第5話 本社その2
「コルセア・クリスタル、コルセア・クリスタルです。ご乗車ありがとうございます」
アナウンスが言い終わると、乗車口の扉が開いた。
(さてと、行くか)
移送カプセルから降りたアキラは、本社に一番近い3番出口に向かった。少しだけ勾配のきつい階段を登り終えて出口から地上に出たとたん、銀色に輝く巨大なビルがアキラの目の前に現れた。
(やっぱ、でかいな)
はっきり言って目立ちすぎだろ、アキラはそう思って見上げようとしたが途中で止めた。
そのビルには、ADCの文字の入った看板のようなものはない。しかし、どういう仕組みでそうなっているのかアキラには分からないが、3秒以上そのビルを見つめていると、そのうち無数の「ADC」の文字がビルの外壁全体に浮かび上がって見えるのである。
「うわー、なにこれー、おもしろーい」
「ワオ! アメージング!」
通りを歩いていくと、そうした声がそこかしこであがる。この辺りにはADCが経営する大規模なショッピングモールがあり、買い物に訪れる観光客も多い。ビルを見ている者だけに見えるという仕掛けが、そこに訪れる人々の足を必ず一度は止める。
立ち止まって見上げている人々の傍らを、アキラは、その大きな身体に似合わない俊敏さでスルリと抜けるように通り過ぎていった。改札を出てから5分もしないくらいでADC本社のエントランスに到着した。
ADCには所謂「社員証」というものがない。社員を特定するための情報、すなわちその顔と容姿についてはもちろん、網膜、静脈、指紋、声紋などに至るまで、各人を特定するためのあらゆる情報が入社時にクラウド登録されており、いつでも瞬時に引き出せるようになっている。言わば社員の身体そのものが社員証としての役目を果たしている。
本社に入るには、エントランスゲートをくぐり抜けなけなくてはならないが、その際に特殊なスキャナーが起動して全身が一瞬で精査される。
エントランスゲートをくぐり抜ける際に、その者の全身がスキャンされる。もしこのとき不審者と認識されると、その者が立つ床の部分だけが一瞬で柔らかくなり、まるで泥沼にでもいるかのように、ずぶずぶと両足が床にめり込んで身動きが取れなくなる。
(どういう仕組みか分からないけど、あのときは本当に驚いたな。くっそー、思い出したら腹が立ってきた。俺たちの世話係だったあの先輩社員、名前はたしか、クロエとか言ってたかな? もし会ったらただじゃおかねえぞ)
入社式の当日、アキラはその先輩の男性社員によって半ば無理矢理に、エントランスゲートのその仕掛けを体験させられていたのである。
新入社員たちが社外施設を案内されてエントランスゲートに戻ってきたとき、その男性社員は、新入社員たちをゲートの外に待たせておいて、自身はゲートを通って中に入ると、アキラを名指して言った。
「アキラ・ルドリード君、私のところまで全速力で走ってきなさい」
「? 走ってあなたのところに行けばいいんすか?」
「早くしてくれ、そう言っただろ」
(ちぇっ、なんだよえらそうに)
アキラは、2、3回膝の屈伸をすると、足首と手首をくるくると回した。
(でも脚にはちょっと自信があるんだ。よーし、走った勢いで跳び蹴りするフリでもしておどかしてやるか)
「そんじゃ、いきますよ」
そう言い終わるや否や、アキラは先輩社員に向かって猛ダッシュした。
(何か知らないけど、要は仕掛けが動く前にあいつのところに行けばいいんだ)
確かにアキラは速かった。彼はスタートからたったの数歩でトップスピードにのることができる。
(よしっ、ここだ!)
その先輩まであと数歩のところまできたアキラは、そのままジャンプしようとした。その瞬間、
ミュイイイイン
蹴り脚にこめた力が一瞬でなくなる、そんな感覚が走ったと思ったとたん、アキラの身体は、頭の部分を除いて床の中にほとんどめりこんでしまった。
「み、身動きがとれない」
「はーい、ルドリード君、ごくろうさん。あら、何? ほぼ全身? ふつうなら足首が埋まる程度なんだけど、もしかして君は私に蹴りでもくれようとしていたのかな?」
「くっ、こ、この」
「おあいにくさま、 このシステムは、相手の容姿、持ち物、動き、体温、心拍数などからその人物の素性や意図などを瞬時に分析し、問題行為を起こしそうな場合には、その問題の大きさに応じて拘束力が変化するしくみになってる」
そう言いながらその社員は、不適な笑みを浮かべつつアキラの頭を跨ぐように立ち、他の新入社員に向かっていった。
「どうです、みなさん、この他にも本社ビルには皆さんが安心して働き易いようになしくみがいろいろと備えられております。極端な話、たとえ巨大地震が襲いかかってきたとしても、このビルの中にいるかぎり皆さんの安全は保証されます。それでは次の施設にいきましょう」
「おい、ちょっとまて、俺をこのままにしていく気か」
「おっといけない、忘れていました」
男性社員が、その左手首にある腕時計のような端末にむかって何かをつぶやくと、床によるアキラの拘束がとかれ、アキラのいるへこんだ部分が盛り上がってもとの平面に戻った。アキラは男性社員の前に立っていた。
「アキラ・ルドリード君、ご協力ありがとう、さ、早くみんなのところにいきたまえ」
その社員をちょっと驚かしてやろうと思っていたアキラは何も言い返すことができなかった。
「ふん」
アキラは、その社員に一瞥を与えると、他の新入社員の集まっているとこに戻っていった。
(くそっ、あのときのあの野郎のニヤついた顔、思い出すと今でもむかむかするぜ)
そんなことを考えながら、アキラはエントランスゲートを少しだけどきどきしながら通り抜けた。
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