看護学校社会人組
北風 嵐
第1話 ジングルベル
ジングルベルの曲が街に流れている。クリスマスはあまり好きでない。小さいときは靴下をぶら下げて眠ったこともあったし、眠たいのにお父さんのクリスマスケーキを待って、目を擦り擦り起きていたこともあった。そうして待っていたのに、酔っ払って帰ってきた父の箱の中のケーキは無惨であった。
いつの頃からクリスマスは若者の祭典になってしまったのか?イブの日はホテルで予約とか、「カップルでないと楽しめないのか!」と、来年アラホーになる私、浜野ナミは若者をやっかみながら、何時もの喫茶店の何時もの席からイブの街を見ている。ここは禁煙でないので煙をくゆらせながらコーヒーを楽しめるのだ。
仕事を終えて、駅からわが家までチョット立ち寄る。夜勤明けの時は、朝のコーヒーの香りを楽しむ。私は明治天皇の勅語で創立された由緒正しき恩賜財団が経営する病院に勤める看護師である。財団の病院は全国にあり、私の勤務先は北大阪のK市にある。
テーブルの上には、母とクリスマスをするためのショートケーキの小さな箱が置かれている。クリスマスは嫌だけど、過ぎた28日を私は楽しみにしている。毎年、看護学校の卒業の思い出メンバーが集まるのだ。「今年もクルシミマシタの会」と名前がついている。看護学校の卒業生と云っても、社会人組のお酒好き人間の集まりだ。
看護学校は現役組が圧倒的に多いのだが、最近、就職難のこともあってか、特に私の學校は授業料の安さもあって、けっこう社会人組も多い。圧倒的に女子学生が多く、女の薗にはかわりはないけれど…。
幹事役の大谷から、「例年通りいつもの場所で何時もの時間に」と連絡があった。〈たまには、ちょっと違ったいい感じで安いとこ探せ!〉と私は言いたかったが、幹事を振られたらやぶ蛇なのでやめにした。
集まるメンバーのことを私は考えた。オザッキーは大谷とちょこちょこ会っているみたいだし、親友の玉ちゃんからは出席のメールがあった。そして去年は前立腺がんの術後で、「オシッコ、だだ漏れで行かれへん」と連絡があった〈おとうさん〉は今年、とってもいいことがあって出席。高島花子は遠くに行って2年前から来られなくなった。最近は私を入れてこの5人に、一人、大谷がゲストを連れてくることになっている。久しぶりの顔だったり、時には先生だったりする。
今年のゲストは誰かなー?28日が済まないと私はお正月モードになれない。今年あった〈くるしかった〉ことを皆に吐き出さないと年越しは出来ないのだ。この5人が特に卒業後集まるような団結になったのは、〈おとうさん〉の実習の件があったからだ。卒業して8年が経つ。早いものだ。今年もあと何日?私は指を折った。
学校でなんといっても楽しいのが、幾つになってもお弁当の時間。最初は教室で仲良しグループ別に食べていたのだが、何時しか休憩室で、社会人グループで食べるようになった。決して若い子排除でない。後ろの席では、若い子たちのグループもあって、聞き耳を立てて、興味引く話がある時は加わってくる。
玉ちゃんは、半分ぐらいは教室で若い娘たちとも食べる。玉ちゃんが社会人組で食べるときは、話はシモネタになる。玉ちゃんはシモネタが好きだ。いくらなんでも学級委員が若い娘たちと一緒にはできない。オザッキーはこんな時は黙って弁当を食べている。〈おとうさん〉は笑って聞いている。盛り上がっているのは、玉子、大谷、花子、そして私の4人だ。いつものお弁当メンバーだ。
玉ちゃんは彩りも鮮やかなお手製のお弁当。私は母が作ってくれた愛情弁当。オザッキーと大谷はコンビニ弁当、〈おとうさん〉は自分で作ってきている。ご飯の上にはカツオと梅干と塩昆布が乗っている。二日連続同じおかずの時もあれば、卵焼きだけのときもある。
週に1回ぐらい、水木美香が加わる。この時は玉ちゃんのシモネタはなし。美香は社会人でなく現役で入学してきている。玉ちゃんとは従姉妹だ。玉ちゃんのことを「お姉ちゃん」と呼んでいる。
***
玉ちゃんの名前は玉山玉子。看護学校に入るための予備校で一緒だった。玉ちゃんは中学校の国語の先生をしていた。大好きだった弟を癌で亡くし、「命に関わる仕事をしたい」になった。
生まれも育ちも山口県、先祖は長州藩の武士、由緒正しき家系の生まれである。玉のような可愛い女の子だったので、両親は玉子と名付けた。「面白い名前やね」と私が笑うと、「結婚前は玉山でなかったわ。結婚して、たまたまそうなっただけ。でも結婚のときチョト名前のこと考えた。デモ、玉は二つあった方がいいや、と思ったの」と私を笑わせた。
両親はまさか玉山性の男性と結婚するとは思いもしなかった。結婚前の名前は南野(なんの)と云った。中学校時代、色気づき出した男子生徒たちに〈なんのタマこ〉と呼ばれるのが嫌だった、それよりはまだましだと思ったそうだ。
玉ちゃんは先生の収入はなくなるが、まだご主人の収入がある。私には父が残した僅かな生命保険があるとはいえ、減らすわけにはいかない。看護学校は実習もハードにあり、アルバイトなんてやってられないと云う。予備校を入れて4年どうやっていけるか心配だった。
二人が志望しているのは府立のS看護学校である。施設の設備はたいしたことはないが、年間授業料5万2千円はなんとも魅力的だった。どこを探したってない金額だ。ただ一つ厄介なのは数学が受験科目にあって、これがかなりむつかしいのだ。落ちてもう一年というわけにもいかない。あんな安い学校はない。何が何でも受からねばならない。
高校時代、一年生のとき数学があった。見るのも嫌だった。色んな記号が出てきて、何だかそのうち、記号がゲジゲジに見えてきて、赤点取らないだけに必死だった。また、そのゲジゲジさんとお付き合いだ。入れば数学なんか使わないと予備校の先輩は云っていたが、医学部に準じて看護系は一応理科系と言いたいのだろう。
玉ちゃんは美人だ。スタイルだっていい。頭もいい。ただ数学が苦手だったということで予備校に来ている。私は、身長は低いし、顔だって10人並みとはいかない。ナミと言う名が付いているのに並みでないなんて、シャレにもならない。高校時代、数学の点数なんてナミのはるか下、深海に沈んでた。
私の看護学校の志望理由、玉ちゃんのように崇高なものではない。「女一人、手に職をつけて生きていけますように」である。父は従業員100人位の会社の経理課長をやっていた。母は身体が弱く、病院に入ることはないが家の仕事がやっとだった。子供は私だけ。遅がけの子であった。ゆっくりと育ったのはいいが、世事には何も考えない人間に育ったようだ。
進学しないのに普通科に行って、就職を決めるときは、ただ、あのラッシュの満員電車が嫌で、京都方面、普通電車なら座って通勤できるので三駅先にあるところに決めた。そこは触媒化学の会社で、本社、工場は東京であった。大阪出張所みたいなもので、所長と営業員が10名と女事務員3名の小さな事務所であった。
父は何時までも元気だと思っていた。結婚も「30になるまでには出来るだろう」位に思っていた。男性経験?勿論この歳までには少ないけどあった。セックス、興味も関心もあったけど、期待の程ではなかった。相手から言わせれば私は〈燃えない女〉と云うことらしい。玉ちゃんいわく「よく言うわ。燃えさすことが出来なかった男が言うセリフ」らしい。玉ちゃんは毎度燃えているのだ。私だって〈燃えるような恋〉、してみたい。〈私は燃えないゴミ〉ではないのだ。
結婚、一度それらしきことになりかけた時があった。相手は可もなく不可もなく、会社は安定してるようだし、両家に反対もなかった。私26のとき、ことはいとも簡単に決まりそう。「これで決めていいのか?」いざ決定段階になると、なんだかつまんなくなって断った。
父は別段何も云わなかった。もっといい条件を考えたわけではない。分相応は知っているつもり。もう一回や二回は30になるまではあるだろうと思った。一回目で決めたくなかっただけ。私ってけっこう往生際が悪いのだ。
***
父も母も穏やかな性格だったのか、私がごく普通の子だったのか、叱られたり注意されたことがほとんどない。会社の所長が定年でやめ、東京本社から若い30丁度ぐらいの張り切りボーイが上司でやってきた。
偉そうな態度、人使いの荒さは我慢ができた。ケンが立つ東京弁で細かいことをイチイチ言うのが我慢きかなかった。そんな感じは相手にも通じるのか、特に私には辛く当たった。ある日どんな言葉だったか、プッツンした私は相手の顔にお茶をぶっかけ、「辞めます!」と言ってやめた。「次を探せばいいや」と思っていた矢先、父が心筋梗塞で突然亡くなった。
無理のきかない身体の母を抱えた私は、予期せぬ世帯主になってしまったのだ。辞めたのはいい。でも、何の資格も技術も持たない私がどうやってこの先やっていける?そんなことを考えながら、何社かの面接に行った帰り、駅前のラーメン屋さんに入った。「もやしそば1丁!」。お汁を啜りながら窓の外を見た。『○○看護学校予備校』と書いた看板が目に入ってきた。「これや!」と思った。看護師なら辞めても次がある。いい資格だ。幸い僅かだが父の生命保険のお金がある内にと思った。私28才のとき、決断をした。
大谷は関西の仏教系の私大を出て大阪の会社に入ったが、一年目の終わりに東京営業所が出来て、所長、所長代理、平の3名が派遣されることになった。もちろん大谷はその平である。東京は、一度は住んで見たかったが、東京弁には苦労したらしい。
河内育ちの根っから大阪人間には、聞くのも、話すのも大変だったそうだ。所長は言った。「郷に入っては郷に従へ」と。一番下の使い走りから、営業、上二人に文句の言われっぱなし。得意先から「その変な言葉をなんとかせい!」の文句。耐えた。所長の手腕もあって苦節10年、東京営業所は30人の所帯になっていた。
所長は大阪本社に部長職で栄転。代理は所長になり、大谷は次長になり「さー、頑張るぞ!」と思った矢先、大阪本社が財テクに走り、大きな欠損を抱えて倒産。なんの為に頑張ってきたのか・・サラリーマンの空しさを知った。
手っ取り早い資格と、ヘルパーの資格を取って老人施設に勤めた。換気が出来てないのか、独特な臭いが嫌いだった。何より、その給料の安さがやる気を失せさせた。それでも、三年務めたが、いつまで経っても結婚も出来ない給料ではたまらんと、これが大谷の看護学校志望理由なのだ。
大阪に帰ってきて両親に志望を話した。大学まで行かして貰ったのにこの頼みだ。気が引けた。父親は「会社も倒れれば、個人も病にもなる。それからどう頑張るが大事。脛の残りは少ないが齧れるぐらいはある」と言ってくれ、大谷は脛を齧っている。
大谷は何事にも大雑把派だ。細かいことをグチグチ言わない。そんなところは、大好きだ。でも裏返せばいい加減なとこもあることになる。〈おとうさん〉は、「大谷君は男らしい」と言っているが、買い被り過ぎだ。私は大谷に個人的な恨みがある。
***
尾崎浩二は予備校のチューターをやっていた。先生ではない。プリントを配ったり、スケジュールを説明したり、生徒の生活相談に乗ったり、先生のアシスタント兼事務員みたいなものだ。忙しく、神経使って、お給料は安く、この先上がる見込みもない。
「看護学校がいいだろう」とやってきた。一人、アパート暮らしで、大谷みたいにすねを齧るとこはないみたいだ。一年間の蓄えがあるので、この一年の成績で奨学金を取らないと継続はピンチなのだ。
看護学生の奨学金は恵まれている。育英会のみならず、府や市のものがあるし、府や市の病院に五年勤めれば返済義務がない。「頑張れ!オザッキー」私も同類だ。現役組は高校の卒業時の成績で一年生から貰えるが、社会人組はそうはいかない。
オザッキーは情報通だ。看護学校の先生受けも良く、なにかと職員室に出入りしている。何々先生は以前、何々病院にいてお子さんは何人とか、先生のことならオザッキーに聞けということになる。クラスの子たちのこともよく知っている。
二年生、三年生ともコネクションがあるようだ。無理もない、前職が前職なのだから自然と身についたものなのだろう。時には貴重な情報で助かるときがある。何々先生の過去問だというプリントを仕入れてきた。ズバリそのままには参った。尾崎サマサマであった。他人のことはよく話題にするが、自分のことはあまり喋らない。
ジムに通っていて筋肉質で、一見男前風だが何かが足りない。何だろう。男臭さ?セックスアピール?別にそんなものはなくてもよいが、何かが足りない。神経質で潔癖性で細かいことを気にする、血を見たら卒倒する口だ。看護師、大丈夫かと思ってしまう。
外国語大学を出ているが、スワヒリ語だかなんだか役に立たない言語を勉強したようだ。マー、暇な人だと思った。現役組の女の子の中に密かに思いを寄せている子が三人ほどいるみたいだ。その子らがつけた名前が〈オザッキー〉。
そうだ足りないもの、〈おとこ〉が足りないのだ。女性に興味はないこともないようだが、女性との〈なんちゃら〉には関心が無いみたいなのだ。大谷みたいに〈スケベー〉でないのだ。ええ年になったら少し〈スケベー〉も男の魅力の内らしい。
***
高島花子 、私たち社会人組に一応属しているが、何時も一緒に弁当を食べ組ではない。私たちと食べる事が多いが、現役組の子達とも食べているかと思うと、中庭のベンチで一人サンドイッチを頬張っている。お手製の豪華弁当もあれば、コンビニのオニギリ二個のときもあったり、カップ麺だけのときもあったり、着るものだって革ジャンを夏に着てるかと思うと、冬だのに半袖のセーターのときもある。
「お前の季節はどこにある?」と聞きたいぐらいだ。ジーンズ姿が多いが、ピンクハウスとかいうブランドのフリル一杯の服のときもある。まとまったスタイルがないのがスタイルの高島花子。でも、どれもがスタイルになるから不思議。
玉ちゃんが理知的な美人だとしたら、花子はセクシー美人だ。それも超がつく。道を歩いて振り返らない男はまずいない。スタイルの話ばっかりしてしまったが、それ程素敵なのだ。看護学校への志望動機、別段ないらしい。
強いてあげるなら「高校時代生物が得意だったのと、幼いとき、注射を打つ看護婦さんがかっこいいと思ったこと」をあげていた。納得。花子らしい。花子はクールだ。何かと熱くなる私とは違う。お家は金持ちらしい。花子の家の近所から通って来ている女の子がその家の豪華なことを言っていた。半端な大きさではないらしい。その女の子いわく、お家の職業は不明。花子は看護学校を出たらアフリカに行って看護師をすると云っている。
***
さて最後に紹介するのが〈おとうさん〉。55才で看護学校に入学してきた。入学試験の時の席は私の前だった。筆記試験が終わったら、面接試験が当日にある。二人一組みで受けるのだが、受験生全部をやるものだから、えら~く待ち時間が長い。
「長いなぁー、僕は田野歩(あゆむ)といいます。よろしく」。えらい年齢の人が受験してると気になっていた。「浜野ナミです。ナミはカタカナです」と挨拶を返した。
「ハハノナミダですか?」。「そんな名前があるか?この人どんな人、面接大丈夫か?」それが口を聞いた最初だった。
面接の時は〈おとうさん〉と同じだった。面接官は四人、全部女性。私は無難に済ませやれやれであった。〈おとうさん〉と面接官のやり取りは隣で余裕を持って聞けた。
「田野歩。55才。東京農工大学出身」と自己紹介。
「志望動機は?」まず、これは誰もが問われる。
「生命や、病気について勉強したいと思いましたが、医学部に行く程、学力と金力はありませんので、看護学校を受験しました」あれー、まずまずの答えだ。
「お歳ですが、健康に自信はありますか?」
「90才から見れば35才も若いことになります。健康に自信はありません。いつ人は大病を患うかわかりません。で、ないですか?」先生方、沈黙。ええぞー〈おとうさん〉。
「生命や、病気について学びますが、専門学校です。学んだことを生かして看護師になって病院に努めなければなりません。夜勤もあって若い人でもハードです。自信はありますか?」やっぱり心配事項は〈お歳〉なのだ。
「健康には自身がないと言いましたが、水泳などをして健康にいるようには心がけています。卒業して58才。定年65才として七年働けます。病院が採用してくれるのなら、勤めますが、病院勤務が無理なら、老人施設で働きたいと思っています。元気で使ってもらえるうちは70才でも、80才でも働きますよ」先生たち少し笑い。
「若い人たちの中で一緒にやっていけますか?」やっぱり年齢のことが問われる。
「この歳ですから、入学出来たら、若い人のお手本になるように頑張りたいと思います」言やよし。
受け答えの印象も悪くなかったし、無事面接は通過と思った。国立大学を出ているぐらいだから筆記も悪くないだろう。農工大が国立。隣のお兄ちゃんが受かったが、「国立ゆうても、農学部やでぇ。百姓の大学にわしゃ行かさん」と、隣のおじさんえらく怒ってたから覚えてるのだ。面接を一緒にしたのだから、私も受かり、田野さんにも受かって欲しいと思った。
合格発表の日、〈おとうさん〉とすれ違った。目礼をされたが笑顔はなかった。合格発表の掲示板を見たら私の前の番号はなかった。やっぱりあの年齢では無理なんだ。現役の子なら30年も40年も勤められるのだから、一つの席は若い人に譲るべきかもしれないと思った。でも「可哀想」。
入学式の日、列を作った私の前に〈おとうさん〉がいるではないか?「どうして?」
看護学校は実習があって水増し入学が取れない。何人かは他に行く(例えば、国立病院の付属に受かった子はそちらに行く)その分、補欠合格を出し、欠員分を入学とする。1学年定員100名の學校。〈おとうさん〉は100番目の合格者になったのだ。
「よかった、よかった!」私は〈おとうさん〉の手を取って飛び上がった。事情の分からない皆は「何事?」と私たち二人を見やった。〈おとうさん〉との再会だった。
後でわかったのだが、オザッキーによると、〈おとうさん〉の入学にはチョット問題があったようだ。なんぼなんでも年齢がいっているし、他の人たちとの兼ね合いもあるという意見だ。古手の「白衣の天使」的な看護婦イメージを理想としている世代には、抵抗感があったのだ。八宝先生が「面白いじゃないの。面接の感じも悪くなかったし、ウチは公立。公平にあくまでテストの成績で行きましょう」と押し切ったというのだ。
***
すぐに、若い娘たちは〈田野さん〉とは呼ばず、〈おとうさん〉と呼んだ。私も自然そうなった。「僕は、みんなの〈おとうさん〉になってしまった。異性と感じてはいかんのや。哀しいがしゃない。僕は女の薗に来たのではなく、学問の府にきたのやから…」とは〈おとうさん〉にさせられた、〈おとうさん〉の寂しい感想だ。
今でも「若い人の手本になります」には笑ってしまう。〈ドジで、ヘマなおとうさん〉。レポート出すのも一番最後、それも私が念を押してやっと。試験のとき横を見れば「モー出来た」と涼しい顔。「裏もあるのにぃー」。試験中は喋れない。出来上がった答案を裏返したり、表にしたり。「ウラ」と声がでぬように口開くも、こっちを見てにっこり笑うだけ。やっと気がつき、あと10分。何とか書き上げたみたい。解答用紙があるのに問題用紙に書き込んで減点されたり、横の席にいる私はまるで世話女房。
「おとうさん、中学校、高校の時もそうだったんでしょう」と云ったら、頭カキカキ、「治らんね。クセというものは」と云った。高校時代にそのままフュチューダバックしてしまったのだ。
花子が一人ベンチでサンドイッチを食べていたので、並んで食べた。〈おとうさん〉のドジ、ヘマ振りを喋った。「本当に55歳なんやろか?社会性を疑う」と言ったら、
花子は「私、そんなおとうさんが可愛くって好き」と言った。世話の一つもせずに、「好き、可愛い」何を云う。紳士然とされていたり、落ち着いた貫禄を見せられたら、教室の違和感が倍増するかもしれない。花子の云うのが正しいかも。私も花子に負けずに〈おとうさん〉を「好き、可愛い」になろう。
〈おとうさん〉は夜、中学生相手の塾の先生をやっている。土日は場外馬券場の交通整理の警備員をやって生計を立てている。玉ちゃんが梅田に出たとき、見つけたのだ。信号待ちをしていたら、制服制帽の警備員が帽子をアミダにかぶって、顔を横に向けていた。最初はわからず通り過ぎたが、気になって、玉ちゃんは引き返してきて〈おとうさん〉を確認した。早速、玉ちゃんから私の携帯に〈驚きニュース〉のメールが入った。
「隠れようとしていたのに、わざわざ引き返して見るか!」玉ちゃんは何かにつけてはっきりさせる性分だ。野次馬根性も強い。でも、聞いて驚いた。昼は看護学校、夜は塾の先生、土日は場外馬券場の警備員。いったいどんな生き方してきた人?
〈おとうさん〉には、お世話になることもある。私たちは理系に弱い。〈おとうさん〉は農学部、一応理系だ。みんなが最大に苦手とする『解剖生理学』は抜群の成績だ。解らない時は教わる。さすが、塾の先生だけあってわかり易く説明してくれる。解らないとこも納得で授業がやっていけるのは、〈せんせい〉いや違った、〈おとうさん〉のおかげだ。何にもなしで、世話女房するほど私は人がいいわけではない。
授業中の〈おとうさん〉だが、時々、窓の外を見て、心ここにあらずというような様子がたまにあった。あるとき、あまり長く見ているので、何を見ているのだろうと私も窓の外をみやった。電線に鳩が二羽離れて止まっている。その二羽が近づいて来て並んで止まった。教室に目を戻した〈おとうさん〉と目があった。〈おとうさん〉チョット恥ずかしそうににっこり笑った。何故か「寂しそう」。
***
〈おとうさん〉は何であの歳で看護学校に来たのだろうか?看護学校の先生はおしなべて気が強い。〈長幼之序〉なんて考えはさらさらない。〈おとうさん〉はヘマをやらかすが、叱責する先生は情け容赦がない。
あえて、〈おとうさん〉を弁護するなら、ともかく目立ってしまう。私たちなら〈女の子〉の中に、オザッキーなり大谷なら〈おとうさん〉がいる限り、何とか〈僕たち若い者組〉の中に隠れることができる。〈おとうさん〉には〈その他大勢〉の隠れ場所がないのだ。中には「変な中年が迷い込んできた」位に思っている先生もいる。
生徒なんだから一律平等でいいのだが、もう少し言葉使いぐらいには配慮があっていいと私は思う。〈おとうさん〉は、それは仕方がないと割り切っているのか、顔に出さないが、さすがに酷いときは、うなだれて帰る時がある。
こんな時、大谷や、オザッキーはやさしい。「田野さん、明日も来てくださいよ!」と声をかける。彼らはチャント〈田野さん〉と呼ぶ。男の友情は見ていていいものだ。勿論、〈田野さん〉がいなくなったら自分たちが最年長の男生になるのが嫌なのだろうが…。そんな我慢までして看護学校にこなければならない理由が知りたい。
一応面接の時に私は聞いているが、あれは表向きだと思う。〈おとうさん〉がいないときの話題は何時もそこにいく。お子さんは二人いるという。たまに奥様の話が出たりするが、昔から塾の先生をやっていた感じではない。どんな仕事をやっていたのだろう?あまり人の詮索はよくないが、三人よれば詮索話は大好きだ。
おザッキーは「学校の先生」。玉ちゃんは「私の経験からいって先生の匂いがしない。商社勤務で窓際にやられた」。大谷は「さばけたとこがあるから商売してた人?」。高島花子は「中小企業の経営者、倒産して奥さんに逃げられた」。「何で看護学校に来た?」と私。「嫁さん探しに」花子は真面目かと思うとはぐらかす。あんたにはついていけない。デモ、ひょっとしてそうかも?少しはお洒落をしてこようかな。詮索はやめましょう、その内、徐々にわかるわよ。
ともかく今は、昼は看護学校の生徒で、夜は塾の先生で、土日は警備員なのだ。お弁当は自分で作ってくるが、卵焼きはいつも黒く焦げている。
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