第9話 満身創痍

 草原に佇む一頭の白馬。


 風の混じった光が、そのたてがみを幾重にも、とかし抜けてゆく。


 あれは、ユニコーン?


 白馬の透き通った2つの青い瞳は、静寂という概念を具現化するかのごとく、息を止めてのぞき込むほどに引き込まれてゆく。


 風が心地よい。風薫る草原の匂いが体中を巡るようだ。 


 そのとき、白馬が体の向きを変えた。頭を少しだけ上げて遠方を望む瞳が、目つきと言えるほどにその鋭さを増した。


 直感的にそれとわかる、襲い来る火の玉の群。


 白馬の、身体中の筋肉がみるみると隆起して屈強な鎧と化し、全身から発せられる力の波動が、周囲の空気を容赦なくむち打ち、震わせる。


 クォォォン・・・


 白馬の、天空へと向けた嘶きが一筋の柱となり、とりまく大いなる意志を目覚めさせた。


 事態が動き出した。微塵もためらうことなく、白馬は火の玉の群に向かって走り出す。


 触れるもの全てを燃やし尽せんとする業火を帯びた火球たちが、白馬を取り囲み威圧してくる。しかし白馬は、それらを静かに見据えて身じろぎ一つしない。


 いらついた火球の一つが白馬に向かって突進していった。


 あっ、危ない!


 そう思った瞬間、その火球が白馬の身体の中に取り込まれてしまった。白馬にダメージはなく、その嘶きをさらに強めた。すると今度は、火球たちがいっせいに白馬に襲いかかった。


 白馬はこれをいっさい避けようとはせず、むしろ自らすすんで受け入れていた。


 額から突き出た角の先端に閃光が宿った。それは目映いほどに輝きを増して、いつしか角の全体を覆うと、凛とした青い眼光と相まって、白馬の迫力を圧倒的なものにした。


 火の玉を吸収して、自らの力に変えているのか?


 白馬の身体は一まわりも二まわりも大きくなった。大地を蹴り走る躍動感は、あらゆる鎖を断ち切らんとする力を秘めており、自由という名の空間ですら狭すぎるように思えた。


 白馬は、さらに声高の嘶きを一つ上げると、その脚力を自ら試すように、全速力で駆けぬけて空中へとジャンプした。白馬の体は大きな弧を描いてアキラのすぐそばに着地した。


 強烈なその存在感に思わず腰が引けそうになったが、アキラはなんとかふんばって、そのまま白馬と対峙した。


 綺麗だ・・・なんて・・・


 このまま時間が止まればいい。アキラに本気でそう思わせるほど、その白馬の容姿は、今までに見てきたすべての存在と一線を画し、際立っていた。


 ア・・・アキ・・・アキラ・・・


 突然、それは聞こえてきた。遠くから響いてくるその声は、アキラの名を呼んでいるようだった。


 誰だ?


 聞き覚えのないその声は、アキラの心を包み込むような柔らかな旋律を含んでいた。懐かしくて甘く切ない、それでいて、手繰り寄せようとする記憶の追随を決して許そうとしない。


 アキラは考えるのやめた。目の前に佇む白馬の、品位に溢れるその顔をやさしくなでながら、その状況に身をゆだねることにした。


 お兄ちゃん!


 えっ?


 アキラは思わず我に返った。それは妹のジュンの声だった。突如、現実の感覚がアキラの頭の中に蘇った。


 う・・・うう、はっ!


 目覚めると、アキラの視界の中にジュンがいた。さらに彼女の後ろに父親と母親がいるのが見えた。


「先生! お兄ちゃんが気が付きました!」


 そう言いながらジュンが走って部屋から出て行くと、母親がすかさずアキラに声をかけた。


「アキラ、分かるかい? 母さんだよ。ほら、父さんもいるよ」


 二人とも、普段ほとんど見せたことのない不安な表情を浮かべながら、アキラの顔をのぞき込んでいた。


「か、母さん?」


 アキラの口からか細い声が発せられると、堰を切ったように母親はアキラの胸元につっぷして泣き出した。


「よかった、よかったよ」


「俺・・・一体」


「お前、この三日間、ずっと昏睡状態にあったんだよ」


「こ、昏睡!?」


 思わずベッドから飛び起きようとした瞬間、アキラの胸のあたりに突き刺すような激痛が走った。


「ぐっ」


「だめよアキラ! まだ安静にしてなきゃ」


 母親は、アキラが仕事中に事故に会って意識を失い、シティで一番大きな総合病院であるスリーロックジェネラルのICUに運び込まれたことを告げた。そしてこの三日間、医師たちがどんな処置を施しても意識が戻らず、皆あきらめかけていたことを話した。


 にわかには信じられないことばかりでアキラは困惑していたが、ふとハリルのことが頭をよぎった。


「母さん、ハリルさんは? ハリルさんはどうしてる?」


「ハリルさん?」


「僕の上司のハリルさんだよ」


「ああ、上司の方ね。その方なら、仕事場からここまできちんとお前に付き添ってくれたみたいだよ。ADCから連絡を受けて私たちがここに着いたとき、その方がすでにここにいて、事故のことを詳しく説明してくれたんだよ」


「俺に付き添う? 事故の説明? ちょ、ちょっと待って、俺と一緒に運び込まれたんだろ? ハリルさんも重傷を負ったはずなんだ」


「重傷ですって? とてもそんな風には見えなかったわ。だってその人、ちゃんとスーツを着て、私たちを丁寧にここに向かい入れてくれたのよ。あなたが事故に会ったのは全て自分の責任だって、私たちに何度も頭をさげて謝っていたわ」


「頭を下げて謝っていた?」


「そうよ、あんまり熱心に謝られるものだから、逆に母さん、あんたはもうだめなのかもって思っちゃったほどよ」


「そんな・・・」


 怪人の前に倒れたハリルの姿がまだ鮮明に記憶に残っていたアキラにとって、母親の言ったような、重傷どころか、むしろ無傷とでもいわんばかりのハリルの様子は、ほとんど違和感でしかなかった。


 そもそもスーツ姿のハリルなど全く想像できないアキラは、おそらく母親はだれか他の人と勘違いしているのだろうと思った。しかし、ハリルと名乗るその人物からもらったという名詞を母親から見せられると、そこには確かにハリル・ボンボルブとあり、所属する部署にも間違いはなかった。


 そうしているうちに、妹が医師らしき人物をつれて戻ってきた。


「おお、ほんとだ、気が付きましたね。よかったよかった。おっと失礼、初めまして、私はドクター・ボブです。あ、そのままそのまま、じっとしていてください」


 ドクターは、ベッドを降りようとするアキラを制して、その上半身を静かに起こした。そしてアキラの左腕を取って血圧と脈拍を確認した後、目、口内、胸部、腹部と一通りアキラの診察を行った。


「ふむふむ、肋骨以外に特に大きな外傷はなさそうですね。まあとりあえずあと1、2週間はここで安静にしてください」


「肋骨?」


「ええ、何かが胸部に当たって強い衝撃が加えられたようですね。何本かにひびが入っています」


 強い衝撃という言葉を聞いたとき、仕事場で会った黒人女性の姿がアキラの脳裏をかすめた。


「肋骨にひび、ですか」


「そうです。あなたがここに運び込まれたときにレントゲンを撮らせてもらったんですよ。それにしても崩れ落ちた瓦礫の下敷きになってこの程度で済むなんて、ほんとラッキーでしたね」


「は? 先生、今なんて?」


「ですから、あなたはついていると・・・」


「その前です。瓦礫の下敷きになったとか」


「? そうですよ。あなた、覚えてないの?」


「ちがいますよ、先生。俺は怪人に襲われたんだ。でも、俺をこんな目に合わせたのは他の奴で、そうあれは、黒人の女性だった」


「怪人? 黒人の女性? 君は一体何を言っているのかね?」


 ボブ医師は、母親と顔を見合わせた。


「アキラ、お前、寝ている間に夢でもみたんだよ」


「夢? 夢なんかじゃない。だって、ハリルさんからそう聞いてるだろ?」


「いや、だから、そのハリルさんからそう聞いているんだよ」


「え!? そんなばかな!」


「ばかはお前だよ。ハリルさんの話によると、お前が勝手に危険区域に立ち入ったからこうなったそうじゃないか。きちんとマニュアルを守って避難さえしていれば今回の事故は起きなかったそうだよ」


「俺が勝手に危険区域に入った? そんなの嘘だ! 母さん、俺は本当に怪人に襲われて」


「もういいよ。とにかくお前は無事だったんだし、今はしっかり休んで身体を早くなおしておくれ」


 自分が体験したこととは全く違う話を聞かされたアキラは、すぐにでもハリルに会って状況を確認しなければと思った。だが、いざ身体を起こそうと少し力を入れると胸に激痛が走った。


「お母様のおっしゃるとおりです。今は決して無理をしないでください。万が一肋骨が折れて肺にでも刺さったら大変なことになりますからね。それではさっそくですが、今からベッドごと個室の方に移っていただきます」


「個室? いいですよ、普通の大部屋で」


「いいえ、ADCの方からあなたには個室をあてがうように指示をいただいておりますので」


「ADCから?」


「ええ、505号室です。それでは行きましょう」


 ボブ医師のそばにいた二人の看護師がてきぱきと準備を始めた。アキラの身体につながれていたチューブやコード類をはずすと、ベッドのキャスターロックを解除して、ふたりでアキラのベッドを押して個室へと移動させた。

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