第2話 トキオ
ピピピピ・・・
朝6時30分、携帯電話の目覚ましアラームが鳴り出した。
名瀬は夜中の3時頃から行っていた作業の後片付けをしている途中で、その手を止めて携帯のアラームをオフにした。名瀬は、急いで後片付けを終えると、椅子の背もたれにかけてあるガウンを羽織り自室を出てキッチンへと向かった。
名瀬は一年半ほど前の交通事故で妻を亡くしていて、都内のマンションで子供と二人暮らしをしている。所謂、シングルファーザーという状態。
名瀬は、慣れた手つきで淡々と食事の用意をする。妻が居ないため、名瀬が家事をしなければならないのは当然のことだが、名瀬にとって家事はさほど苦になるものではない。実際、名瀬は、妻を亡くす以前からほとんどの家事を一人でこなしてきた。
その日の朝食は、ごはんと卵焼きとお味噌汁。パンを食べるときもあるが、ご飯食の方が多い。トキオがどちらかというとご飯の方を好むだからだ。
カチャ
ダイニングの扉が静かに開く。食事の用意をしていると大抵、まだ眠そうな目をこすりながらトキオが起きてくる。
「おはよう、トキオ」
「……おはよう、父さん」
トキオは部屋の中を見回すと、ふうっと一息吐いて、テーブルのいつもの席に座った。
名瀬は、テーブルの上にお皿を2枚並べて、できたばかりの卵焼きをのせた。そして、ごはんとお味噌汁をよそってトキオの前に置いた。
「はい、どうぞ」
「いただきまーす」
トキオは、目の前においてある箸を右手に持ち、茶碗を左手に持って、白いご飯を一口、口の中に運んだ。
「うん、おいしい」
名瀬も、自分の分のごはんとお味噌汁をよそうと、テーブルの自分の席に着いた。左隣りにトキオが食べているのを見ながら、静かに手を合わせた。
「いただきます」
テーブルに二人で向き合って座ることはほとんどない。トキオの正面にはいつも妻が座っていた。そしてその習慣は今も続いている。
そうした習慣は、もしかしたら変えた方が良いのかもしれないが、母親のことを忘れたがっているのでは、そうトキオに思われてしまうのが名瀬には怖かった。
「トキオ、学校楽しいか?」
「……」
「なあ、トキオ」
「え? あ、うん、まあまあ」
「そうか、まあまあか……」
何と言うか、すでに思春期にでも差し掛かっているみたいに、最近の名瀬に対するトキオの口数は明らかに減っているように思えた。
「ごちそうさま」
「え? もういいのか? おかわりは?」
「ううん、もういいよ」
トキオは自分の食器を流し台に持っていった。スポンジと洗剤をとると慣れた手つきで食器を洗い始めた。
「なあ、トキオ」
「なに?」
「お前は、朝はいつもきちんと一人で起きて来るし、食事の後片付けもしてくれる。本当に助かるよ。ありがとう」
「そんなの、当たり前だよ」
母親が居ないのだから。そうつづきそうな言葉のニュアンスが、名瀬の心に差し込んできた。
「あのさ、トキオ、今度の日曜に」
「父さん」
名瀬の声を遮るように、トキオが言葉を継いだ。
「朝、目が覚めると、キッチンの方から音がするでしょ。ちょっと似てるんだよね。母さんが朝食の用意をしていたときと。なんていうか、雰囲気が」
似ているという言葉を聞いたとき、名瀬は一瞬ぎくりとした。そのまま名瀬は、まばたきするのを忘れるくらい、トキオの方をじっと見ていた。
そう、朝だけは、妻の綾子がいつも用意をしてくれていた。
振り向いたトキオは首を少し傾げるようなそぶりを見せると、また流し台に向き直って食器を洗い始めた。
「変な話しちゃった。ごめんね、父さん」
洗い終わったトキオはソファーに置いてあったランドセルを背負った。
「じゃあ学校行ってくるね」
「え? ああ、車に気を付けてな」
「うん、父さんもね。いってきます」
トキオはドアを開けて足早に出て行った。
(似ている、か・・・)
そう呟きながら視線を落とす名瀬の脳裏に、妻と暮らしていたころの記憶の一端が、底知れぬ渦の流れに乗せられるような感覚と共に蘇った。
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