第6話 受付にて -Government Office-

 “より無い方が美しい”

 Ludwig Mies van der Rohe

 “より無い方は退屈だ”

 Robert Charles Venturi Jr.



 石造りの建物の前には池があって、その周りにたくさんの野菜が植えられてあった。ここで育てているのだろうか。絵画のようにきれいな風景なのに、野菜のせいで台無しになっている。橋が一つかかっているのでその上を渡ろうとした。

「お役場にごようがおありで」

 ふと、かれたような声が聞こえた。ぼくは周囲を見回す。目がなくても当たり前のように景色が見える。

「こちらですよ」

 足元を見るとカエルが一匹いた。

「あなたはどうやらこの世界の人間ではありませんね」

 カエルは、すぐぼくのことを見抜いた。

「そうなんだ。ぼくは、もともとダイヤモンドを掘っていたんだ」

 ぼくは一生懸命この世界へ飛ばされてきた経緯を話す。

「ほうほう、それは災難でしたね」

「そうだよ、何も悪いことをしていないのに!」

 カエルは服を着ていた。大昔の貴族が着ているような高そうな金色だった。

「それで困り果てて役場にいらっしゃったという」

「そうだね。実は、顔まで取られてしまったんだ」

 ぼくは、後ろにいるオトにふりかえる。すると、そこに女の子の姿はなかった。

「あれ、どこへいってしまったんだろう!」

「旦那。ひょっとして泥棒にあっただけじゃないですか」

「そんなことはないよ。オトは友だちだ」

 ぼくは、その場でぐるぐるとあたりを見回す。誰もいなかった。ただ、草木と野菜が生えているだけだ。

「さあ、そんな少女のことはいいでしょう。旦那は自分のことだけ考えなさいな」

 カエルはまっすぐにぼくのことを見つめてうなずく。

「でも、オトのことが心配だよ」

「どうして? 自分の顔を奪った少女が心配なんですか? ああ、そうか。顔を取り返すためか」

 カエルはピョンピョンとその場で何度も飛び上がる。

「それはそうだけれど。ちょっと、カエルには友だちというものの意味がわからないのかな」

 ぼくは嫌味っぽく言ってしまう。なんだか、カッコつけてしまった気がして恥ずかしい。

「なんですか。友だちというのは。小生は、契約を交わさない関係が苦手なのです」

「けいやくって?」

「書類を書いて、相手を縛り付ける仕組みです。ご存知ない?」

「知らないよ」

 ぼくは難しい言葉が出てきたので嫌な気分になった。

「おやまあ、でも、旦那は今からお役所に行かれるのでしょう。お役所では、契約がすべてですよ」

「そうなんだ。ぼくの名前も契約ということ?」

「当然です。お役所は旦那に名前を与える。すると、旦那は、この世界に縛り付けられる。そういうルールです」

 カエルは、オトとまったく同じことを言った。

「そんなルールは最悪だよ! それなら名前なんかいらないな」

 ぼくはくるりと建物に背を向けた。

「おや! 旦那。名前がないままで、これからどうするおつもりですかい?」

「元の世界に戻るだけだよ」

「どうやって?」

 ぼくは、カエルを無視して歩きだそうとする。

「旦那! 元の世界にお帰りになりたいのであれば、その手続きもお役所でやるんですよ」

「えっ、そうなの? ここからまた洞窟に帰れるの?」

「ええ、そりゃあそうですよ。ここで手続きをして、一生この世界には戻って来られないと約束するんです」

「そうなんだ。やっぱり、戻って来られなくなるんだ」

 ぼくは、カエルの重い言葉を聞いてなんだか悲しくなった。

「へい。それがこの世界の唯一のルールでもあります。意外とかんたんなんです」

 ふうん、と言ってぼくはまた橋を渡る。建物の方は静かで、誰かがいるような雰囲気はなかった。

「ここに来る途中で、二人の女の人の家に行ったよ。文官と美官だと言っていた」

「ほう。それは引退した人たちですね。文官は書類係。美官は美をつかさどっています」

「文官の方はわかりやすいけれど、美官はよくわかんないね」

「美については、いろいろな芸術家が好き放題に言っていますよ。ある人は、飾りは少なければ少ないほど美しいと。ある人は、飾りが多ければ多いほど美しいと」

「ふうん。その二つを合体させることはできないの?」

「ほうほう。それは新しい。でも、無茶苦茶ですね」

「たくさんの飾りを小さくすればいい!」

「へいへい」

 カエルはまたその場でピョンピョンと飛びはねる。

「さあ、お役所へまいりましょう」



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