第12話 夢見る手帳2



 休日に図書館に来た俺は、返却された本を本棚に返していた。人目があるところでは、あまり目立つ魔法は使えない。

 書架についている梯子を登って、一番上の棚に本を戻しているところだった。


「アーカム君」


 呼ばれて目を向けると、メアさんが微笑んでいる。俺は急いで下に降りて、メアさんの前に行く。


「お久しぶりです、メアさん」


 俺が言うと、メアさんは頬に手を当てて、ほう、と溜息をついた。大丈夫だろうか。目が少し充血してるし、顔色も悪い。


「レポート、大変ですか?お疲れのようですけど。僕、手伝いましょうか?」


「ええ、そうね。お願いしようかしら」


 メアさんはうっとりとした顔でそう言うと、談話室の方に向かう。俺は残った本を本棚に手早く戻すと、後を追った。


「さあ、ここへ来て」


 メアさんはそう言って、俺を膝に乗せた。いつもは隣の席だ。凄く距離が近い。というか、様子がおかしい。失敗した魔法薬でも飲んで、悪酔いしたのかな?


 俺がなすがままになっていると、両手を胴にまわしてぎゅうっと抱き締めて来た。あ、いい匂い。背中が幸せです。



「すーー」


 さらにメアさんは、俺の首の後ろに顔をうずめて、匂いを嗅いでいる。

 あれ?いつの間にか恋愛ゲームに異世界転生してた?メアルートのフラグ立ってたのか。これはもしかして逆玉?人生勝ち組?


「がぶり」


「あっ」


 思わず声が出てしまった。調子に乗ってごめんなさい。メアさんは、抗議するように首筋を甘噛みしてきた。八重歯がつんつんと肌をつつくのがくすぐったい。あれ?八重歯なんて出てたっけ?


「嫌なことあったんですね……気の済むまでどうぞ」


 俺はそう言ってメアさんの頭をゆっくり撫でた。メアさんはぶるりと身体を震わすと、ぎゅっと顎に力を入れた。

 高等科にもなるとストレス大変なんだろうなあ。いじめかなあ。教授にセクハラとかされそうだしな(偏見)。真面目な子ほど溜め込むって言うしね。


「よしよし……よしよし……」


 耳元で囁きながら撫で続けると、やがてメアさんの身体からゆっくりと力が抜けていった。


 こういう時に大事なのは全肯定なのだ。たとえびっくりする行動をとっても受け入れてあげる。拒まないことが、安心を生む。


 両腕から力が抜け、微かな寝息が聞こえたので、メアさんを横にする。長椅子の上だが、身体の下に「隔壁」(ふわふわバージョン)を敷いた。


「 ふむ」


 出来ればメアさんを癒やしてあげたい。だが、それは難しい。


 俺は身体を「記憶」した状態に「復元」するのは出来るが、他人の疲労した身体の体力を戻すのは、元気な状態を「記憶」していなければ無理だ。


 「活性化」や「身体強化」では、体力は回復しない。むしろ体力を使ってしまうので逆効果だ。自分の強化に精一杯で、他に気が回らなかったツケだな。


 体力回復か……。一体何を指して回復というのか?ゲームのステータスみたいにHPが減ってるとか、状態異常「疲労」がついてるとかだと簡単なのに。

 とはいえ、メアさんはどっちかというと精神的な疲れが大きそうだった。心を元気にするというと、精神に干渉する魔法か……。うーん。


 脳内を物理的に改変する魔法は、リスクあり過ぎて無理だ。下手にイジるとどうなるか分からない。以前に戻したら記憶も飛びましたとか、問題を増やしそう。脳内をどうにかするのは、自分の身体にも使えない。


 俺が得意なことは、観測した事象を復元したり変更したりすることである。観測出来ればほとんどのものに干渉出来るが、今のところ自由に干渉出来ないものが二つある。


 一つは精神で、思念や意志の類は観測出来ないので干渉出来ない。


 もう一つは他人の魔力器官で、これは所有者の既に決まっている魔力に満たされているため、干渉するのは難しい。

 これは、魔法の大原則、「所有者のいる魔力は掌握出来ない」と「既に他の魔法で干渉している最中のものに、魔法で干渉することは出来ない」のせいである。



 とにかく、メアさんを魔法で回復させることは、出来そうにない。


 しかし、急に好感度が激増したような……。

 見た目はそこそこいいとは言え、フラグイベントらしいものもこなしてないし、何が琴線に触れたんだろう。


 まさか俺、主人公だった?


 冗談はさておき、疲労や魔法薬の悪酔いならこのまま暫く寝かせておけばいいだろう。


 ドアには「使用中」の札がかけてあるが、磨りガラスで中がぼんやりと見えるので、入り口には中から一方通行の「隔壁」を張って、起きれば出られるようにしておく。


 あとで何回か様子を見にこよう。そんなつもりで、他の雑用を片付けるために、俺は部屋を出た。




 だけどその後メアさんは、挨拶にくることもなく、そのまま帰ってしまった。





>>>>



 贅を尽くした寝室の、血のように赤いシーツの海で、女は気だるげに横になっていた。分厚いカーテンが陽光を遮り、今が夜か昼かも判然としない。


 吸血鬼として常に感じる、凍えるような寒さ。魂の奥から来るこの冷気は、神に見放された人の成れの果てに相応しい、永久に煉獄に留まる証だという。

 人の血を浅ましく啜り、陽の光の下へ出れず、永遠に神に認められないという想いに苛まれる。吸血鬼は、およそまともな生物からかけ離れた、呪われた存在であった。


 現つの狭間を彷徨っていた女は、何かから逃げるように、もう半ばしもべとなりつつある、少年の喉に顔をうずめて、ぷつりと牙を立てる。


 まだ熱い血潮は、強烈な渇きに染みこんでいく。未だ神の祝福の残る血は、束の間、女に偽りの安堵を与える。



 それはひどく甘く、絡みつくような痺れと快感をもたらし、女は満足したようにまた眠りについた。





>>>>


 薄曇りの雲に、霧のような湿気が纏わりつく。軀の外側は、湿気で不快なほどなのに、ひどく喉が渇く。


 あの子の血が飲みたい。


 最近そのことが頭から離れない。夢の中では従順に、私に従う彼も、現実ではそんなことはないと分かっている。

 今すぐ図書館に行って、あの細い喉にかぶりつきたい。思う存分嬲って泣かせてみたい。

 いいえ、既に行っていたかしら?あのときの彼は優しかった……。そんな夢をみたような……。今は現実?それとも夢?あるいは日記に書かれたことだった?


 それにしても喉が渇く……。





 明日こそ、図書館に、行ってみよう。


 背中を押すかのように、手帳に挟んだペンがきらりと光った気がした。




――――


 あれから何回か、メアさんは図書館に来て、「癒やし」を堪能してから少し眠り、帰っていくことを繰り返した。


 あまり顔色は良くなってないし、なんだかぼんやりしている。少し痩せたようだけど、来るたびにお礼を言われれば、少しは役に立てているのかな、とも思う。悩みを聞いても、学校や家庭は問題ないと言う。




 公園の水路の睡蓮は、花を散らして花芯が沈んでしまった。

 もうそろそろ雨季が終わる時期なのに、今日も雨が降っている。


「アーカム君」


 アーチ橋を渡っていると、橋のたもとにメアさんが立っている。目深に被ったフードは雨に濡れて、表情は見え辛い。


 橋を渡り終えると、メアさんに近付いた。俺は、ぐっと身体を寄せて、フードの中を見上げる。赤い瞳孔に、青白い顔。心臓の弱い人が見れば悲鳴をあげそうなほど、酷い顔をしていた。


「メアさん。大丈夫ですか?」


 俺が尋ねると、メアさんはにっこりと微笑む。


「少し困っているわ」


「そうですか。何かお手伝い出来ます?」


「ええ。もちろん。…………とても喉が渇いて……貴方の血を、いただけるかしら?」


 メアさんはそう言うと、俺の肩を掴んで、軋むほど力を入れた。

 笑った唇は限界まで吊り上がり、裂けた口腔から、尖った乱杭歯がのぞく。




「いいですよ。いくらでもどうぞ」



 俺がそう言うと、メアさんは驚いたように目を見開き、唇をわななかせる。それから、小さく「ごめんね」と呟くと、俺の首筋に噛み付いた。

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