第4話 文官と美官 -Beauty and Object-
“母を取り上げられた子どもが起こす抗議や絶望を「分離不安」と呼ぶ。この時点では、母子の愛着関係は可逆的であり、何か不都合があると子どもは母にまとわりつく。”
Separation anxiety disorder.
ヤマガラの葬儀が終わると、小鳥たちはいっせいに散らばった。
ぼくらはその場でずっとしゃがんでいた。
「死なんてあっという間ね。人間も死ぬときはあっという間。どんなに苦しくても、つらくても、死んだらおしまい」
彼女はさみしそうに呟いた。空を舞っていた青い鳥が帽子の上に帰って来た。
「ねえ、きみの本当のママは? ごはんを作ってくれるママじゃなくて、きみを産んでくれたママ。どこかで生きているの?」
彼女は、ぼくの顔で率直に聞いてくる。
「えっ、そんなの、いないよ」
「いない?」
ぼくは、子どものころ近所の公園に捨てられた。だから、本当のママの顔はぜんぜん覚えていない。そして、ダイヤモンド採掘場に入れられて、毎日毎日ずっと穴を掘っていた。休みもないし、旅行なんか行けない。
そう。ぼくにとってのママは、いつもおいしいごはんを作ってくれる、食堂のママなんだ。
「わたしもママはいない。だから、自分で自分のママをしなくちゃいけないの」
彼女は小さな声で言う。
「わたしのママは、ずっと小さいころに死んじゃった。ヤマガラといっしょで、重い病気だったわ」
彼女は切り株の上のヤマガラに目をやる。
「あっ」
すると、突然大きな腕がすくっとヤマガラを持ち上げて、バスケットに入れてしまった。
「何をしているの?」
ぼくらが驚いていると、そこに大きな女の人が立っていた。まっ赤な帽子をかぶって、口紅をつけていた。
「わっ、ダメだよ! ヤマガラを持って行かないで! 葬式をしたばかりなんだよ!」
ぼくは立ち上がって女の人に抗議をする。女の人はとても背が高くて、並ぶと巨人のようだ。
「あら、そう。もう葬式をしたのならいいでしょう? ちょうど今日はチキンスープを作るつもりなの」
女の人はにっこりと微笑む。ぼくらの言葉を気にする様子はない。小鳥の王国のことも、きっと知らないのだろう。
「どうしよう。ハトはどこへ行ってしまったんだろう。アオジもどこかへ行ってしまった」
「ふぅん、よかったら、あなたたちもいっしょに来る?」
女の人は、絹のようなレースの服を着ていて、腕にさげたバスケットにも布がかけられていた。
「美味しいスープをあげましょう」
ぼくらは顔を見合わせて首をかしげる。
「えっ、どうしようかな。それより、ぼくら、実はすっごく困っていて」
女の人は目を大きく見開いて、それから長い足を折りたたんで座った。
「どうしたの? 何があったの?」
まっ赤な女の人はぼくらに顔を寄せてくる。お化粧の香りがした。
「ぼくらね、顔がいっしょになっちゃったの」
ぼくたちはいっしょに声をそろえる。
「あらまぁ、ほんとね! 二人ともおんなじ顔! おもしろいわ!」
まっ赤な女の人は、コロコロと笑った。
「もともと、ぼくはダイヤモンドの採掘場で働いていたんだ。変な光を追いかけていたら、なぜかこんなところに来てしまった。そしたら、彼女とおんなじ顔になっちゃったんだ」
ぼくは、自分の身に起こった不思議な話を一気に話した。小鳥の葬式についても話した。
「どうしたらこの顔をもとに戻せるのかな?」
ぼくは彼女の顔を指さして言う。
「うーん、おんなじでもいいんじゃないかしら」
女の人はおもしろそうに笑う。
「そんなの困るよ!」
「どうして?」
「当たり前だよ。どうしてぼくの気持ちがわからないの?」
「さあ、二人ともわたしの家へいらっしゃい。スープを飲みましょう」
女の人は、ぜんぜんぼくの話を無視して足早に歩き出す。こんな森の奥でも高いヒールを履いていた。
「どうしようね」
ぼくは黙っている彼女に声をかけた。
すると、彼女は立ち上がって女の人の方へと駆け寄っていく。
「あの人は、役人を知っているかもしれないわ! 名前の証明書をもらいましょう!」
「えっ、何を言っているの? 役人ってなに?」
「証明書を出す人よ」
ぼくは、意味がさっぱりわからず立ちつくす。
「いいからついて来て! このままだと、わたしたちがいっしょになっちゃう」
彼女はまっ白なワンピースでかけていく。
ぼくはそのあとを追った。
しばらく歩いていると、森の奥にまっ赤な屋根の家が見えてきた。何から何までまっ赤だ。家の窓には白いカーテンがかかっていて中の様子は見えない。真っ赤なバラがたくさん咲いていた。
「あれが、お姉さんの家なの?」
ぼくはおそるおそる聞く。
「ええ、そうよ。二人とも入るといいわ」
女の人はバスケットを持って玄関まで行く。
「姉さん、姉さん、スープの材料を持ってきたわ」
女の人が扉を叩いて声をかけた。
「ほら、二人ともいらっしゃい」
まっ赤な女の人が手まねきをする。
ぼくらは、おそるおそる近づいていく。お腹がへって仕方がなかった。
「そこらへんに座ってね」
部屋の中は暗かった。置き物が多くて魔女の家みたいだ。木の皮のように不思議な香りが漂っている。
「ほら、姉さん見て。この子たち、顔がいっしょになっちゃったんですって」
ベッドには一人の老婆が寝こんでいた。青っぽいパジャマを着て、豪華な枕に頭を沈めている。天井から小さな人形がいくつも吊るされていた。
女の人は手際よくキッチンの方へ向かって料理をはじめる。あらかじめいくつか野菜が置いてあった。
「ねぇ、あなたは役人を知っているの?」
彼女は寝こんでいる老婆へ近づいていく。声は聞こえているようで、ちらりと視線を合わせる。
「文官なら名前をつけられるはずだわ。この男の子に名前を付けてあげて」
彼女はいきなり老婆に頼みこむ。
「えっ、名前よりも顔をなおしてもらってよ。顔の方が大事だよ」
ぼくは彼女の発言を慌てて訂正する。
「いいえ、名前の方がずっと大事。顔は死んだら消えてしまうけれど、名前はずっと残るわ」
彼女はまっすぐにぼくの目を見つめた。
ぼくにはよく分からなかった。
老婆がゲホゲホとせきこんでから、ゆっくりと話しはじめる。
「二人とも、災難だったね。顔も名前もむちゃくちゃになってしまったんだね。おや、つらいね」
老婆は彼女の顔に手を当てて声をしぼり出す。
「ねえ、文官を知っているの?」
彼女は小首を傾げて聞く。青い鳥は大人しく帽子にとまっている。
「ああ、そうだ。婆はね、元文官だよ。今は、もう引退してしまったんだ。あの子は、美官だよ」
老婆はせきこんで背中をまるめる。
「やっぱりそうなのね。ねぇ、今の文官はどこにいるの? 役場はどこ。名前をもらわなくちゃ」
彼女は嬉しそうに飛び上がる。
「ねえねえ、さっきから、その文官ってなんなの? どういう意味?」
「文官は、文字の役人よ。みんなが好き放題をしないように、文官がすべての文字を管理しているの。美官は、美を管理しているわ」
「えっ、それと名前とどんな関係があるの」
「だって、みんなが好きな名前を勝手に名乗り出したら大変でしょう。誰かが管理しないと」
「ふうん。オトも、自分の名前をつけてもらったの? ちぇ、うらやましくないよ」
ぼくは捨て子だから、名前もないままダイヤモンド採掘場に放りこまれた。急に、オトのことがうらやましくなってしまった。オトには、オトという名前をつけてくれた人がいるんだ。
「早く、きみも文官に名前をもらいましょう」
「顔はどうするの? このままじゃまずいよ」
「そのうちなおるわ。でも、名前は永遠にそのままよ」
ぼくはなんだかだまされているような気分になる。
「二人ともケンカはやめなさい。文官は、北の森を抜けた役場にいる。早く行きなさい」
ゲホゲホと老婆が体を起こして話す。
キッチンの方から香ばしい匂いが漂ってきた。余計にお腹が鳴ってしまう。
「チキンスープは食べないの?」
まっ赤な女の人が包丁を握りながら聞いてきた。ぼくは少し迷ってオトの方を見る。
「ええ、わたしたちは名前をもらいに行かなくちゃいけないから」
「名前なんて、なんでもいいわ」
女の人は、ぼくと同じようなことを言う。
「いっそのこと、二人とも同じ名前にすればいいんじゃないかしら」
クスクスとからかうように笑う。
「だめだよ! そんなことをしたらますます二人の区別がつかなくなっちゃう! ぼくらは違う人間なんだから!」
ぼくは飛び上がるようにして大きな声を出す。笑えるような話ではない。どうして女の人たちは、いつもクスクス笑っているんだろう。
「いっしょの方が便利よ。なんでもいっしょにしてしまえば楽だから」
「そんなのいやだ。ぼくらは男の子と女の子なんだ。なんでもいっしょだなんて、最悪だよ」
ぼくは、ダイヤモンド採掘場にいた五人の仲間を思い出す。そういえば、みんな同じような顔をしていた。ぼくらは、どうやって名前を呼んでいたかな。
「あはは。まあ、早くいってらっしゃい。スープだけを飲んでね」
女の人はやっぱり嬉しそうに笑っていた。
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