第7話 お役所仕事 -Red-Tape-
“絶対服従は、絶対に責任を負はぬことである”
芥川龍之介 「侏儒の言葉」
建物の中は豪華だった。城のように真っ赤な絨毯が敷かれていて、上を見上げると宝石のようなシャンデリアが吊られていた。柱は立派な石造りで、古代の神殿のようでもあった。
「なんてきれいなんだろう!」
ぼくは大きな声で叫んでしまう。
見回すと、大人たちがこっちをみていた。白黒の服に、なぜか仮面のようなものをつけている。目の部分だけが隠れて顔がわからない。不気味だった。
でも、ぼくも顔がないので、同じようなものかもしれない。
「どうして皆、お面をかぶっているんだろう」
よく見ると、机の上に札がかかっていて、そこには、「住所申請」と書かれていた。
「ぼくには家がないから、ここではないな」
真っ赤な絨毯の上をゆるやかに歩いていく。
すると今度は、「婚姻届」と書かれている。
ぼくは結婚なんてしないので関係がない。
次は、「死亡届」という札があった。死んだヤマガラは、もう死亡届を出されているのかな。
「どのようなご用件ですか?」
ふいに、大人の一人が声をかけてきた。やっぱり仮面をかぶっている。
「ぼくの顔を返してほしいんだ」
ぼくは上を見上げながら必死で答える。仮面の奥の目は全然見えなかった。
「あら、お顔をお探しですか」
「そうなんだよ。顔を取られちゃって」
「誰に?」
ぼくは正直に答えようか迷った。オトのことを話しても仕方がない気もする。
「えっと、知らない人。誰に取られたかよりも、早く顔を作ってほしいんだ」
「あら、顔を作るなんてこと、私たちにはできませんよ」
「えっ、でも、役所に来ればなんとかしてもらえるって言っていたよ」
「誰が?」
また同じ質問を受けてしまった、とぼくは頭をかく。
「うーんと、友だち」
「あら、そうですか。顔を作ることはできませんが、仮のお顔をお渡しすることはできますよ」
ぼくは首を傾げた。
「仮の顔って何?」
「仮のお顔はその名の通り、役場特製のベターなお顔になります」
ぼくは少し悩んでしまう。確かに、すぐにでも顔がほしいとは思ったものの、ベターな顔というのは嫌だ。
「えっと、ぼくは自分の顔がいいんだ」
「あら、それはどんなものですか? 丸い? 白い? 目は二つ?」
そんなふうに聞かれて、ぼくははじめて真剣に考えた。そういえば、ぼくってどんな顔だったっけ。考えれば考えるほどにわからなくなる。
「えーっと、少し浅黒くて、目がまん丸だったはず。ホクロが一つで」
「あら、それならベターな顔と一緒ですよ。目がまん丸で、ホクロがあります」
「日に焼けてないと、ぼくじゃないよ」
「あら、では、日に焼けたタイプに加工してさしあげますよ」
ぼくは、黙ってしまう。加工なんてできるなら、もういっそ仮の顔でもいいんじゃないだろうか。そもそも、ぼくの顔自体が、そんなに個性的でもなかったから。自分の顔を言葉で説明しようとしても全然できない。そのくらい、普通の顔だったはずだ。
「でも、ぼくの顔が変わったら、ママが困ってしまうよ」
ぼくは、自分のために料理を作ってくれるママのことを思い出していた。
「あら。あなたのママなら、顔が変わったくらいでなんとも思わないでしょう。中身が大事ですよ」
大人はそう言うと、スタスタと奥の方へ歩いて行ってしまった。オトと同じことを言ってくる。
取り残されたぼくは、もじもじと鼻をかいて立ちすくむ。一体、オトはどこへ行ってしまったんだろう。
「ぼくは、どんな顔だったかな。オトが来てくれたら、思い出せるんだけどな。それにしても、自分の顔って、案外忘れてしまうものだな」
ぼくは、一所懸命に自分の顔を思い出そうとしていた。でも、なぜだかさっぱり思い出せない。
「どうして思い出せないんだろう。ずっと見てきた顔なのに。変だな」
机の横に大きな鏡があった。そこにはやっぱり顔のないぼくがうつっている。
「気持ちが悪いな。やっぱり、仮の顔を付けておこうかな。しばらくその顔で過ごして、オトが見つかったら、本当の顔を返してもらおうかな」
「お待たせいたしました」
見上げると、さっきの仮面をかぶった大人が布のようなものを手から下げていた。どうやらそれは、マスクのようだった。きっと、顔なんだ。
「こちらが、お役所のベターな仮のお顔となっております。お付けになられますか?」
大人はマスクをぼくの方へ差し出してくる。
ぼくはそのマスクを手に持った。肌色で、なんだか生温いような感触だ。
「付けてもすぐにはずせるの?」
ぼくは、おそるおそる聞いてみる。
「いいえ」
大人はハッキリと答えた。
「一度付けたら、二度とは外せません」
ぼくは驚いてマスクを放り投げた。急にその物体が怖くてたまらなくなった。
「一度付けたら取れなくなってしまうの!」
「ええ、もちろんです。仮のお顔とはいえ、お顔ですからね」
「でも、同じ顔がたくさん増えたら、みんなが困ってしまうんじゃないの? 誰が誰だか分からないよ」
ぼくは、ちょうど今の自分とオトとの関係を思い出した。顔が入れ替わって、何が何だかわからない。同じ顔が何十人もいたら、なおさらわけが分からなくなりそうだ。
「いいえ、このお顔さえ付ければ、管理は簡単になります。シリアルナンバーがありますからね」
大人は、マスクの裏側を指で指し示した。そこには確かに10ケタの番号がかかれていた。
「こんな番号で管理されるの? 牛でもないのに」
「それはそうでしょう。役所からお顔を借りるなんて、よっぽどの事情がない限りはございませんよ。ですから、特別扱いとなるのです。お顔を亡くすということは、そのくらいの大事ですよ」
大人は急に、静かで重々しい話しをする。
ぼくは、なんだか怖くなってきていた。
「ぼくは何も悪くないよ」
「良い悪いの話ではありません。お顔を失うということは、大事なんです」
大人は、腰を下げてぼくが放り投げた顔を拾い上げると、じっと見つめてくる。
ぼくは目をそらした。
「ぼくはぼくの顔を取り戻さなくちゃいけない」
振り返らずに歩き出した。
「あら、どちらに行かれるんですか?」
「もういいよ。ぼくの顔はぼくが見つける」
「お顔なんてなんでもいいじゃないですか。どうしてそんなにこだわるのですか?」
そんな声を聞いて、ぼくは一瞬立ち止まる。振り返ると、大人は真っ赤な仮面をはずしていた。
そこには、さっき手に持っていたマスクと同じ顔があった。ベターな顔だ。
「顔なんて、大人になったら何の意味もありませんよ」
大人は、にっこりと微笑んで、丁寧にお辞儀をした。
ぼくは、赤い絨毯の上を走り出した。
恐怖で心がいっぱいだった。
小鳥のゆくえ -Whereabouts of the birds- yuurika @katokato
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