第3話 小鳥の王国 -The Old Soldiers-


 “誰がコマドリの喪主をするの? それはわたし、とハトが言った。夜を厭わず、わたしが喪主をつとめましょう。”


 Mother Goose




 ぼくは、彼女に腕をつかまれて無理やり引っ張られた。すごい力で腕が抜けてしまいそうだった。

 花畑はどこまでも続き、光があふれている。

「ちょっと、きみ、どうしたの」

 ぼくが声をかけても、彼女は振り返らずに走り続ける。白いワンピースがフワフワと揺れている。

「だって、大変よ! 自分で自分の名前を忘れてしまうなんて。顔を忘れたくらいなら問題ないけれど、名前を忘れたりしたら、大変なことになるわ」

「えっ、なに? 大変なことって?」

 走りながらぼくは質問をする。

 すると、彼女は突然立ち止まってこちらを振り返った。

「処刑されるわ」

 思わず後ずさりした。暖かい春の日差しに照らされている。

「処刑?」

「そう、首を切られるのよ」

 ぼくは目を見開いて、彼女の顔のない顔を見つめた。肌色の平らな板のようだ。

「顔がなくてもいいのに、名前は必要なの? おかしな話だよ」

 ぼくはあきれて声をあげる。

「誰に処刑されるの? ぼくは、なんにも悪いことをしていないよ。むしろ、こんなところへ連れてこられた被害者だ」

「何を言っているの。あなたは自分の意志でここへ来たのよ」

 彼女の麦わら帽子には、さっきの青い小鳥がとまっていた。目のない顔でも、強くにらまれているような気がした。

「自分の意思だって?」

 木々が生いしげり、どこからともなく小鳥の声がする。もう花は咲いていなかった。代わりに先の鋭い葉が地面を覆い隠している。

「ねえ、こんなところに入って大丈夫なの?」

 ぼくは不安になって聞いてしまう。

「ええ、この道を通らないと、役所へ行けないの」

「役所ってなに?」

 彼女はそれでも全然こちらを見ない。

「早く、早く!」

 急かされる声に、ぼくは足がもつれそうになる。

 その時。

「大変だ! ヤマガラの兄が死んだ! ヤマガラの兄が死んだぞ!」

 かん高い声に驚いて見上げると、灰色のハトが大きな羽を広げていた。当たり前のようにぼくらと同じ言葉を叫んでいる。

 この世界では、確かにラジオがしゃべる。でも、鳥がしゃべるのは今まで見たことがない。彼女の頭にとまっている青い小鳥も、うんともすんとも言わない。

「ヤマガラの兄が殺された! ヤマガラの兄が殺されたぞ!」

 灰色のハトは大袈裟に叫びながら、ぼくらの頭の上を旋回しはじめた。

「いったいどうしたの。ヤマガラの兄は、どうして死んでしまったの?」

 彼女は大きな声でハトに尋ねる。

「誰かに殺されたんだ! やられちまった!」

 ぼくと彼女は同じ顔を見合わせて、首をかしげた。手を繋いだまま森の中を進んでいく。鳥が殺された、だなんて。不思議な感じだ。だって、ぼくは鶏肉をよく食べるし、食堂でも定番のメニューだ。

「きみの知り合いなの? あのハトは」

「いいえ。でも、この子が教えてくれたから」

 彼女は麦わら帽子の上にとまっている青い小鳥を手にのせる。小鳥はくちばしを少しだけ動かす。

「この子は、もともとこの国から逃げて来たの。あんまり周りがうるさいから、病気になってしまったのよ」

 青い小鳥は鳴き声ひとつあげない。じっと、彼女の顔を見つめていた。それはぼくと同じ顔だ。

「この子の一族は、何をしても静かよ。でも、ハトの一族は、一のことを百にしてわめくから、困ったものなのよ。生まれたときから大げさなの」

「ヤマガラってのは、何?」

「ヤマガラは国の中でも上位の鳥。ビィビィとやかましい、歳を取った鳥だわ」

 どうやらヤマガラというのは、老鳥のようだ。殺された、というのはどういうことだろう。

「なんか、殺された、って言っていたね。鳥を殺すやつがいるのかな」

 ぼくはその言葉の重さに笑ってしまいそうになる。

「だって、ぼくは鶏肉が大好きだよ。ママがいつも作ってくれるんだ」

「そうね。わたしも鶏肉をよく食べるわ」

 すると、頭の上でまた大きな声が聞こえた。

「アオジだ! アオジが犯人だ! まちがいないぞ!」

 ハトが振り切れるような声をあげている。

「アオジ? どうしてアオジがヤマガラを殺したの?」

「アオジはヤマガラに恨みがあったんだ!」




「えっ、人間? ウソでしょう?」

 ぼくは驚いて声をあげる。

「ウソじゃないわ。人間の世界に飽き飽きして、小鳥の姿になったのよ。でも、小鳥は小鳥で、政治をしなくちゃならないわ。自由なんかじゃないの」

「人間が小鳥になれるわけないよ! 変な話ばっかりだ!」

「あなたは頭が石みたいね。人間だって、小鳥になれるわ。人間がいやになることはあるのよ。本当は、あなただっていつでも小鳥になれるわ」

 彼女は前を向いたまま淡々と答える。ぼくはまったくついて行けずにため息の気分だった。

「ねえ、きみもヤマガラの葬式に出るの?」

「そうね。顔だけなら見せても良いわ。この子もヤマガラたちから散々いじめられたから、死に顔くらいは見たいかもね」

 青い鳥は一瞬だけ羽ばたいてみせた。

「ヤマガラの葬儀へ行ってみましょう」

 彼女は明るく言い放った。

 しばらく歩くと、木々が開けた空間に出て、見上げると無数の小鳥たちが鳴き声を上げていた。その広場のまん中にはひとつ切り株があり、そこに小鳥が寝そべっていた。きっと、あれがヤマガラの死骸だと直感した。

「さあ、祈りを捧げろ!」

 聞き慣れたハトの大声に驚いて尻もちをついてしまう。

「あれが本当に葬式なの?」

 ぼくはあきれて聞いてしまう。ちっとも悲しい雰囲気ではないからだ。

「お前らも早く祈りなさい!」

 ぼくはビクッと体を震わせた。ハトはこちらを強くにらみつけていた。

 祈ると言ってもどうすればいいのかよく分からない。両手を握って頭を下げてみる。

「ねぇ、これで祈っていることになるの?」

 ぼくは不安になって聞いてみる。横目で見ると彼女は帽子を胸の前に持って頭を下げていた。青い鳥は肩にとまっている。

「アオジの弔問がはじまるぞ」

 ハトは大声でそんなことを言った。

 ぼくは無言で首をかしげて彼女の方を向く。

「アオジは、ヤマガラの次に偉い地位にあるのよ。アオジは、ヤマガラよりずっと静かで温厚」

 空からふわりと何かが降りて来た。アオジの羽は黄色っぽく、声もふんわりとしていた。そのくちばしの先には、赤い実をくわえていた。

「あれは、エゴノキの実。ヤマガラの好物だったわ」

 アオジはしばらくヤマガラのそばで飛び跳ねていた。木にとまった別の小鳥たちは声を落とす。厳かな雰囲気だ。

「でも、小鳥たちも、こうやっていちいち葬式なんて開いているんだね。それとも、もともと人間だったから、葬式という文化が残っているのかな?」

 ぼくは少しだけ頭を上げる。すると、ぼくと同じ顔の彼女は困ったように笑う。顔がなくてもそう見えた。

「さぁね。小鳥たちも、悲しいときは葬式くらい開くでしょう。だって、命は同じなのだから」

 彼女は自分の胸に人差し指を立てた。

「ひょっとして、街にいる小鳥たちも、ぼくらが知らないだけで葬式をしているのかな?」

「そうかもね」

 クスリ、と彼女はゆっくり微笑んだ。

 広場の中央で、アオジは何度も飛び跳ねやがてヤマガラをつついて、飛び立った。

 すると小鳥たちが急に騒ぎ始める。まるで壊れたように、ギャーギャーと叫び続けていた。

「ヤマガラの兄が死んだ! さぁ、ヤマガラを送ろう! 音楽が必要だ」

 ハトがひたすら叫んでいる。

「お前たち、音楽はないのか? 音楽がないとダメだ!」

 ぼくらはお互いに顔を見合わせて笑ってしまう。

「音楽だって。ぼくらはなんにも持っていないよ」

 ぼくはハトに聞こえないような小さな声を出した。彼女は何かを考えているようだった。

「そうね。確かに音楽は必要だわ」

「どうするの? 歌でも歌ってあげるの?」

「いいえ、この子に歌ってもらいましょう」

 すると彼女は青い鳥を指先にのせた。ほとんど同時に、小鳥は聞いたこともないようなキレイな鳴き声を発した。木漏れ日を切り裂くような高音で耳をそばだてるような響きだった。

 青い鳥は歌いながら宙を舞い、クルクルと回りはじめた。

 すると、他の鳥たちも同じ動きをはじめた。

 空の下でうずをまき、命の踊りはいつまでもいつまでも続いていた。

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