第十六章 レジリエンス
戦闘まであと半月。闘いに向けた心身の調整期間に入るということで少しずつトレーニング量は減らされている。実戦形式の合同演習もポイントを絞ったものへと移行しつつある。その代わり石山さんに言われた通り和美といる時間は増やすようにした。これは俺にとっていい息抜きになっている。余裕がなかった時に比べて調子は上がってきているとみていいだろう。
ジョンの分析によるとTTTの連中も相当仕上げてきているらしいが、その中にも確実に勝機はあるとのこと。ただやはり不安は拭えない。何せトレーニング量だけで言えば相手が確実に上回っているし、石山さんみたいなガタイの奴らがうじゃうじゃいるってことだろ?いくら上手く立ち回ったって、力負けしてるようじゃ、力の負けってか。冗談じゃない。
「付け入る隙は確実にある!」
『長浜さん!』
「確かに石山さんの様な力を出せるようになるには時間が足りませんでしたが、パワーは相当向上したはずです」
『パワー?』
「簡単に言えば、筋力とスピードの掛け合わせですね。例えば百kgの重りを一秒で持ち上げるのと、五十キロの重りを一秒の半分で持ち上げるのは同じパワーになる」
『なるほど、だからいつももっと速くと言われていたんですね』
「その通り、意識的にスピードを高めようとすることが大切。そして速く動かせるフォームで行うことが大切だったというわけです。細見さんの場合急いで身体を仕上げねばならなかったのでこの辺りの説明が抜けてましたね」
『本当に何をいまさらって感じです』
「悪かったね。でも確実にこの能力が向上している。心配は無用でしょう」
『TTTに付け入る隙って……』
「そう、奴らはとりあえず筋肥大させることしか考えていない。別にそれが好きならそれでいいんですが、そのせいでスピードを殺し過ぎている。ストレッチショートニングサイクルを使えないないとしたら、そこに付け入る隙がある!」
『ストレッチショートニングサイクル!レジリエンス!そうか、弾むからスピードが上がる、で、TTTの奴らはその弾みを否定するから……』
「そう、本来の身体からかけ離れている奴らから発揮される力と、本来の身体、本来の反応を利用している我々のどちらが上手か、苦戦はするかもしれませんがね。要はTTTはただ力んでいるだけですから、もし一発の力が大きかったとしても動きは遅い上に疲れもたまりやすい。ストレッチショートニングサイクルを上手く使って動けば疲労物質は除去されATPも再生産されていく。長期戦に持ち込めばもちろんこちらに分があります。ただ……」
『ただ?』
「奴らは良くも悪くもナルシスト。ここ一番でいいところを見せたいという欲求が非常に高い。そういう欲望、感情は一時的に能力値を高めるものだから、戦闘中という特殊な状況下ではそれが我々にとって不利な方向へ働く可能性があります。これは侮れません」
『欲望、感情か……石山さんも同じようなこと言ってたな』
「ただあなたにももうその感情は芽生えているはず。発動するタイミングの問題でしょうね」
『リミットブレイク的なことですよね、それって』
「こら、時を越えて愛される超人気RPGの概念をここに持ち出してはいけません」
『リメイク買いましたか?』
「動画サイトで楽しむにとどめています」
『長浜さんって意外にノリがいいんですね』
「麗花……あ、別所さんには勝てませんが」
『そう言えばお二人はかつて……』
「公認パートナーでしたよ。公私ともにね」
『え!?公私ともに!?』
「あなたと志賀さんと同じ関係性です」
『なんと!鉄のパンツという噂はどこへ!っていうか嘘つかれてた!』
「女性は秘め事があるものでしょう。そして時にはその場を凌ぐための嘘をつく」
『悔しがる理由もないが悔しい!』
「今も私的なパートナーではあるのですがね」
『なんと!ここに来て俺の感情を揺さぶりまくる!!』
「こういうことは知っておいた方がいいですからね。まぁ公的なパートナーシップは物理的に解消されてしまったわけですが……。彼女の怪我というのはアキレス腱の断裂でした」
『痛そう……』
「痛いなんてもんじゃありませんよ。断裂はしたことありませんが、私も昔はよく痛めたものです。アキレス腱の痛みは多くのスポーツ選手を悩ませ、そして選手生命を左右するのです。不適切な動きの蓄積がアキレス腱に負担を掛けて、ある時痛みとなり、そしてある時断裂する。麗花の場合はまさに戦闘員としての人生が途切れてしまったわけですが……私の責任です」
『そんな……』
「不適切な動き、その微妙な不適切な動きを観察しきれていなかった。その中で麗花は戦闘中に感情が高まりすぎて、いつもよりも大きな負荷がかかった……。ブレーキ役にならねばならなかったのは私ですからね。もちろんあの痛ましい事故があったからこそそれまでの自分を反省する機会が得られたわけですが、失ったものはやはり大きかった……」
『……』
「だから人々の身体を痛めつけるだけのトレーニングとも呼べないような指導をするTTTの奴らには反省してほしいんです。命を奪いたいなんて思わない。分かってもらいたい。ただそれだけ。分かってもらえないならせめてものトレーナーと名乗ることだけはやめて頂きたい。トレーニーでいいんです。今回の闘いはこういう概念を持って挑んでいます、私はね」
長浜さんの本音、感情に触れたのは初めてだった。やはりみんなそれぞれ想いを持って闘っているんだ。そしてその感情こそがこの特殊な任務を遂行するモチベーションになっているってわけか。俺の場合入隊の理由があまりにも情けないものだったが、今では何かを守りたいとか何かを変えたいとか、そういう気持ちが分かるようになってきた。
何より、石山さんにしても長浜さんにしてもとんでもなく辛い想いをしてきてるんだな。恋人を亡くすとか、パートナーが目の前で戦線を離脱するとか、もちろん別所さんだって普段は明るく振舞ってるけど一番辛いのは当人だろうし……それに和美も酷い目に遭ってるわけで、良く立ち直れてるっていうか、俺の身にそう言うことが降りかかった時はみんなと同じように振舞うことはできるのだろうか。当然そんなことは起こらないに越したことはないんだが、受け止め立ち直ることは出来るのだろうか。
「そこもレジリエンスってことや」
『和美、いたのか』
「いたのか?ってなんやあんたが最近やたらと私の部屋に来てるだけやんか」
『そっか、ここ和美の部屋か』
「長浜さんと別所さんの話、ちゃんと聞いたみたいやな」
『あぁ、色々聞かされたよ。二人の関係性を』
「むしろここまで一緒におって二人が付き合ってはるのに気付いてへんかったあんたのほうが凄いけどな」
『こういうことはよく分からんのでな』
「ほんま、鈍いんやから」
『ところで、レジリエンス……』
「そうそう、メンタルも硬いだけやったらなんともならんっちゅうことや。もちろんふにゃふにゃでもあかん。ええ具合に弾めるメンタルが必要ちゅうこと。でもそれは弾める身体を手に入れとったらきっと大丈夫や」
『心身一如ってやつだな』
「お、ナショナル教育プログラムの成果がちゃんと現れとるな。その通り。心と身体は同一や。上手いこと身体が扱えれば、自分のメンタルも上手いことコントロールできるちゅうもんやで。うちらがメンタル的に落ち込んだ時、何したと思う?」
『え、なんかこう、セラピーみたいな?』
「まぁそういう手段もあるやろうけど、ハズレ。うちらはトレーニングをしたんや。トレーニングに集中する。身体の声を聴く、これが究極のメンタル復活プログラムやった。もちろんいきなり重たいもん担ぐとかそんなんちゃうで。呼吸とか重心位置とか筋が弾む感じとか、そんなもんにひたすら向き合う、そういう時間を作ることがホンマに大事やったんや」
『身体の声を聴く……か』
「何かに追い込まれてる時とか、冷静やない時、それから急激な負荷を与えられた時は身体の声が聴けへんようになる。ほんで本来の身体がどんどん失われていくことに気付かへんまま、破綻するんや。それはつまり心も本来の姿とちゃうようになってしまうってことやねんな。トレーニングがなかったらうちらはホンマに壊れてたかもしれん」
『心のレジリエンスってことか』
「そしてTTTみたいなんがやってるトレーニングでは心を取り戻すことはできひんのや。うちは直接TTTに恨みがあるわけちゃうけど、あんなんが横行しとるのはやっぱり許せへんし、倒したいっていうより、ホンマに目覚めて欲しいと思うんや」
『長浜さんも似た様なこと言ってたな……』
「まぁこの件に関してはみんな似た様なこと思ってるはずやで。そもそもうちらの闘いはちょっと痛い目に遭わせて、それによって覚醒させることが目的やからな」
覚醒、ナショナル教育プログラムでも頻繁に出てくる概念だな。我が国が独立国家として立ち直っていく為には国民ひとりひとりが覚醒する以外にない。しかし覚醒のきっかけを掴めない様に仕組まれている。和美が言ってる様にちょっとぐらい痛い目に遭わないと気付かないんだ。俺だって人生が詰みかけるという窮地に追い込まれなかったらこの世界には飛び込んでいなかったわけだ。きっかけとしては少々特殊かもしれないがきっかけなんて何でもいいんだ。違和感を違和感として認識し、放ったらかしにしないこと、自分の頭で考えること、自分の頭で考えても分からないなら分かるまでピースを探し続ける、そんな思考になるまで足掻き続ける泥臭さみたいなものが必要なのかもしれないな。しかもこんな時代だ、自分で調べようと思えばそれなりのところまで調べられるのに、それすらできない思考なんて、石山さんがいつか言っていた様にまさに愚民だよな。まぁ俺も愚民だったわけだが、覚醒してしまえばなんてことはない。つまり思考だってレジリエンスが備わっているってことなんだろう。愚かな思考に陥っていても、必ず何かをきっかけに国を想う心を取り戻すことができる。思考というより、魂のレジリエンスと言った方がよさそうだな。我が国の魂は死んではいない。それは俺個人の経験からも立証されてると言っていいだろう。本来の身体を取り戻す様に、本来の魂を取り戻すんだ。それが闘う理由ってことだ。なんて、ひよっこの俺が何を言い出すんだ。まぁ人は変わるってことだ。単純な話だな。トレーニングで身体だって変わるし、教育で思考は変わるし、環境が変わればそれに適応していくのが人間。運動生理学の講座で習っていることとはすなわちそう言うことだ。適度なストレスを与えて、そのストレスに順応していく。ストレスが大きすぎれば破綻するが、ストレスがなければ腑抜けになる。ストレスは必要だ。まぁ俺に与えられたストレスはどうも普通じゃないが、まぁいいよな、耐えてるし。戦闘に向けての調整、やってやるよ。待ってろTTT。
「あんたホンマに成長したなぁ」
『まぁこれだけ厚く手ほどきを受け続けていれば誰だって成長するだろ』
「それはそうやな。でもホンマに変わったと思う」
『みんなのお陰だよ』
「それはうちも含まれてんの?」
『当然だ、和美の食事が俺の身体を作ってるわけだし』
「そう思ってくれてるんやったらうちも嬉しいわ」
『それから……』
「なによ?」
『いや、いつもありがとうな』
「改まって、変な感じやわ」
『言っておかないとちょっと後悔するような気がして』
「そんなこと言うたら、うちかて感謝してるで。その……ありがとうな、いつも」
『おぉ、なんからしくない展開だな。どうした』
「いや後悔はしたくないから……って言ったら誰かの受け売りやわな。でも同年代のあんたと公認パートナーになれたっちゅうか、私的にもパートナーになれたんが嬉しいし、ホンマに感謝してる。愛してる人の為に料理を作ってる時間なんてホンマに幸せやし、それを食べてくれてる姿を見るとなんか上手いこと言えへんけど生きてるって感じがするんや。自分の身体が食い物にされてめっちゃ嫌な想いしたうちやから言うけど、身体を預けられるパートナーがいるっちゅうのはめちゃくちゃ幸せなことなんやで。うちの傷ついた心のレジリエンスを取り戻すきっかけは、力、あんたやったんよ。ありがとうな、ホンマに」
『えらくむず痒い感じになってきたな』
「なによ、あんたが振ってきたんやがな」
『まぁそうなんだが、まさかこんな展開になるとはな』
「やっぱりあんた、あんまり成長してへんわ」
『こういうのはなかなか変わらんだろうな。まぁそれが俺だ』
「あんたらしくてええけど、まぁこれ以上むず痒いのを続けるのもホンマに気持ち悪いから、感謝の気持ちは大切ってことでまとめてもう終わっとこ」
『そうだな。じゃあ……おやすみ』
俺が和美に感謝の気持ちを伝えたのは本当にふとそう思ったからだ。友人もおらずロクに遊んでも来なかった俺だ。俺だってこうして一緒にいてくれる人がいるってことが本当に有難いと思うし、有難いと思える心を醸成してくれたナショナル軍のメンバーにも本当に感謝している。ツッコミどころの多いチームだし、相変わらず俺は網タイツ作戦というふざけたネーミングの戦術の肝は何故か俺だし、仮想現実で人型戦闘機に乗って闘うとかハッキリ言って意味不明な世界線だが、それなりに楽しんでるというか、俺の人生が色づき出したと感じる。もっと鮮明に輝かせようか。運命は確実に動き出している。そしてその運命というのは俺個人の問題ではない、和美の、いやこのチームの、違うな……我が国の運命にも関わる大仕事だ。感謝の気持ちも忘れずに闘いには持って行かないとな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます