第3話 異変
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「う、うーん……はっ!」
ダオは目を覚ました。
窓から日の光が差し込んでおり、ごろんとした時に覚えるいつもの柔らかな感触がダオの全身を包んでいた。
視線をぐるりと周りに向けると、見覚えのある天井や壁、そして本棚が見えた。
(ベッドの上? ここは、俺の部屋か? 痛っ!)
突然の頭痛が走った。
(うう、頭がガンガンする)
ダオは、右のこめかみに右手の中指を添えながら、枕元の置き時計に左手を延ばした。
「なっ、9時!? しまった、寝過ごした!」
学校に遅刻すると思ったダオは、痛みのおさまらない重い頭をもたげながら、なんとかベッドを降りた。
「あっ、そうか」
ダオは、机の上に置いてあった携帯で日付を確認した。
「8月1日。今日から夏休みだ」
日はすでに高く、カーテン越しに攻め立てて来るような日差しが、その日のうだるような暑さを予感させた。
「あれっ?」
ダオは、なぜか制服を着ている自分に気がついた。
「着たままで寝ちゃったんだ……えーと、昨日は確か……あれ?」
ダオは、いくら思いだそうとしても、塾を出た後の記憶を辿ることができなかった。
「なぜだ、思い出せない」
いいや、そんなことはあるわけない。そう思ったダオは、目を閉じて昨日のことを朝から順を追って思い出そうとした。
そのとき、ダオの視野に変なものが見えた。それは、視野の中心で小さく明滅しており、意識を集中させるほどにその輪郭が明確になった。
(アルファベット、か? S……T……A、R、T、スタート?)
その単語を心の中で唱えたとき、視野が突如真っ暗になった。奇妙だが、不安よりも先に、高揚感に似た感じが沸き起こった。
少しすると、暗闇の中に複数の細かな白い光が現れた。どうやらそれらも文字のようだった。ダオは再び意識を集中させた。
〔Valkyrie System〕
バルキリー・システム。確かにそう記されていた。ダオには何のことだかさっぱり分からず、暗澹な思いが交錯した。
(何だよ、これ?)
ダオがそうつぶやいた瞬間、視野が一気に明るくなり、どこからともなく連続する音が聞こえてきて、耳を澄ますと、それらの音は次第に誰かの声に変わっていった。
〔これよりシステムを始動します〕
このメッセージが何度か繰り返された。
(いきなりなんなんだよ、何が始まるっていうんだ?)
〔ファーストミッションは、本惑星より原生人類を駆逐すること。制限時間は10000時間〕
「なんだって?」
原生人類の駆逐、確かにそう聞こえた。
〔現在の総人口:754378xxxx〕
総人口における約75億という数字の、下一桁の数字がもっとも目まぐるしく変化しており、桁数が増すほど数字の動きが遅くなっていた。
〔システム始動まであと10秒、9、8〕
ダオの混乱が収まらないまま、カウントダウンが始まった。
〔7、6、5、4、3、2、1、0、バルキリー・システム、スタート!〕
目の前が一瞬真っ暗になると、穏やかな白色光を放つ玉が出現した。その光の玉は、少しづつ大きくなっているように見えていたが実は違った。それは接近していた。ものすごい速さで自分の方に向かって来ていた。
「うあっ!」
光の玉がすぐ目の前に迫り、思わず瞼を閉じて顔を背けようとしたとき、視界が急に開けた。
視野の中には、他にも所謂アイコンのような様々な文字や図形が並んでいた。しかし、その背景に意識をもっていくと、それらのアイコンが全て一瞬で消えて視野がクリアになった。
(これは……一体?)
しかし、一つだけ消えていないアイコンがあった。
〔Morph・H・mode〕
モルフ・エイチ・モード。そう読めるそのアイコンは、視野の右隅に小さく映し出されていた。ダオは何気なく意識をそのアイコンに持っていった。
ヴゥゥゥゥン
何かのスイッチが入ったような感覚が頭の中に響いた。次の瞬間、まとわり付くような激しい振動が体中を駆け巡った。苦痛というほどでもない、ある種の気持ち悪さが身体の中でひしめき合い、次第に視界をすぼめていった。
気を失いかけたとき、二本の黒い、だが一目で腕だとわかる形をしたものが視野に飛び込んできた。
「なっ、なんだ?」
自らの意思によって動くそれは、ダオの両腕だった。黒の形態は、腕だけでなく両脚と胴体にまで及んでいた。ダオはすぐさま、部屋の隅に置いてある姿見の元へ走った。
(こ、これは!?)
鏡に映し出されたその姿に、ダオは一瞬息を詰まらせた。それは、漆黒のボディを持つ、異様な、何かだった。
「君は、誰?」
(えっ?)
すぐ後ろで声がして振り向くと、人が立っていた。
「なっ!?」
その姿を見たとたん、ダオは言葉を失った。
これまで鏡や写真等でしか見たことのない、自分の容姿とそっくりの姿をした一人の青年が、そこに立っていた。
「ねえ、君、どこから来たの?」
青年は、悪の無い笑顔でダオに話しかけてきた。
「どこって、ここは俺の部屋だ! お、お前こそ誰だ? どこから来た!」
「僕? 僕は東条ダオ、ここに住んでいるんだ」
「なんだと!?」
混乱の渦が、ダオの脳内をぐるぐると駆け巡っていた。倒れるかと思うぐらいのめまいを覚えた。
「ダオ、もう起きているんでしょ? さっさと降りてきなさい!」
下の方から、母親の呼ぶ声がした。
「ごめん、母さん、今行くよ!」
ダオの目の前にいる、ダオの名前をかたるダオとそっくりの青年が、いつものダオの声よりも少しだけ明るいトーンで返事をした。
「ちょっとここで待っていてくれるかな? 僕は朝ご飯を食べてくるから」
青年はダオにそう言うと、部屋を出て階段を降りていった。
ダオは、自分の名を名乗るその青年を呆然と見送った。
(なんなんだ、あいつは?)
ダオがそう思った瞬間、その青年のミニチュアのような映像が視野の中に映し出され、そのそばに説明書きのようなものが付けられていた。
〔東条ダオのニューカインド〕
ニューカインド? その疑問に対してはそれ以上の説明は表示されず、ダオが、青年に対してさらなる意識を向けると、視野の映像が突如切り替わった。映像には、青年と母親の姿が映し出されていた。
(なっ、なんだこれ? 下のリビング? 母さんもいる)
青年は、テーブルの席に座り、母親と何か楽しそうに話をしながら、用意されていた朝食を食べていた。
(一体どうなってるんだ? ここからあいつの姿が見えてるってのか?)
ダオの意図に沿うように、リビングでの映像が次々と変わっていった。平面的、斜視的、側面的など、いずれの視点からも見ることができ、拡大と縮小も自在にできた。青年と母親の姿だけでなく、そのリビングの、最近模様替えしたばかりの淡い緑色の壁紙や、幼少の頃のダオの落書きによりできた床の染みまではっきりと映っていた。
(どうなっちゃったんだ、俺は?)
ダオは再びスタンドミラーに身を重ねた。そこにはやはり、得体の知れないまさしく化け物という形容がぴったりの何かが映っていた。
(これが……今の……俺?)
それは、全体の輪郭は人間のそれとほぼ同じで、頭、首、胴体、両腕、両足をもっていた。しかし、頭部のうちの左眼を含む部分以外は、正三角形や正六角形といった多角形の小片の群れから成っていて、どういう理屈なのかは分からないが、小片の一つ一つが独立して浮遊しており、互いに接触してくっついたり、あるいは離れたりすることも自由にできるようだった。
一方、左眼を含む部分は、赤く半透明で巨大なルビーのような本体と、その本体から後方に延びる三つの突起部分を備えていた。
本体内部の中心の窪みには、一見すると人間の瞳のようだが、よく見ると明らかにそれとは違う、小さな球体が収められていた。その球体には、神秘的とさえいえる何かが漂い、現代科学の域を超えるオーバーテクノロジーの存在を想わせる精巧性と緻密さを備えていた。また、三つの突起部分のそれぞれは、鳥の羽根のような形をしていて、その長さ、幅、そして角度が刻々と微妙に変化していた。
(落ち着け、落ち着くんだ)
ダオが何度も自分自身にそう言い聞かせていると、視界の中に何かが表示された。
〔半径100km以内に脅威は存在しません〕
(脅威だって?)
次から次へと表示される意味不明な言葉に、ダオは翻弄されるしかなかった。
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