第3話 アバター
アーカム・ルテクス。それが俺に付けられた名前だった。
ルテクス家は五人家族で、出産のときに家にいた六人のうち、助産師の老婆以外が、俺の血縁だった。中年の女が祖母のフラン、青年が父のハニカム、そして母のアマニア、姉のフィアーネである。
数年が経つと喋っても歩いても不自然でなくなったが、常に側には姉のフィアーネがいた。
三つ違いの姉は、ことあるごとに、「アーカム、ついてきなさい」「アーカム、言うこと聞きなさい」と言ったが、俺は従順に従った。
子どもの言うことなど大したことではなかったし、それをこなせるだけの体力もあった。
外見的には、姉よりも身長は低かったものの、身体は強化することにより、大人よりも遥かに力を出すことが出来た。他の子供たちは、自分のように魔法を使えていなかった。俺は異常だったが、それを自覚していて、上手く隠すことに成功していた。
近所では、無口で、物分かりのいい、少し発育の良い子だと思われている。
姉に連れられて見た外の世界は、どこかの西洋のような街並みだった。家の周りの道は、石畳だったがしっかりと目地を固められ、排水溝が付いている。大通りは、のっぺりとしたコンクリートのような道路が敷かれていて、馬のいない馬車のようなものが走っている。夜には街灯がつき、日が暮れても商店は店を開けていた。
街中は比較的治安が良く、子供達が路地を自由に走り回っていても問題なかった。
俺は常に姉に連れ回され、姉の女友達と遊んでいたが、得意の空間把握能力で、かくれんぼや鬼ごっこは無敵を誇っていた。
女児に囲まれてということで、ちやほやされているように見えたのだろう、男子からのやっかみもあったが、子供の嫌がらせなど身体能力の高さで避けられるし、来るとわかっている罠など備えていれば引っかからない。
飄々と嫌がらせを躱す俺に、最後には向こうが気味悪がって諦めた。
まあ、ちやほやされているのは事実だったのだが。ままごと遊びや刺繍の習い事に付き合ううち、簡単なクッキーや組紐で編んだ髪飾りを持ち込んだのがウケた。集まると女同士で取り合いになったが、最後にはフィアーネが膝に抱いて勝ち取っていた。
――――
「こんにちわアーカム、お母さんはいる?」
「こんにちわセロンさん、ちょっと待っていてください」
いつものように家の前の道で遊んでいると、獣人(セリアン)のセロンさんが遊びに来た。
獣人は獣神の「加護」を持つ人達で、見た目はまるっきり人なんだけど、生まれた時にランダムに何かの獣の加護も貰う。面白いのはその加護によって、肉体を変化させる「獣化」を行えることだ。獣化した彼らは身体能力を飛躍的に伸ばす。
獣人の人達は、獣化を加護の顕れとしてとても誇りに思っており、セロンさんも普段でも耳や尻尾を常に出していたし、もっと獣化した姿も見せてくれた。
セロンさんは黒豹の加護を持った獣人で、プロポーションはすらっとしていて、クールな印象のかっこいい女性だ。
俺は自宅の扉を開けて、母を呼んだ。
「母さん、セロンさんが来たよ!」
「はいはい、入ってもらって」
俺はセロンさんを居間まで案内し、ダイニングテーブルの椅子をがたごとと引いた。
「こちらへどうぞ」
「小さいのにちゃんと紳士だねぇ。よしよし」
セロンさんは優しく目を細めると、俺の頭を撫でた。それから椅子に座ると、大人しく母が来るのを待つ。
「今、お茶を淹れるから待っててね」
隣のキッチンから母の声がかかる。
その間、俺はセロンさんをじっと見ていた。
「んん?どうした?」
セロンさんは立ち尽くしている俺を不思議そうに見る。その視線を無視して、俺はセロンさんを見続けた。
「アーカムはセロンさんがお気に入りよね。来るたびにずっと見てるわ」
かちゃかちゃと茶器を持って来ながら、母はおかしそうに言った。確かに俺は興味津々である。獣化という現象が、どういう仕組みなのか解明するのが楽しみでたまらないのだ。
「アーカムは私が大好きなのかなぁ?」
セロンさんは機嫌良くそういうと、いつものように横抱きに俺を膝に乗せた。まんまと近くで見る機会を得た俺は、ぺたぺたとセロンさんの頬を触りながら、猫耳を凝視する。
「今期の第二迷宮の出荷量が増えてね、また事務処理のヘルプをお願いしたいんだ」
「あらあら、大変ねえ。いつから行けばいいかしら?」
セロンさんはこの街の流通ギルドで管理職をしていて、たまにこうやって母をヘルプに呼ぶ。
流通ギルドは獣人コミュニティが立ち上げたギルドで、獣人の身体能力を活かして街の流通や郵送を担っている。
セロンさんは母と冒険者パーティを組んだことがある縁から、母をよく頼って来る。
俺はというと、二人の話を聞き流しながら、獣化を解き明かそうと、セロンさんを解析していた。
結論として、獣化は魔法であるようだ。それは身体強化の一種で、魔力で肉体を改変、増成しながら、それを自分の獣の性質に強化していく。魔法が完成すると、実際に増えた角や尻尾は現実の肉体となっている。
俺は何度目かになるセロンさんの生体情報を取得した。
これを脳内のシュミレータで、以前に取得した分と合わせて、精巧な黒豹の頭部と尻尾、手足の先を獣化した自分のアバターを作成する。
他人の生体情報は、その人の魔力により読み取り難いが、何十回か繰り返すことで、情報を補完していった。一番情報欠損の多い魔力器官の近くは、今のところ手付かずである。
顔や手足は前にセロンさんが獣化していたのを参考にしたので、いくらかバランス的に大きくなってしまったけれど、今の身長と変わるのでこれはこれで都合がいい。
そう、完成したこれは、見た目を変えるための獣化を模した「擬装」魔法である。見た目は獣化に見えるし、強化した肉体で行動範囲も増やすことが出来る。まだまだ広い街を探検するのに、俺が求めていた魔法だった。
――――
姉が八才になると、初等科に通いだし、俺は姉が学校に行っている間、自由となった。
その時間で、「擬装」魔法を使いながら、街の中を見て回る。うちの周りの道や、石造りの家は、中世の西洋を思わせたが、広い大通りに出れば、もっと高い建物も見つかった。中世というよりは、近代の方が近いような気がする。誰もが魔法を使うせいで、ともすれば前世の現代よりも進んだ部分もあるようなのだ。
姉のお供から解放されると、行動範囲が爆発的に広がった。擬装魔法に付随した身体強化で、屋根伝いに冒険する。身体は使えば使うほど、身体強化が馴染んだ。調子に乗った俺は、いろんなところに遠出するようになった。
それは必然的に、新しい「お友達」と遭遇することでもあった。
「おい!あいつどこ行きやがった!」
この辺りは「西街」と呼ばれる西側の区画であり、俺が住んでいる「東街」より格段に荒んだ雰囲気を出している。
今、塀の上から見ていると、下の裏路地には、山と積まれたゴミと格闘している十代の目付きの悪い子供たちが悪態をついている。
「この道に入ったのは絶対なんだ!ちくしょうどこに隠れてやがる!」
通りを歩いていたら、不自然に取り囲む人の動きを「気配察知」が捉えたので、わざと路地に入って視界から消え、さらに壁を蹴って塀の上に登ると、彼らは集まってやってきた。
俺がゴミの影に隠れていると思ったのか、ゴミをひっくり返してゴミ塗れになっている。孤児にしては身なりがちゃんとしてるし、帰ったら怒られそうだ。
正直言って、どうとでも出来るんだけど、情報収集のためにコミュニケーションを取ってみたいをいう気持ちがあった。
「こっちだよ」
びっくりした顔で振り向いた子供たちは、いろんな反応を返した。そのまま呆然とするもの、悔しそうに喚くもの、あっ、石は投げないで。オイタにはお仕置きしますよ。
「いってぇぇ!」
投げてきた石を正確に額に投げ返すと、当たった子供は痛みに転げ回った。
石を投げられる覚悟のある奴だけ石を投げるがいい。こちとら聖人君子じゃないんだ。
「お前!どこのもんだ!この辺はオレらの縄張りやぞ!」
ふむふむ。ごっこ遊びかな?
「縄張りだと他所者は入れないの?」
「他所もんはジョーノーキンを払うか、俺の手下になるかどっちかだ!どーでもいーから降りてこい!」
塀の上で足をぷらぷらさせながら聞くと、一番大きい男の子が喚く。俺は三角跳びの要領で反対の壁を蹴って下に降りると、その子を見上げて言った。
「その前に、ボスを倒せば俺がボスだよね?」
顔を真っ赤にして振り下ろしたその子の拳は、案の定、あくびが出るほど遅かった。
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