実習はこの基礎技術のテキストにそって進められます。最初はまず、ベッドメーキングです。白いシーツでベッドのマットを包むわけですが、シワ一つ許されません。畳んでいたセンター線も真っ直ぐでなければなりません。四隅を上手に畳み込むのがポイントなのですが、一人でやるとなると中々上手くいきません。

 実習は一つ終わると必ず実技テストがあります。パスするまで何回でもやり直しです。落ちたものは、昼の休憩時間、放課後、練習に励まねばなりません。自信が出来たところで先生に再度見てもらうという次第です。一回でパスするために、テスト前には実習室は事前練習で一杯になります。〈おとうさん〉は実習を一回でパスしたことはまずなし、二回、三回と、一番最後まで頑張っているのは何時も〈おとうさん〉です。


一人でやれる実習はいいのですが、看護役、患者役がペアーになってしなければならない場合が多いのです。寝衣の着せ替え、車椅子からベッドへ、反対にベッドから車椅子への移乗、入院患者さんの洗髪等です。

 何故か私のお相手はたいてい〈おとうさん〉。寝衣は浴衣式のもので、新旧の寝衣を、肌を見せることなく、手際よく着せ替えるのです。患者さんを半身の体勢に体位を変換させてやるのですが、袖から手を抜き、袖を通すのが中々むつかしいのです。上手に肘を折畳むのがポイントですが、患者さんは寝たままで手は自分では動かしてくれません。袖幅に肘がつかえてしまうのです。〈おとうさん〉それでも私の腕を強引に、「痛い!」思わず声を出してしまった。もー、バッテンです。「次回やり直し!」先生の無情な声が実習室に響きわたります。

 洗髪のとき、ベッド上でやります。水をこぼしてベッドを勿論濡らしてはいけません。時間がかかりすぎると風邪引きの原因になります。ドライヤーで乾かし、櫛で整えるまでを時間内でやらねばなりません。時間ギリギリ「出来たで、ナミさん!」。私の目は石鹸の泡が入って兎の目。先生に見えないよう俯いていました。

 車椅子からの移動では、私を振り落とすわ、散々。これだけではおさまらない。この後、再テストの練習モデルは私。「慰謝料及びモデル代頂戴、〈おとうさん〉!」

 陰部洗浄という実習がある。まさか、これはペアーで、交代でするわけにはいかない。それ用の人形がある。廊下の窓から実習室を見れば、〈おとうさん〉が居残って事前練習に励んでいる。寝かせた人形を前に一つ作業を終える度に、「よし!」と指差し確認、次に移って、また、「よし!」の声。もはや、笑いを通り越して泣けてきた。

この人形の代わりはできないが、これからも練習モデルのお付き合いをするしかないと思った。


 実習の時の忘れ物は致命傷、寝衣を忘れた、バスタオルを忘れた、口腔ケアで歯ブラシ忘れた。その時間は見学、実習によせてもらえない。次のテストは減点からスタート。座学では追試の追試、受かるまで追試、追試と言えない追試があるほど甘い学校なのに、実習にはやたら厳しいのだ。

 実習前の服装、ボディチェックは勿論ある。制服は汚れていないか、皺はよっていないか、ボタンは取れていないか、爪はきれいに切れているか、マニキュアは落としてあるか、頭髪に乱れはないか。女性なら化粧の濃淡まで言われる。

この化粧で濃ゆいと注意されるのが高島花子だ。次の時間、スッピンできたら「口紅ぐらいつけなさい!」だ。〈おとうさん〉には実習前のその前チェックがいる。これも私役だ。社会人みんなで〈おとうさん〉を応援しましょう。言ったのは玉子。するのは何時もわたし。実習でよく使う物は二セットロッカーに用意した。


でも、実習で〈おとうさん〉がかっこよかったことが一度あった。場面は胃がんの患者さんの術前説明だ、医師役、看護師役、患者役の三人一組みで演技を競う。私のチームは医師〈おとうさん〉、看護師は私、患者役はオザッキー。自分たちで想定してセリフ回しを考え、アドリブオッケーだ。要は患者に安心感を持って手術に臨む気持ちになってもらえればいいのだ。

 医師は手術の内容を説明し、看護師は手術に要るもの、ご家族の待たれる場所等の注意事項を与える。患者役はその流れに沿って、不安から安心に心が移っていくさまを演じるのだ。持時間は何分と決められている。中々、面白い実習のやり方であった。この時の〈おとうさん〉の白衣を着た医師振りは、スタイルよし、説明明快、貫禄十分、あれなら患者さん安心して手術にいけるだろうと思った。

 私はそつなくこなし、面白かったのはオザッキーの患者ぶり、今にも死にそうな表情から、希望を持って手術に臨む覚悟の顔に徐々になっていく、上手いアドリブで笑いを取って、私たちが一番の評価。

見ろ、若い娘たち!社会人の実力を知ったか。でもこの時の〈おとうさん〉は全く別人だった。あとで聞くと、何年か前に実際に胃がんで全摘の手術をしたとのこと。そりゃー、臨場感ある場面が描けた訳だ。〈おとうさん〉が看護学校来た理由、ひょっとして関係あるのかも?


***

看護はすぐれて実践的なものだ。実習の時間が多く、厳しく指導されるのは当然のことである。「解剖生理学」全然では、医者が何をいわんとしているかさえ理解できない。ましてや患者さんの愁訴がどこにあるかの推測すら不可能だ。八宝先生は言った。「患者さんの細胞が今、何を語っているのかを想像するような看護をしなさい」と。

〈おとうさん〉は「解剖生理学」だったが、私は、時間数は少なかったが「看護理論」という科目が好きだった。手技に優れていても、解剖生理や疾患の知識がいくらあっても、相手をするのは病気の人で、何人もの亡くなる人がいる。そんな現場で、自分が看護師として、良き看護師としてめげず、続けて行くにはしっかりした看護理論が必要だ。いわば、看護師のバイブルみたいなものだ。


 このバイブルをどれにするかでその学校の教育方針が決まる。有名なものとしてフローレンス・ナイチンゲール(1820~1910)の『看護の覚書』がある。私の学校はヘンダーソン(1897~1996)の理論に立脚している。クリミヤ戦争で敵味方なく負傷兵を助けた「白い天使」として、ナイチンゲールを知らない人はないだろう。

 ナイチンゲールは裕福な家庭に育ち、父から幅広い英才教育を受けて育った。貧しい農民の現状を見て、人々に奉仕する仕事に就きたいと思うようになって、看護を習い病院に勤めた。母や妹は猛反対であった。当時、上層階級からは看護の仕事につくものは専門知識もなく、低俗な不道徳な職業と見られていた。また、実際そのような側面は存在した。クリミヤ戦争での自国の負傷兵の悲惨さを知って、ナイチンゲールは看護団を組んで戦地に従軍を志願した。

 彼女がまず見たものは、兵舎病院の不衛生さであった。現場では彼女らに抵抗する勢力もあったが、上層階級出身の彼女は、戦時大臣ともコネクションがあり、相手をいとわない直言力や実行力を持って衛生状態の改善や、病院の改善をなしとげ、驚くべき死亡率の低下の実績を上げ、本国での名声を得た。

クリミヤでのそのけなげな働きぶりから、「クリミヤの天使」「白衣の天使」と呼ばれた。看護婦が「白衣の天使」と呼ばれる所以はここから来ている。


『看護の覚書』では《看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさを適切に保ち食事を適切に選択し、管理すること・・こういったことの全てを、患者の生命力の消耗を最小にするように整えることを意味する》とし、人は自然治癒力を持つ存在とし、衛生的なよき環境を与えることが大切としている。

いかにこの時代、衛生観念が欠如し、感染症が幅をきかし、ナイチンゲールはこれと格闘したかがわかると思う。良き看護婦とは「鋭い観察力」と「よく動く手」持ったものと言っている。

 そして、看護教育の重要さを説き、ナイチンゲール看護学校を設立している。あまり知られていないが、看護の実践に携わったのはクリミヤの三年間で、この時の疲労がもとで、以後50年は病床で過ごしている。病床にあっても数々の著書を表し、政府に統計資料を提供している。近代看護教育の母として称えられているが、イギリスでは統計学の生みの親としても称されている。ヘンダーソンの看護理論も、この『看護の覚書』を発展させたものだ。


 ナイチンゲールの覚書も素敵だが、私はナイチンゲールの言葉が好きだ。「白い天使」ではなく「戦う天使」の性格が分かってもらえると思う。

〈天使とは美しい花をまき散らすものではなく、苦悩する者のために戦う者のことだ〉

〈私の成功のもとはこれだ。決して弁解したり、弁解を受け入れたりしないことだ〉

〈私は地獄を見た。決してクリミヤを忘れない〉

〈人生でもっとも輝かしいときは、いわゆる栄光の時でなく、落胆や絶望の中で、人生への挑戦と未来への完遂の展望がわきあがるときだ〉

 最後極め付きは〈人生とは戦いであり、不正との格闘である〉。ああーこの時代の女性は、まず、男たちと戦わねばならなかったのだと思った。他にも好きな言葉が一杯ある。面白いモノに〈人間、自分の命より大切なものが多くなると、気苦労が多くなる〉なんてぇのもある。命より大切なモノいっぱい欲しい。〈愛〉〈男〉〈お金〉燃えさしてぇ~!


 気持ちがめげそうになったとき『〈千分の一〉のナイチンゲール』になろうと思う。「ナイチンゲールもヘンダーソンも無理、とっても出来ない」と私が泣いたとき、〈おとうさん〉が慰めて言ってくれた言葉だ。

ナイチンゲールは生涯独身であった。「今年で30歳になる。キリストが伝道を始めた歳だ。もはや子供っぽいことは終り。無駄なことも、恋も、結婚も・・。主よ、あなた様の意志のみを考えさせてください」と言っている。私は40才でまだ、子供っぽいのだ。いいのよ、しょせん「千分の一」なんだから。


***

バージニア・ヘンダーソン。この名前を三年間どれだけ聞いたことか。ヘンダーソンは兄弟が第1次世界大戦に従軍したため、自分も何かの役割と、アメリカの陸軍看護學校で学んだ。その後、コロンビア大学で学び、コロンビア大学看護学部の教員になっている。

 ヘンダーソンの看護理論はマズローの心理学の影響を受けていると言われている。マズローは人間を欲求(ニード)の階層で出来たピラミッドとみなした。下から(1)生理的欲求、(2)安全の欲求、(3)所属と愛情の欲求、(4)自尊の欲求、(5)自己実現の欲求、というふうに、積み上げられていく。人間の成長段階を考えて見ても同じだ。

 赤ん坊の時はミルクを欲しいと泣き、オムツが濡れて気持ちが悪いと泣く、全くの生理的欲求の塊である。幼児になって、火はやけどをするし、おコッチたら痛いと覚える。学校に行くようになって、仲良しグループが出来、両親の愛情の庇護の中にある。上級学校に進み、自分を一人前と認めて欲しいと親にアピールする。反抗期がこれにあたる。そして、学校を卒業し、親から離れ自分の家族を持ち、仕事を持って自立した存在として社会と関わる。


 建物の土台が崩れると、その上の部分も崩れてしまう。下の欲求がある程度満たされて、初めてその上の欲求を充足することができるようになる。ヘンダーソンはこれを14の基本ニードに簡潔にまとめている。

(1) 正常な呼吸 (2) 飲食 (3) 排泄 (4) 移動と体位の保持 (5) 睡眠と休息 (6) 脱衣と着衣 (7) 体温の保持 (8) 清潔な皮膚 (9) 安全な環境 (10) 他者とのコミュニケーション (11) 宗教 (12) 達成感のある仕事 (13) 遊びやレクレーション (14) 自己実現である。もうチョット解説をさし挟んでいるのだが、長くなるのでやめる。でも、分かって貰えると思う。

 患者はこれらのニードの不足した人とみて、この基本的ニードの充足を助けるのが看護(ケア)だとする。ニードに対する援助は、医師の治療と並ぶべきケアであり、治療だけでケアがなければ患者は基本的ニードを満たすことが出来ず、生活の流れは絶たれる。ケアは治療にとって欠くことができないものとする。この援助活動は単なるお世話ではなく、生物化学的、心理学的、社会科学的知識と技術を要するのだと、ヘンダーソンは言う。ヘンダーソンは大学院で心理学や生理学等を学んでいる。ああー大変だ。気がヘンダーソンになりそうだ。

 (9) までならわかるけど、(10) 以降もお助けするの。「勝手にやってよ」と思った。例えば、(10) 喉頭がんで手術した人、(12)アル中の患者さん、(13) 手足に障害を負った人、(14) 鬱や精神を病んだ人を考えてみて、「看護師でも、私関係ないもんね」と言えるだろうか?看護の領域は広いのだ。ヘンダーソンは敢えて言う。「看護婦は欠けたるところの担い手」になりなさいと。「孫の手になったらええんやろぅー」と大谷はヤケクソ気味に言った。


***

この他に看護理論としてはロジャーズ、ロイ、オレム、トラベルビーと色々ある。ようは、(1) 人間をどう捉え、(2) 病人をどう定義し、(3) その違いによって、看護の意味が違ってくるのだ。最近読み直して「面白いなぁー」と思ったものに、レイニンガーがある。彼は、人間はその文化の中で病むという。

 例えば、日本では外に出て冷たい風にあたった〈風邪〉であるが、西洋医学ではウィルス感染による「非特異的上気道炎」と捉える。病気(やむ)と疾患の違いである。よって固有の文化を理解して看護に当たることが看護には大事になる。最近のように外国人が多くなってきたら・・そういうときが多くなった。イスラム教とヒンズー教はどう違ったのだっけ?世界史の勉強大事です。


 ナイチンゲールやヘンダーソンは、病人を回復過程にある人として捉えたが、全く回復の見込めない病気が増えてきた(感染症から、悪性腫瘍のように原因がはっきり分かってきた病名が増えたともいえる)。

 それに、病んでも〈生きる意味〉を問う患者さんにどう寄り添えばいいのか?トラベルビーは、(1) 患者と未知の人として出会い、(2)その抱える問題を知り、(3) 患者の気持ちになり、(4) 共に苦しみ、(5) 打てば響く関係を患者と持つべきであり、そうした看護師の支えを受けることで、初めて患者は自分の病に積極的な意味を見つけて行くことが出来ると書いていた。胸が熱くなった。そんな看護が出来たらどんなにいいだろうと思ったのだ。たまには、理論を読み、原点を思い出すのもいいものだ。


 ちょっと理論を応用して上手くいきだしたことがある。パブローの理論だが、患者は看護婦(時代を考慮して婦にしてある)にどんな人間を求めているか?(1) 未知の人として出会い、(2) 幼児を世話する母親がわり、心を一にして回復をめざす、(3) やがて若者と指導者の関係になり、(4) 患者は回復し大人と大人の関係になる。「その時々の患者が求める役割をあえて受け入れて演じよ」という考えなのだ。

 時には母のように♪、姉であったり、妹であったり、娘になってみたり、恋人的になってみたり、娼婦にはなれないけれど…これってけっこう効果があった。私って演技派なんだわ。男性看護師が増えてきた昨今、「男性看護師の役割」とかパブローの理論に追加修正が要りそうだ。オザッキー、新しい看護理論書いてよ!看護学校の先生になったんでしょう。


 看護にとって、人間関係や、心理学的重要さはわかって貰ったと思う。これらの授業は講義と云うより、グループ学習のディスカッションが多かった。多分、教える方も教へづらくて、グループ学習に振った感じがしないでもない。これをオザッキーは極端に嫌った。

 社会人と若い子、何処まで口を挟んだらいいのか、喋り出すと社会人の独譚場、遠慮すると若い子は喋らず先に進まない。人間関係、心理学的側面、やはり社会人組に一日の長がある。いらついて、つい口出ししてしまう。

 この辺は、先生経験のある玉ちゃんは上手い。みなに上手に質問を振っていく。答えが帰ってくるまでじっと待つ。「・・・と言いたいのね」と答えをホローする。わかっていても急にはマネ出来ないもの。何でも長年の訓練がいる。「彼がね、彼が・・・」と、男の話なら休憩時間に口いっぱいに話すのに、「かんじんなときに話せないなんって」とオザッキーは怒っているのだ。


 看護理論の授業に感動していたら、高島花子は「看護婦は医者の召使い。患者の使い走り。現実はそうなんだから」と、白けた言葉を口にした。ともかくこの子は変わっているが、その手技は見事だ。先生がやったことは一発でマスターしてしまう。注射の実習がある。〈血管君〉というゴムの管が埋め込まれた練習台で練習をするのだ。最後にペアーで〈打ちっこ〉をするのだが、手が震えてしまう。

 私はいくらなんでもこの時だけは〈おとうさん〉を避けた。うまく言って花子に代わってもらった。花子のその見事なこと、一発で決めた。全然痛くない。〈おとうさん〉とペアーになったオザッキーの顔ったら、目をきつくつぶって、横むいて血の気が失せている。でも、〈おとうさん〉も一発で決めた。オザッキーは安心の深~いため息を吐いた。

花子云う、「怖がったら相手も怖くなる。血管突き抜けったって相手の手ぐらいに思って狙いを定めてプスっと。快感やでぇ~」。「よし相手の手や」と花子の腕にプス!快感で決まった。今は、看護師資格をまだ持たない看護学生同士の〈うちっこ〉は禁止されているらしい。〈血管君〉だけの練習で、最初に打たれるのは誰だ?


***

 高島花子はバイク通学で、そのバイクは派手なもので、ハーレーダビッドソンとか云った。大谷いわく300万円はするらしい。そんな花子が退学処分になりかけたことがある。

 入学して連休が終わった頃、一泊の宿泊研修で、バスで行ったことがある。研修と言っても皆は遠足気分だ。花子が酒を持ち込んで車座になって何人かが飲みだした。花子にしたら会社の一泊旅行のぐらいの乗りだったのだろう。

 知った学級委員の玉ちゃんが取り上げて(私も一緒に行った)、宴会にはならずに済んだ。でも〈ちくる〉奴が必ずいるもんだ。引率責任者の吉増ヨシエ先生が飛んできて、酒を持ち込んだ主犯探しを始めた。あだ名はヨッシー。定年近いお歳なのだが、老いて益々の口で、この先生をまず好く生徒はいない。


花子が手を上げそうになったとき、玉ちゃんが私ですと名乗った。「果物の絵が書いてあったので、ジュースかと思ってバスの中で、皆で飲もうと思って何個か買ったのですが、飲む機会もなく持ち込んだのです。花子さんに『玉ちゃんこれ缶酎ハイやで』と言われたのをすぐ捨てればよかったのに、持って帰ろうと思って置いていた私が悪いのです。もし退学処分なら私に出してください」と云った。

 一年の学級委員は入試の成績がトップの者がなることになっていた。選挙で決めるのは二年からである。こう言われれば玉ちゃんを処分するわけにもいかない。以降、花子は玉ちゃんの言うことには絶対服従した。玉ちゃんは三年間学級委員を勤めた。

 六月にはこんな事件があった。授業中やたら救急車の音がすると思ったら、下の病院に負傷者が運ばれているとのことだった。後で、これが池田小学校の無差別殺傷事件だと知って驚いた。池田市の近辺の救急病院に負傷者が振り分けられたのだ。こんな事態にも看護師は対応しなければならないのだと思った。

 色んな事はあったが、みな無事に二年に進級した。私も、〈おとうさん〉も、オザッキーも二年から奨学金が受けられることが決まった。


 S看護学校の実習先はM市民病院と大河内医療法人の経営する大河内病院の二つである。一組は市民病院、二組は大河内病院と決まっていた。二年一組の私たちは、春の実習は市民病院であったが、市民病院が老朽化のため建て替え工事が始まり、基礎実習から大河内病院になった。

 私達が二年になった春、市民病院で産科実習があった。この実習では、大谷とオザッキー男達は、「それはしなくていい、そこは入らなくていいのよ」と言われ、「何しに来たんや」とむくれていた。

〈おとうさん〉は?知らない。多分、よせて貰えなかったみたい。産科のお医者さんには、男性医師も多いのにね。同情。


 玉ちゃんと玉山さんとの結婚のいきさつは、玉山さんより直に聞いた。予備校のときよく遊びに行って玉山さんとは親しい。玉山さんは厨房器具関係の仕事で、玉ちゃんの學校の給食厨房の設置に二、三日の予定で山口に出張になった。綺麗な先生だと思った玉山さんは、本社に適当に言って予定を1週間に延ばして、何とかデートにこぎつけた。最後の決め文句が中々浮かばず、悩んだすえ、言った言葉が「玉山玉子になってください」だった。直球が届いたのか、六ヶ月後、玉ちゃんは結婚の条件を電文で打った。

「ワタシノイウコトヲムジョウケンデキクコト。タマヤマタマコ」

玉山さんは返電を打った。「ワレポツダムセンゲンヲジュダクセリ」

玉子は幸せで、玉山さんは偉いと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る