第2話 幼児
幼児とは、何もかもがままならないものである。すぐに眠くなるし、すぐに目が覚める。歩きまわることもできないし、喋れるほど声帯が完成していない。
そもそも数日では、大人が言っていることも理解出来ないのだ。
恐らく姉である幼女は、起きるとすぐに俺のそばに来て、ずっと俺を眺めてお喋りしている。
俺はといえば、夜は母を起こさないようにこっそりと乳を吸い(すぐに授乳しやすいような姿勢と夜着にしてくれているお陰で、少し身体を動かせば出来た)、昼間は泣いて堂々と乳を貰っている。
初乳は赤ん坊にとって免疫などを貰う大切な栄養だと何かで読んだので、遠慮せずに貰う。夜は勝手に授乳するせいで、母は寝不足にならずに、とても元気そうだ。
ところで、生まれる前から自分の身体の中を探っていたせいか、体内を認識する感覚が鋭くなっていた。いや、鋭いというのも烏滸がましいほど、体内の情報を識ることができるようになった。一つ一つの筋肉の動きや内臓の位置だけでなく、その細部を顕微鏡で拡大するように見ることができ、口腔内に入った菌さえも、集中すれば認識することができた。
そのままいろんなところを視ていると、胸骨の奥と鳩尾、丹田の三つの位置にある小さな血管の塊のような臓器を発見した。それぞれに意識して「動かす」と、肉体を動かすエネルギーとは違うエネルギーが出ることが分かった。この未知のエネルギーは意思に反応して形をとり、結果を知覚に返してきた。
面白いことに、このエネルギーは事象に干渉した。身体の内と外で干渉出来る範囲は異なるが、ともかく、意思のままにあるべき事象を捻じ曲げたり、改変したり出来るのだ。
未知のエネルギーを魔力、三つの臓器が魔力器官、干渉が魔法と名付けられていると、のちに判明した。
大人たちも家の中で、魔法を行使していた。火を付けたり、水を出したり、風で埃を払ったりしていたのを、例の知覚で感じたのだ。不思議だったのは、俺が持っている三つの臓器が、他の人達には胸に一つしかなかったことだ。
俺が操ることの出来る干渉は、大きく三つに分類出来た。すなわち、「固定」「創成」「変容」である。前世での科学知識のおかげで、物質の構成を知っている俺は、単純なものを生み出す「創成」であれば、すぐに出来ることが分かった。水も火も石も空気も、魔力がそれなりにあれば、作ることが出来る。
この力を色々と試してみる。なんせ何処にもいけない赤ん坊のため、対象は自分自身だ。
次に自分の脳内、記憶に対して「固定」を行う。その記憶は緻密な情報量のまま、いつでも思い出す事が出来るようになった。
一見地味なこの魔法だが、使いようによってはとても便利だと思っている。
記憶する対象を、不思議な知覚で読み取った、自分自身の生体情報にしてみたのだ。
最初は読み取る範囲も小さく、部位を読み取り→読み取った情報を統合→一塊の情報として記憶→記憶の固定といった一連の手順に時間がかかり、小さな臓器一つが精一杯だった。
試行錯誤していくうち、一連の手順で使う一つ一つの魔法を、全体で一つの魔法として認識し、繰り返し使っていると、やがて全身の情報を一度に「記録(セーブ)」することが出来る様になった。
ただし、その情報量を記録するには今の赤ん坊の脳では一つが限界で、それ以上増やそうとすれば、日常生活に支障が出そうだった。
これを使って、思考内の一角に、ゲームのアバターのように仮想的な肉体を再現する。つまり、身体シュミレーターを作ったのである。
次に、他人の肉体の情報を記録して、アバターを作れるか試してみた。
結果は半分失敗、半分成功。どうやら、他の人間の情報を読み取る際に、その人が持つ魔力がノイズのようになって、情報が穴開きのモザイクのように欠けてしまうのだ。
特に魔力器官の場所の情報の欠損が多かった。どうやら、魔力を掌握している思念の優先度というものがあり、他人の身体にはその人の魔力が浸透しており、それが読み取りを阻害しているようだった。だが、部分で見れば取れているところもあるため、例えば末端、腕や足であれば再現出来る。
なぜ他人の生体情報が必要だったかというと、いい加減赤ん坊の身体が飽きたのだ。父の生体情報と今の自分の生体情報を比較して、シュミレーションし、自分の身体を成長させたかった。
だが、情報の欠損が多過ぎて、シュミレーターで身体を成長させることは難しかった。逆に若返らせることは、ある時点での自分の身体の情報を記録しておけば、可能だった。これほど詳細に記録出来るのは、自分の身体であることと、胎児のあいだ臓器が作られていく過程をよく見ていたからだろう。
けれど、この試みは、また違う能力の獲得が期待できた。身体シュミレーターに展開したアバターを設計図として、生体部品を「創成」できれば、怪我などで消失、破損した肉体を、再生出来る可能性がある。
今のところ、傷や出血は直せるが、大きな欠損を一度に治すには、魔力が足りなそうだった。
他人の情報をうまく閲覧出来なかったため、知覚を鍛えることに注力する。生まれた時に無意識に広げた知覚は、何度か使ううちに二つの能力からなることが分かった。
一つは恐らく、魔法による五感の強化だ。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚を強化増幅し、その情報をもとに脳内で周りの空間を構築する。強化を続けていると、それは自分の上下左右、視覚が届いてない範囲にも及んだ。
そしてもう一つ、魔法に使うエネルギーに対する知覚が、更に脳内で構築した空間に情報を与えている。 この知覚は五感で把握している範囲より広く、魔力は離れた空間にも希薄に存在していて、意思の力で情報を取り出す事が出来る。
魔力は魔法を使うためのエネルギーであり、同時に周囲の情報が書き込まれた情報体だった。
それを五感で受けた情報と比較して、五感で把握した外側の空間も補完していく。
それは脳内に、視点が自由に動かせる3Dモデルのフィールドがあるような感覚だった。視点は壁をすり抜け、家の中ぐらいの範囲なら何処へでも行けた。身体を動さないまま、自由に行動出来る様になったようなものだった。
認識出来る空間のうち、五感で知覚できる範囲を気配察知エリア、魔法で知覚出来る範囲を魔力感知エリアと名付けた。今のところ気配察知エリアは半径50mほど、魔法感知エリアは半径200mほどの球体だ。
気配察知エリアを構築する魔法を「空間把握」、魔力感知エリアを構築する魔法を「地図」とした。
二つの知覚は得意なことが違う。
気配察知エリアは空間の把握能力が高く、飛んでくるものや、そこに置かれているものがよくわかる。
魔力感知エリアは魔法のエネルギーの動きに敏感で、エリア内で魔法が使われればすぐにわかる。また、魔力器官を持つ生き物の動きも感知した。ただし、何かの魔法の行使中は、その周りの魔力が乱され、感知能力が落ちた。
気配察知エリアの外側であれば魔法を行使されれば状況が見えなくなることもある。これは注意すべきことだった。
ともかく五感の強化、魔力感知の強化は使えば使うほど精度がよくなった。感知の精度が上がるほど、離れた場所にあるものの詳細がわかる。
今では本棚に置いてある、閉じたままの本の中身も見ることが出来た。紙の一枚一枚を把握し、そのページに載っている紙とインクの差異情報を読み取れば、ページに書いてあることは図形として読み取れる。
文章の意味は分からない。
そのため、隣の部屋で勉強している姉を感知で把握して、そのテキストを読みながら少しずつ文字を理解することにした。
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