第4話 本社

 移送カプセルに車窓はなく、その替わりに、天井と横壁の全体に、巨大な液晶モニターが設置されおり、地上の風景を模したリアルな3D画像が映し出されるようになっていた。


 ピッ、ピッ、ピー

 

 定刻になると、モニターの風景が動き出した。移送カプセルが出発したのである。


 モニターの映像は、一旦動き出すとみるみる速くなっていった。しかし、電車とは違って、移動中の振動はほとんど発生しないため、そのスピードを体感し難い。


「次は、コルセア・クリスタル」


 出発するとすぐに、アナウンスと共に車内の横壁に駅名が映し出された。アキラの向かう駅は一駅目にだった。実はこの路線は、本社と作業場とを結ぶために、ADCが自ら構築したもので、元々は資材等を運ぶ貨物輸送のためにつくられたものが、社長の意向により人も運べるようにしたのである。


(本社に行くのは、入社式以来か・・・)


 およそ一年前、アキラは、両親から贈られた真新しいビジネススーツを着て、ADCの入社式に出席していた。よほど緊張していたせいか、式典の中身はほとんど覚えていないが、社長であるポップ・フランクスターが壇上に現れたときのことだけは、今でもはっきりと覚えている。


「ポップ・フランクスター氏の登場です。みなさん、盛大な拍手を!」


 女性の司会者の呼び声とともに壇の袖からでてきたポップは、右手を上げて拍手と声援に答えた。すらりとしたその司会者よりもさらに頭一つほど抜けた長身と、スーツを着てもそれとわかる筋骨隆々の体型が、新入社員の、特に女性社員たちの視線をさらに引きつけた。


 それまでアキラはADCの創業者として有名なポップのことは様々なメディアを通じて知ってはいたが、実際に見るのはそれが初めてだった。


 ポップの、ボリュームのあるブロンドの髪と、常に何かを射抜くような閃光を放つ青い瞳が、一種独特の風格を持たせていた。


 金色の獅子だ! 会場に居た誰かが突如そう叫んだとき、会場にどよめきが沸き起こった。


 確かにそんな感じだった。近寄り難い異様な迫力を持つポップのオーラは、会場の雰囲気を圧倒しつつあり、一言一言が明確で、且つ重く響くポップの声は、その存在感をさらに押し上げていた。


「綺麗事は言わない。諸君、いいか、利潤を追求しろ! 最速かつ最大で! できないとは言わせない。できるまでやるか、さもなくば去れ!」

 

 最優先されるべきは利益。それは、少なからずも何かしらの対外的な理想、例えば社会貢献といったものをその胸に秘めている者たち、特にアキラのような若者には毛嫌いされる思想かもしれない。


 だからこそ多くの企業は、たとえそれが建前でもとりあえずは顧客第一主義をうたう。お客様のため、ひいては社会のためにと。もちろん、その実は競合他社を叩き潰すこと、市場を奪い合うことしか頭にはない。前途有望な若者たちを首尾良く取り込んだ後は、給与の額面をちらつかせながら、これが現実だとでも言わんばかりにその思想を少しづつねじ曲げてゆく。


 若者たちは、曖昧模糊とした会社の中で、結局は虚実間の摩擦で無駄に我が身をすり減らしつつ、いつの間にか年をとり抜け出せなくなって、ある日突然放り出されることさえある。


 ADCは、そうした口先だけの妄想を掲げる会社とは明らか毛並みが違った。あえて初めから、若者たちの抱く理想とは対極にあるものをぶつけてくる。たいていの若者たちはそれまで培ってきた価値観を簡単にひっくり返されてある種のカルチャーショックを受けてしまう。


 ここで不思議なことが起きる。ショックを受けた若者たちは、それまで抱いていた淡い理想だけでなく、その理想に裏打ちされていた漫然とした不安までもが跡形もなく吹き飛んでいることに気づくのだ。


 ここしかない。今、この会社に入らなければ一生後悔する。


 ショックで心が刷新されためか、若者たちはそんな風に思いこみ、あたかも新しい世界への入り口にでも立つかのようにADCへの入社を決めてしまう。 


 うおおお! いいぞ、いいぞお!


 会場のあちこちで気勢があがった。

 ポップの、その派手な容姿と、包み隠そうとしないストレートな物言いは、その場に居た若者たちの心を鼓舞する力をもっていて、その力は若者たちの間にすぐさま浸透し、同調圧力とでも言うべきものに変わっていった。


 その場に居た大半の者が、ADCで働けば自分もポップのように成功できると錯覚していた。

 

(最速かつ最大の金儲け・・・か)


 異常なほどの盛り上がりを見せる会場とは裏腹に、アキラの気持ちは沈んでいた。


(相当にこき使われそうだ、俺の場合は)


 中卒のアキラにとって、その会場にいるほとんどの者が、学歴も年齢もアキラよりも当然上で、アキラの知らない知識やスキルを山ほど身につけている人たちだった。ここで同時にスタートを切るとしても、アキラのスタートラインは彼らよりもはるか後方にあると、アキラはそんな風に思っていた。


(あのときは不安で一杯だったけど、今はなんとかやれている)


 この一年を振り返るってみると、アキラは結局、入社式でポップに言われたことをそのとおりに実行していた。全身の力を最大限にふり絞って瓦礫を運ぶ。これを毎日毎日、ひたすら繰り返してきた。おかげで今では、初日の仕事量の100倍近くもこなせるようになっている。

 

 また、上司にこき使われるといったパワハラまがいの扱いはこれまで一度も受けていない。仕事は確かにきついが、決して無理を強いられることはない。仕事場で求められていることは、自分にできることを常に全力でやることだった。


 常に全力を尽くす。言葉にするのは簡単だが、実行してゆくのは決して容易なことではない。勿論アキラにとってもそれは例外ではない。しかし、日々確実に積み重ねられていく自己の成長が、それがたとえわずかだとしても、妥協しそうになる自分の背中を押してくれることをアキラは実感していた。


(社員同士での競争とかもあってかなりシビアなんだろなって思ってた。確かにそういう側面がないとは言わないけど、基本的にみんな親切なんだよな)


 職場の人間関係も良好で、ギスギスした感じがない。ハリルなど管理職の立場にある者たちは、むしろ率先してよりきつい仕事を引き受けている。上の立場にある者たちに対する信頼は厚く、下の者達の間では互いに助け合うことが当たり前のようになっていた。共に身体を張って仕事をしているという共通の思いが、協調性など言ったいかにも取って付けたような言葉にはない、一種独特な一体感をもたらしていた。

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