第4話 仕事
「ごちそうさまでした」
うどんを食べ終えた名瀬は、カウンター越しに代金をお店の人に渡すと、足早に店を出て庁舎に戻った。
(さーてと、仕事だ、仕事)
名瀬は現在、発明を審査する審査官として特許庁で働いている。出願された発明が特許に値するか否かを審査するのが、名瀬の主な仕事である。発明に関する審査は、予め法律に定められた審査項目に基づいてなされ、その審査項目の中には、例えば、すでに公にされている発明と同じものや似たものがないかどうかを調査することなども含まれている。発明に特許が付与されるためには、そうしたすべての審査項目に関する要件を満たしていなければならない。
ちなみに、この国では、毎年およそ20~30万件の発明が出願されるが、実際に審査されるのはおよそその8割ほどで、審査を経て特許になるのはその約半数に過ぎない。またたとえ特許になったとしても、企業の事業計画変更などにより実施されない発明も存在する。日の目をみる発明というのは、おそらく全体の一割にも満たない。世間にほとんど知られることもなく埋もれていく発明は多い。
特許審査を担当する審査官はおよそ1700人ほどであるため、単純計算で一人当たり毎年およそ100~150件もの審査を担当することになる。審査が遅れてしまうと、その分、特許の存続期間が短くなって出願人や発明者に不利益となってしまうため、審査の質とスピードは、常に向上させていかなければならない。
通常業務だけでも大変であるにもかかわらず、さらに名瀬は、自分が審査の担当となった発明を自分で作ってその効果を試している。勿論、実際に発明品を作るなど、たとえ審査官といえどもそこまでやる必要は全くない。それはあくまで名瀬が個人的な趣味として行っていることで、そんなことをしている審査官はおそらく名瀬一人だろう。
ただ、審査対象となった発明の全てを作ることができるというわけではない。発明にもいろいろあって、例えば車や船、飛行機といった発明品そのものが家に入りきらないほど大きなものや、入手困難の特殊な試薬や材料を必要とする化学系の発明などは、さすがにこれらを自宅で作ることはできない。しかし、日用品や小型の工作機械、電子機器、各種部品など、ホームセンターやネットショップ等から普通に購入できる材料で作れるものなら、大抵のものは作れてしまう。
尚、名瀬の部屋には、ドライバーやレンチなどの一般的な工具類はあるが、何百万円もするような高価な工作機器はない。高い精度が要求されるハイテックな機器を作る場合などは、専用の工作機械を使用しなれば普通は作れないはずなのだが、そういったものでも時間さえあれば名瀬はなんとか作りきってしまう。
なぜそんなことができるのか? 実は名瀬は、ある特殊な能力を持っている。アクションヒーローもののアニメやマンガなどでよく出てくる超能力のひとつに念動力(サイコキネシス)というものがあるが、名瀬の能力はそれに似ている。この能力を使うと、特別な工具や工作機器類がなくとも、ほぼ思い通りに目的物を作ることができる。ただし、その構造と作り方が分かっていて材料も揃っていることが条件となる。その点、特許出願をする際に提出される明細書には、発明品の構成と製造方法に関する内容が記載されているため、材料さえ手に入れば、名瀬はその能力を使って発明品を作ることができるのである。
名瀬は自分が持つこの能力のことを、ファン・クラフティング・スキル(Fun Crafting Skill:楽しく工作する能力という意味)とよんでいる。このスキルがあるため、小学生ぐらいの頃の名瀬は、興味の赴くままに何でも作った。いや、分解してきたというべきだろうか。分解してその構造を調べた後、また元に戻し、こんどは別の材料で作ってみる。要するに、身の周りのものを手当たり次第に分解しては、また一からそれを作り直す。そんなことをして遊んでいた。
気ままに楽しんでいた名瀬だったが、ある事件を境に、そのスキルを使うことに慎重になった。名瀬が小学4年生のころ、変速ギア付きの自転車が欲しくて親にお願いしたが買ってもらえないことがあった。名瀬は、しかたなく友達に頼み込んでその友達の変速ギア付き自転車を分解させてもらった。そしたらそれが友達の親にバレて大変なことになった。勿論自転車は元通りにしたので友達に迷惑はかからなかったのだが、名瀬は父親と共に、友達とそのご両親に頭を下げることになってしまった。
あまりに興味がすぎると、いろいろな人に迷惑をかけることになる。もともと内気な名瀬はそれがたまらなく嫌だった。自分の能力を他人にひけらかすようなことはしたことがなく、勿論友達にもそのことは秘密にしていた。
学年が進むにつれて興味に方向性が出て来て、ラジコン、ステレオ、時計、カメラ、パソコンといった身の回りにある電子機器が中心となった。もう友達から借りることは一切せずに、使い古したものをもらってきたり、粗大ごみとして捨てられているものを拾い集めて、それらを修理したり、さらには自分でオリジナルなものを作るようになっていた。それらの外見は店で売っているものとほとんど変わらないが、個々の部品の改良も行っていたため、中身はかなりハイスペックなものになっている場合もあった。家に遊びにきた友達から、どこで買ったのかを聞かれて困ることもしばしばあった。
ものづくりに関する名瀬のこうした生活は、結婚してからも基本的には変わらなかった。勿論、自宅では家事と育児が最優先であり、学生や独身だった頃ほどの自由度はなくなったが、それでも名瀬は、時間さえあればそのスキルを使ってものづくりをしていた。
そして、特許庁の審査官という仕事は、そんな名瀬にとってはまさに天職と言えるものかもしれない。確かにいかにもお役所仕事的でしんどい思いをしなければならない場面もあるのだが、新たな技術に常に出会えるという環境自体は、何物にも替え難い楽しみを名瀬にもたらしてくれる。新しい技術に出会えたときの感覚、これをどう表現したらいいのか、それは、無限に広がる柔らかな白いベッドの上に身を投げ出しているかのような、そんな心地良さを与えてくれるものなのである。また名瀬は、その技術を理解するために、いろんな文献を読みあさることもしばしばあって、そのため名瀬は本を読むこともすごく好きなのである。
3LDKのマンションにおける名瀬の部屋は、これまで試作した諸々の道具や装置、様々な科学雑誌や書籍などで埋め尽くされている。雑多で殺風景。だが、その部屋の片隅にある棚の辺りは少しだけ雰囲気が異なる。そこには、2歳から年長くらいまでだろうか、トキオが当時遊んでいたおもちゃがいくつか並べられている。電車、ミニカー、光線銃や剣、ヒーローの変身ベルト等、実際は勉強ばかりでほとんど遊ばせてもらえなかったのだが、遊んでいるうちに壊れることもたまにあって、それを修理してあげると、トキオがとても喜んでくれたことが今でも忘れられないのである。
妻の綾子が亡くなってから、名瀬はより一層、仕事に励むことになった。そうすることで、綾子に対する鬱蒼とした気持ちをたとえわずかな間でも忘れることとができるし、仕事さえしておけば、結果としてトキオを守ることにもなると、そう信じていた。
そういうわけで名瀬は、職場では通常の審査業務をこなしつつ、自宅に戻ると夜中の3時ごろに起きて来て、トキオが目を覚ます朝の6時半くらいまで、自分の部屋でゴソゴソと発明品の製作にとりかかるという生活を繰り返している。
The father・man K助 @kkjmd
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