-6-

 家から飛び出すと暗闇の中を無我夢中に走り続けた。視界を覆う羽虫の恐怖が余計に体を焦らせる。息は絶え絶えで呼吸をするたびヒューヒューと音を立てて耳障りで仕方がない。

 街頭には蛾や羽虫が寄り付き黒い塊を作りあげて、それが目に入るたびに恐怖心が全身を襲い震えが走る。

 ふらふらとした足取りで走り続け、ようやく港に着いた時には視界がぼやけ、ぐらりと歪んでいた。

 ただ走っていただけだというのにここまで酸欠状態になることはありえない。いくら不衛生で不摂生な生活を送っているとは言え、体力は人並みにある。しばらくタバコもやめていたのだからこんなに息切れするなんてこともなかった。

 前にかがんで膝に手を置き呼吸を整える。目を動かしてあたりを見渡し自販機を探すと以前と同じ位置で怪しげに白く淡い光を放っていた。

 震える足でぎこちなく歩いて自販機に近づくとタバコが同じように売られている。財布から急いで1万円札を取り出して投入すると、ボタンが赤く光る。

 これで救われたと笑みを浮かべてボタンを押すがタバコが出てくることはない。

 いくら押そうとも出てこない事に憤りを感じて自販機を殴りつけた!

 

「何故出てこない!クソッ!!」


 自販機に近づくとボタンが赤く光っているが、よく見ると文字が書かれている。


「うり、きれ……?」


 膝から崩れ落ち、その場から立ち上がれなくなった。いつ入荷されるかもわからない。次第に視界は黒い点に覆われていく。もうSもない。医者も当てにならない。


「くそっ!ふざけやがって!」


 私は立ち上がり歩き出した。ここ以外に同じ銘柄のタバコを売っている自販機があるはずだと思ったからだ。

 

「こんな虫に視界を奪われるなど……あってたまるか」


 探し歩いている間にも視界は蠢く羽虫に覆われていく。

 空は白み出しているようだ。既に視界は蠢く羽虫に遮られ前はろくに見えなくなっていた。探し回ってもあのタバコは見つからない。

 こんな目では仕事どころか日常生活を送ることすら難しい。当てもなく彷徨い、誰かに止められるのを待つのだろうか?そもそも、その瞬間まで生きていられるのだろうか。

 今どこにいるのか分からなくない。頭もガンガンと痛み、次第に情緒が乱れていく。耳には不快な羽音が響き渡り、外部の音は一切聞こえなくなった。

 

 突然体が宙に浮いたような感覚になった。身体中が痛み、意識が朦朧とする。

 生暖かいものが体に伝っている。誰かが近づいてくる感覚。

 羽虫の羽音はいつまでも消えることなく頭の奥に響いていた。

 羽虫は未だ視界を覆い尽くして羽ばたいている。

 意識が遠のいていく。

 だが、それでこの羽虫から逃れられるのだ。

 これで私は救われたのだ。

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羽虫 ひぐらしゆうき @higurashiyuki

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