第9話 入学



 南街と西街を通って流れる、ハナク川。産卵の季節にはディルス鮭が遡上して、海の恵みをもたらす。

 その後は、一気に気温が下がって冬が訪れる。




 今年は春になれば、俺も初等科に入ることになる。今はその準備で、忙しい日々を送っていた。


 初等科には行くが、飛び級の申請をするためだ。入学前に受ける、実技を含む試験の結果が良ければ、飛び級を認められる。

 一般的な街民は、義務教育として初等科に通うため、入試などは実施しない。


 実はこれが、迷宮に行くために俺が考えたBプランである。


 未だに魔力の隠蔽は成功せず、魔力器官はまだ魔力を増やし続けている。


 この先、隠蔽の魔法が成功するにしろ、しないにしろ、または他の抜け道を探すにしろ、正規で迷宮に行ける資格を早く取れるなら、やっておきたいと考えたのだ。


 周りの同年代の子供たちを見て、十分可能な能力があると判断している。



 それから、全身の「記録(セーブ)」のスロットも二つ増えて五つになった。

 そのうち、一つは「中黒豹」(みため十八才)を記録し、黒豹の青年バージョンを作った。身長は百六十センチほどで、小柄ではあるが不自然では無い。

 「擬装」では骨格を変えられるが、体格に極端な変化を加えると、変身に時間もかかるし、身体の動かし方も違うために、無駄が多くなる。もっと大きな体格も、パーツを収集すれば可能だが、あまり意味がないと思って、今のところは保留中だ。

 

 もう一つは「小白羊(女)」を記録した。ベースはシーパスちゃんである。性別を変える「擬装」は、かなり時間を要するが、何かの研究に使えると思って記録している。いや、悪用はしてないよ。

 そんなことしなくても、シーパスちゃんがなんでもさせてくれると照れながら言ってくれてるし。

 シーパスちゃんマジ天使。


 裸?……正直言って、気配察知エリアに入れば誰もプライバシーなんてないんだよね。

 煩悩が入れば興奮もするけど、普段から認識してると、医学とか生理学とか、学術的な目線でつい肉体を見てしまう。お医者さんはこういう風に意識を切り替えられるんだろうな。



 今は勉強のため、図書館通いだ。はっきりいって、暗記科目は魔法で記録するので何の問題もない。飛び級の申請は二年ずつなので、出題範囲はとっくに終わっているのだが、一応初等科七年全部をまとめて記録しているところだ。


 気分転換に、図書館のバイトも引き受けた。内容は本の写本だが、あり余った魔力を使って「創成」で複製していく。

 本の内容も記録出来て、一石二鳥のおいしいバイトだった。



 今日も、白い息を纏いながら、石畳みの道を図書館に向かう。


 図書館は三階建ての石の堅牢な造りで、敷地の半分は小さな公園になっている。公園には立派な水路が流れていて、その上を飛び越えるようにアーチ状の橋が掛かっていた。


 俺は橋を渡って脇道に入り、図書館の裏手にまわる。バイトをして司書に気に入られてから、館員用の入り口の合い鍵を貰えたのだ。


 中に入って館員用のローブを羽織り、館内の洋燈(ランプ)を付けていく。細窓のカーテンを開けて朝の光を取り込むと、魔法で少しずつ館内の温度と湿度を上げていった。

 本にとって、冬の乾燥した空気は良くない。紙のしなやかさが失われるし、静電気が本を傷める。そうならないように、ある程度の湿度が必要なのだ。


 室温と湿度をあげた後、用具箱から何本も箒と羽叩きを取り出す。指をぱちんと鳴らすと、掃除用具は一斉に飛び出して、廊下や本棚を掃いていく。掃いた埃は、風魔法で集めて棄てる。

 もっと効率的に掃除出来るんだけど、雰囲気って大事だよね。

 ぎっしりと本が詰まった本棚の森の中で、とんがり帽子を被った魔法使いが、楽団の指揮者のようにたくさんの道具を動かす。

 そんな、何処かでみたような魔法の使い方が、楽しいと思えるのだ。



 朝の準備が終わったら、受付ブースの中にある司書用の机に座って、静かに本を読む。


 図書館のぴんとした静寂に、ぱらりと響く紙の音が、俺は好きだった。



「早いわね。準備をありがとう」


 開館時間より、随分早く来たのは、この図書館の司書長のメンフィスさんだ。五十才に届かないぐらいだが、年齢を感じさせないほっそりとした美人である。


「希少な書籍を読ませて貰ってますから。対価としては、安いくらいです」


 実際、閲覧料無しで本を読めるのは、「記録」が使える俺にはメリットだらけだ。館員として雇われているわけではない俺は、本を読ませて貰う代わりに、雑用を引き受けていた。


「あとで館長室においで。デラシア産の新茶が手に入ったんだ。君にも飲ませてあげよう」


「ありがとうございます」


 読み終わった本を本棚に戻しに行ってから、鞄の中に入っているクッキーを持って館長室に行く。

 メンフィスさんの紅茶の趣味はいい。いつもご相伴に与らせてくれるので、俺の朝の楽しみの一つだった。


「このクッキーもいいね。噛むとほろほろ崩れて、紅茶にさらりと溶けていく。相性ぴったりだ」


 メンフィスさんが、持ち込んだクッキーを褒めてくれる。この人の味の評価は的確で、とても参考になる。そのお陰でお菓子の腕前が上がっている。


「朝ごはん、ちゃんと食べてくださいね。また寝不足の顔してますよ」


「……ほんと?最近都議の方の仕事が忙しくてさあ……うちのお手伝いさんもいい年だし、朝早いとつい遠慮しちゃうんだよね……」


 そう言って、メンフィスさんはため息をつく。

 メンフィスさんの夫は既に他界して、子供も独立して家を出ているので、立派な家に年を取ったお手伝いさんと二人暮らしだ。色々と手は足りないだろう。



「じゃあ次は、軽いものを持って来ますね。それから今度、お掃除手伝いに行きます」


 俺がそう言うとメンフィスさんは嬉しそうに微笑んだ。


「楽しみにしてる。うちはもう、アーカムくんなしでは生きていけそうにないよ。うちの子になる?遺産相続する?」


「実の両親がいるので……」


「そうかあ。残念だなー」


 そう言ってメンフィスさんはくすくすと笑う。都議会では、辣腕を振るう女傑らしいが、俺が知っているのは、この柔らかな空気をまとった図書館の館長のメンフィスさんだ。

 俺のことを何かと気にかけてくれるこの人が、大好きだった。




――――


 特に問題もなく試験は終わり、飛び級の申請も許可されて、春が来る。



 入学までの間、メンフィスさんの家の手伝いに行ったり、図書館に相変わらず通ったり、シーパスちゃんと秘密の特訓をしたり、姉に殴られたりして忙しく過ごした。


 相変わらず迷宮には行けていないが、毎日やることがいっぱいある。

 もう少しだけ、子供の時間を楽しんでもいいだろう。

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