第3話 昼飯
そんなことを考えながら、今日もアキラは瓦礫の分別作業に追われている。
アキラの仕事は、瓦礫を分別して袋詰めにし、それらをキャリアと呼ばれる搬送装置に運ぶこと。ADCでは、アキラのような分別作業を行う者たちをローディと呼んでいる。
ローディは、瓦礫を分別して運搬、とにかくこれをひたすら繰り返す。来る日も来る日も一日中、高さが20メートルくらいある瓦礫の山とキャリアとの間を何十回も往復する。
瓦礫でパンパンになった袋は最低でも30kgはある。その袋を特製のバックパックに載せてそれごと背負う。そうして普通は2つ、もしくは3つの袋を運ぶのだが、アキラの場合は少なくとも4つ、多いときで6つの袋を一気に運ぶ。
せえーの・・・ほっ、ふんっ!
しゃがんだ姿勢からバックパックを背負って立ち上がると、その肩当ての部分を介して、150kgを超える荷重がアキラの両肩に容赦なく食い込んでくる。
もちろん肩だけじゃなく、作業中はとにかく足腰にかかる負荷がハンパない。加えて、袋を積み降ろすときに腕と背中の筋肉も酷使されるため、終業近くになると全身の筋肉がいつもパンパンに張っている。
瓦礫の分別・運搬作業は、ADCにおける仕事の中でもっともきつい肉体労働であり、腰や背中などを痛めて辞めてしまう者も少なくない。
作業自体は単純であるため、ロボットを使用してオートメーション化をすすめれば、作業効率が格段に向上することは間違いないはずであるが、そうした試みはなぜか全く行われていない。
パンポンピロピロポーン!
「よーし、午前中の作業はここまで、飯に行くぞ、アキラ」
ちょうどキャリアの方から戻ってきたアキラに、ハリルが声をかけた。
ハリル・ボンボルブ(35歳)。アキラの上司にあたる存在で、ここではすでに10年以上も働いている。
ちなみに、ADCにおける入社後3年間の離職率は、およそ9割と言われており、10年以上働きつづけている社員というのは、ADC全体で1%もいない。ハリルはそうしたベテラン社員の中の一人であり、瓦礫処理に関するこの仕事を誰よりも熟知していた。
大柄でがっしりとした肉付きをしたハリルの身体は、いつも日に焼けた黄褐色をしており、埃や泥ですでに汚れている白いタンクトップがよく似合っていた。身長は低めで見た目はずんぐりとしているが、その丸太のような腕と脚は、作業員の中で一番の太さを誇っている。
「ええ、ハリルさん、急ぎましょう。さあ、食うぞー」
「ワッハハ、お前さんの喰いっぷりは、俺らの中じゃダントツだよ。今日も腹すかした豚みたいにがっつけよ」
「豚って、ひどいなハリルさん」
「こりゃすまん、気に障ったか? お前さんはもっともっとデカくなれるって意味だよ」
ハリルとアキラは笑いながら、同じく午前の仕事を終えてきた他の作業者たちに合流して、食堂車の方に向かった。
食事は、作業場で働く者たちの唯一の楽しみだった。昼と夕方の定刻になると、大型バスほどもあるでかい食堂車が4、5台で作業場にやってくる。
各食堂車にはADC専属のシェフが同乗しており、注文されたできたての料理が振る舞われる。
メニューは豊富で、和食はもちろん洋食そして中華まで、一般的にその名前を知られている料理なら、ほとんどそろっている。そして、食材はどれも新鮮で、しかも高級なものが使用されていた。
専属の一流シェフたちと高級食材の数々、この組み合わせをとってみても、ADCの食堂車は、一般的な会社の社員食堂のレベルを遙かに超えていた。しかもここで出される全ての料理は、ADCの社員なら無料で食べることができる。つまりタダで食べ放題。そういうわけでADCの食堂車は、特にアキラのようなローディたちにはかなり喜ばれていた。
アキラとハリルは並んでいつものカウンター席に座った。テーブル席もあるのだが、そこだと料理が運ばれてくるのに時間がかかる。ウエイターのお姉さんは3人ほどいて、みんなフルに動いてはいるが、混み合う時間帯はどうしても待たされることがある。カウンター席に座れば、シェフから直に料理を受け取ることができて時間の節約になる。
「やあアキラ、今日も例の奴でいいのかい?」
「こんにちはミルコシェフ、うん、とりあえず。他に何かお勧めはある?」
「スズキのいいのが入ったよ。ムニエルが最高だな」
「じゃあ、追加でそれも」
「わかった。ハリルさんは?」
「俺はそのスズキを塩焼きにしてくれ」
「分かりました」
シェフは、黒光りする年季の入った鉄板にカンッと火を入れた後、巨大な骨付き肉の塊を、調理場の奥にある冷蔵室から取り出してきた。それをそのまま、まな板の上にどんっと置くと、鉈のような肉切り包丁をひょいと振り上げ、肉塊の真ん中に突き当てた。
肉の塊は、すばやく5枚の分厚いサーロインに切り分けられ、頃合いの熱を帯びた鉄板の上に無造作に並べられた。のったりとした白く涼しげな外面をみせていたサーロインが、じわじわと、しわがれた灰色を帯びてくる。同時に溢れ染み出す肉汁が高熱の鉄板に触れると、シュシュシュと一瞬で焼き騰し、芳ばしい香りとなって立ち昇ってゆく。そうなるともう肉の焼ける匂いが、他の料理の匂いなどどこかへ押しのけるようにして車内に充満する。
ドン、ドドン!
アキラの前に、トマト、レタス、キュウリがそのまま山盛りになっている巨大なボウルと、牛乳の入った特大ジョッキが置かれた。
アキラはジョッキを右手で取って、ゴキュ、ゴキュ、ゴキュと中の牛乳を一気に半分ほど飲み干した。
「ぷはー」
次いでアキラは、テーブルにおいてあるドレッシングの瓶を取り、ボウルの中の野菜の上にピュピュッとふりかけた後、その野菜をそのまま両手でつかめるだけつかんだ。
「いただきます!」
アキラは、大きく口を開けると、両手の野菜に顔を突っ込むようにしてかぶりついた。
ガシュガシュ、バキョ、バキョキョキョ
最初につかんだトマトやキュウリは瞬く間になくなった。すぐさま空いた手の方で次の野菜をつかみながら、まだ口の中に残る野菜を強引に飲み込み、次の野菜を再び口の中に押し込んだ。
「おいおいアキラ、そうあわてるなって。肉はすぐに来るからよ」
ふふ、ほんと子供みたいな奴だな。ハリルは、アキラのそうした姿をいつも内心楽しげに反芻しながら、見守るように目を細めていた。
「アキラ、お待たせ。いつものミディアムレアだ」
通常の大皿くらいの大きさのサーロインステーキ肉が5枚、ステーキ皿の黒い鉄板の上に一気に盛りつけられていた。皿からはみ出た肉山の裾からすでに油が滴り落ちており、その元を辿ると、肉山の頂に置かれた肌色の角バターが、ゆらりとろりと滑り溶けていた。
「うっはー、こりゃたまんねえ! いっただっきまーす!」
アキラは、フォークを一番上のサーロイン肉に突き刺して、肉山を上から押さえつけて動かないようにすると、フォークのすぐ近くにナイフを添えた。
サクッと、肉の山は容易く分断された。
アキラのナイフさばきは、その動きがあまりにも滑らかで、奇妙な違和感すら感じさせるものだった。それはまるで、絹ごしの豆腐でも切るように、肉に刺し込まれたナイフが内側にすーっと分け入ってゆくのである。高級肉特有の柔らかさというものがあるとしても、それが肉本来の持つ硬さや弾力にまで完全に及ぶとは考え難い。つまり、そうした肉の抵抗がほとんど無視されるほど、アキラの腕力は強く鍛え上げられていたのである。
肉をあらかた切り分け終えたアキラは、右手にフォークを持ち替え、牛乳の入った大ジョッキを左手に握った。
アキラは、肉片を2、3枚まとめてフォークに突き刺して持ち上げると、それらを一気に口の中に押し込むようにして入れる。そして、ギュ、ギュ、ムチャムチャムチャと、数回噛んだだけで飲み込んでしまう。ただ、たまに勢いあまって喉に詰まらせることがあり、そのときはジョッキの牛乳を飲んで強引に胃の中へ流し込む。
「ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ、ぷはー、死ぬかと思った。けど、やっぱうめえ!」
「アキラ、次の肉も焼き始めるか?」
「へへ、シェフ、よろしくお願いしまーす」
ぺろりと舌をだしながら、お腹のあたりをすっすとさするアキラの仕草が、ハリルの笑顔をさそった。
「まったく、どういう胃袋してんだ、お前さんはよ」
こんな具合にアキラは、少なくとも500gはあるステーキ肉を最低でも10枚、多いときには20枚ぐらい食べる。他にも魚介類や果物、野菜、穀物、スープなど、そのとき食べたいと思ったものを片っ端から食べていく。強烈な辛みや臭いなど、そういった極端な香味を持つものでもない限り、アキラは好き嫌いなくなんでも食べられる。
そのおかげで、アキラの体はこの1年で見違えるほど大きくなった。入社当初は170cmくらいだった身長は、ぐんぐん伸びて、今ではすでに190cmを超えていた。線が細く華奢だった体つきは、今はもう見る影もなく、見せかけではない本当に使える筋肉が、胸や腕だけでなく、太股、腹部、背中と全身にバランスよく付いていた。
「あっ、そうだアキラよ、午後は本社に行って健康診断を受けてこい」
スズキの塩焼きでごはんをかき込もうとしていたハリルが、思い出したように箸を止めて言った。
「健康診断?」
「ああ、年に一回義務づけられてる奴だ。今朝、総務課からメールがあってよ」
「行くのはいいんすけど、仕事はどうするんです?」
「お前さんはまだ若いから、たいして時間はとられんよ。尿と血液を少し取られて、医者の問診を受けて終わりだ。おそらく30分もかからんだろう。この休憩時間中に十分戻ってこれる」
「そうすか、分かりました。食べ終わったらすぐに行ってきます」
ADC本社は、アキラたちが今居る作業場からおよそ60kmほど離れたコルセア地区と呼ばれる場所にある。そこは、超高層ビルが立ち並ぶハイグレードなオフィス街で、この国の経済の心臓部といわれるほど、世界各地からの様々な情報、資本、そして人々が集まっていた。そうした高層ビル群の中でひときわ目立つ全面ガラス張りの巨大な本社ビルは、まるで静かな湖の水面を写し取ったようなその外観から、その界隈で「静水の巨柱」と言われていた。
ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ、・・・ダンッ!
ジョーは、ジョッキグラスの中の水を一気に飲み干すと、カウンターテーブルの上にジョッキを置いた。ジョーの前には、少しでもバランスを失うととたんに崩れ落ちそうな皿の山が3つほどできていた。
「ごちそうさまでした。ミルコシェフ、今日も最高でした!」
「ありがとう。お前さんはいつもそうやってうまそうにぺろりと食べてくれるから作りがいがあるよ」
「いや、マジでうまいっすから。シェフの作る飯は俺の生き甲斐なんす」
「ははは、そうか。しっかり食べて、これからもがんばれよ!」
「はい!」
ジョーは席を立つと、すでに食事を終えて他の仲間のところでタバコをふかしているハリルのもとに行った。
「ハリルさん、これから本社に行ってきます」
「おう、アキラ、気をつけてな」
食堂車を降りたアキラは、作業服を着替えるのが面倒に思えたため、その格好のまま、作業所の門を出てすぐのところにある地下チューブの入り口に向かった。地下チューブとは、従来の地下鉄に替わる公共輸送手段であり、地中に配設された巨大な真空チューブの中を、人々を乗せた移送カプセルが時速1000kmを超えるスピードで移動するというものである。この地下チューブを使えば、60kmも離れたADC本社であっても、たった10分ほどで行くことができる。
アキラは、本社に最寄りの駅である「コルセア・クリスタル」駅方面に向かう移送カプセルに乗り込んだ。
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