第十四章 上官たちの力
ジョンが作ってくれたトレーニング計画に沿って全面的な体力強化を目指し始めて早一か月。絶妙なプログラムとでも言おうか、キツイのはキツイが翌日に疲労が残っているということは殆どない。あるとすればそれは俺自身の身体の動きがおかしかったか、体調不良を無視して無謀なトレーニングを行った時だけ。ここへ来た当初に襲われた激しい筋肉痛などはもう起こりそうもなかった。確実に成長している……しかしメンバーも同様に成長している。だから追いついているという感覚も殆どない。当たり前だ。まだ配属されて間もない俺が追いつけるわけなどないのだから。
ただこの一か月で得られたスキルは非常に意義があるように思える。まず石山さんから教わったバーベルの持ち方。デッドリフトをする時に今までは何も考えずにバーベルを握っていたが、フックグリップという持ち方を教わってから動作の安定性が高まったように感じる。これは戦闘時の武器の扱い方にも影響がありそうだ。長浜さんからは相変わらず歩き方や走り方についてのレクチャー。以前にも増してスムースに身体が進むようになってきたように感じるし、そのせいか少しスタイルが良くなったようにも思う。どうやら綺麗な動きをすればスタイルが綺麗になるという長浜さんの話は本当らしい。何せ長浜さんのスタイルは男の俺から見ても惚れ惚れする。
男に惚れると言えば膳場マネージャー。実はここ最近マネージャーと俺は急速に距離が接近している。これは気のせいではない。
「細見、今日もやっとるか」
『マネージャー!お疲れ様です』
「ご苦労さん。ちゃんと休んどるか?」
『そうですね……でも皆さんの足を引っ張るわけにはいかないので……』
「その発想は危険だな。足を引っ張らない為にもしっかり休め」
『は、はい』
「いいか?目に見えない疲労というのがある。目に見えた時というのはむしろアウトだと思え。疲労が残りすぎないようにするのではなく、疲労が残らないようにするのだ」
『はい、でも今俺、疲れてませんし、大丈夫です』
「馬鹿を言え。わざわざ声を掛けたのは、お前の疲労が明々白々だからだ」
『え、でもなぜ?ATPも正常ですし、走りもウエイトも順調に記録が伸びています』
「調子がいい時こそ慎重になれ。そして調子に乗るな。ちょっと私の部屋に来い」
『は!これはパワハラ、セクハラの予感!個室で!上司に!……断れないヤツ!』
「当初から君は何か誤解していないか?」
『へ!?』
「私はもっと侍みたいな男が好きでね」
『もうよく分からん!』
「さぁ、とりあえずそこに寝ろ」
『ひえ!』
「えらく身体が緊張しているな。やはり疲労が溜まっていたか」
『いや、これはメンタル的な話!襲われるのかと!』
「まったく、安心しろ。私は女好きだ。」
『え?そうなんですか?』
「まったく、君の妄想癖には参ったよ。君のせいでここまで読者は私のことを同性愛者かなにかだと勘違いしていたようではないか。全くの誤解だ。」
『やはり第一印象はなかなか覆すことが難しいのですね』
「君のせいだからな。さて、まぁ別に同性愛とかトランスジェンダーを否定するつもりはない。ただ私は違うということだ。それからその様なセクシャルマイノリティはいつの時代だって存在していたらしいし、長く続くそういう文化もある。ただ国を繁栄させることを考えると、同性ではどうしようもない。同性ではどうしたって新しい命を繋ぐことはできん。そういう意味でこの問題は複雑だが、生物学的な男と女の、もっと言えば雄と雌の関係というのはそれこそもっと重視されるべきだろう。それは国家の繁栄の為にだ。そういう意味で私は侍みたいな男に憧れるのだよ」
『まともなこと言うんですね』
「一応な。それに皇統の問題。これはナショナル教育プログラムで何度も出てくる話だからさすがにもう理解しているとは思うが、我が国は万世一系の男系の皇統を持つ世界最古の国だ。そこにも間違いなく男女という関係が存在する。男は種を蒔き、女が畑となる。これは差別でも何でもなく事実であって、その種がずっと繋がっているというこの奇跡をなぜもっと大切にしないのか、本当に情けない話だ。そしてその種を育て、命を懸けて産めるのは女性だけ。この国の為に女性は命を懸けているのだ。それは種を蒔くことしかできない男には到底想像もつかないことだろう。そういった意味で役割が違う。何でもかんでも平等だとか言うのは、平等の定義づけさえもできていないのに何を言っているのか……」
『平等ってなんですかね?』
「さぁな。そんなものは存在しないだろう。平等を叫ぶ者にそれはまず訪れん」
『で、なんでこの部屋に?』
「忘れていた。ここは私の部屋だったか」
『やっぱり天然ですね』
「それは認めよう。この前も部屋の鍵をなくしたと思ったら冷蔵庫に入っていた」
『酔っ払いですか?』
「それも認めよう。ただ最近は減らしている。昨日もウイスキーをひと便空けなかったから自分で自分を褒めようと思う」
「呑みすぎ!!」
「水口局長に鍛えられたからな」
『それは納得』
「さて、本題に入るぞ」
『どちらかといえばこちらのセリフ!』
「とりあえず寝転がれ、私が特別に身体のケアをしてやる」
『誤解が解けていなかったらもうそれは濡れ場でしたね』
「黙って寝てろ」
こうして俺はマネージャーに身体を預けた。不思議と身体の力がどんどん抜けていくようだ。体液の巡りが良くなっていくのが感じ取れる。体温も上がってきたようだ。そして俺は気が付けば眠りに落ちていた。どれだけ眠ったかは分からない。恐らく十分、いや数分だったかもしれない。身体全体が緩んでいる。今までにない感覚だ。これはいったい……。
「それが本来の身体だ」
『これが……本来の身体?』
「お前は疲れていないと言ったが、どうだ?今思えば疲れていただろう」
『そう……ですね。なんか身体が軽いっていうか、動きやすいっていうか……』
「そうだ。人間の身体は本来これぐらい緩く軽く心地よいものだ。しかし少しずつ不適切な動きが積み重なって疲労を呼ぶ。その状態を普通だと思ってしまうのだが、それは勘違いだ。普通のレベルを高めておくことが何より大切だ。覚えておけ」
『はい、ありがとうございます』
「ちなみにこれは網タイツ作戦にも繋がる重要な話だからな」
『網タイツ作戦!二か月後の戦闘もあの作戦ですか!?』
「当然だ。その為に今準備をしているのだからな。まぁ詳しいことはいずれ分かる。自分で情報を繋ぎ合わせていくのだ。それがナショナル教育プログラム。そこにあるのは……」
『概念』
「そして愛だ」
『うーん、誤解が解けたのに何だか微妙な空気感!!』
「とりあえず今日はもう休め。分かったな、これは命令だ」
『は、はい』
そのまま自室に戻った俺は、すぐに眠りに着いた。ここ最近で最も深い眠りだったかも知れない。目覚めも非常に心地が良い。これは朝の散歩も気持ちよさそうだな。
どうやらここ数日は気合いを入れ過ぎてオーバーワークになっていたらしい。そう言えば眠たいのに眠れない日があったり、日中に眠たくなったり、今思えばそれは本来の身体ではなかった。なんというか、気持ちだけで乗り切ろうとしていたというか、冷静ではなかったのかも知れない。
時に人は熱くなりすぎる。俺は今まで何かに熱中したことなどなかったからその熱がどれだけ高まるのが正常なのか、或いは異常な温度とは何なのかがよく分かっていなかったのだ。本来の身体という概念も俺には欠落していたし、そもそも身体なんてこんなものだろうと誤った解釈をしていた。冷静に指摘してくれる上官はさすがだ。自分のことをツッコミだとか、マネージャーは天然だとか、とんでもない勘違いだったのかも知れない。俺はまだまだ未熟だ。
「なによ今更」
『別所さん!』
「私も散歩。最近頑張ってるわね」
『あぁ、いや、頑張りすぎてたみたいで……』
「感謝しなさいよ!あなたの生体データ、無茶苦茶だったのに全然気づかないから私がマネージャーに報告したのよ。このままじゃ壊れますって」
『え、別所さんが……』
「まぁこれが私の任務でもあるから、別にどうしろってことじゃないけど、ちょっとやり過ぎだったわね。危なかったわよ」
『危なかったとは?』
「怪我よ、怪我。多分あのままトレーニングを続けていたら本当に戦闘には間に合わなかったかも知れないわ。まったく、ツッコミを自認していて自分のことにはボケ倒してるんだから。」
『すみません、自分のことはいつもよく分からなくて』
「まぁそうよね。だからこの様にして第三者がモニタリングするシステムを導入しているってこと。まぁ怪我で戦線を離脱した私が言うんだから、説得力あるでしょ?」
『確かに……』
「戦闘で欠員が出たら、そのカバーは他のメンバーが担うことになる。しかも準備していた布陣と違う闘い方を強いられるわけだからその負担は相当なものよ。私が怪我をした時も、だいぶ迷惑かけちゃったしね。あの時のチームの空気はキツかったわ。穴があったら入りたいぐらい。怪我をしたのは私なのに、止められなかったのは自分だとか言って長浜君は塞ぎ込んじゃうし、マネージャーも司令も責任は上層部にあるとか言って謝罪してくるし、一緒に闘えないのは悔しいとか言って和美ちゃんはずっと泣いてるし……」
『石山さんとジョンは?』
「まぁあの二人はいつもあんまり変わらないかな?ただ救急処置をしてくれたのは石山君で、ジョンは治療プログラムを必死に考えてくれたわ。あの二人の処置がなかったら、もっと悪い状態が続いたか、日常生活にも支障が出ていたかもしれないわ。いつもマイペースに思える二人がああやって動いてくれたことが、ちょっとした救いだったかな」
『そうだったんですね……』
「その後水口局長がちょっとぐずぐずしていたチームを見かねて喝を入れてくれたのよ。局長は本当にそういう時は人の心を動かすっていうか、いつもいいタイミングで来てくれるのよね。それで何とかチームが立て直されたところに、追加戦闘要員としてあなたが来たってわけ」
『いやー、相変わらず無茶ぶりが過ぎる展開ですね』
「無茶ぶりだってことはきっとみんな知っているわ。だからせめてものあなたに怪我をさせてはならないし、最高にして最強のナショナル教育プログラムを最速で進めているのよ。新人戦闘員にここまでの予算が割り当てられたのも異例中の異例よ」
『それってつまり……』
「ええ、怪我したり逃げ出したりしたら容赦はないわ。覚悟しなさいねぇ」
『覚悟とは!!』
「そうね、国家機密を握っているから、タダでは済まないわよ」
『金返します!』
「それは会計処理が複雑になるから無理ね。そうねぇ、最低でも細見力という名前はもう使えないでしょうね。それからもし逃亡となった場合……」
『逃亡となった場合は……?』
「処刑、かな?」
『物理的に消される!!』
「そうね、恐らく私たちの記憶からも消されることになるわ。あなたがこの世にいた痕跡なんて、国家が本気を出せば消せるんだから」
『そんな契約交わしてないんですけど!』
「あれ?マネージャー……あぁ!契約書まだだったかも!!」
『そんなことあります?』
「口約束したことにしましょう。法的にはそれで問題ないわ」
『倫理的に問題大有り!!』
「でも、あなたは逃げないでしょ?それにもし怪我をしたってあなたはきっとここに残るはずよ」
『まぁ……そうせざるを得ないというか……』
「というより、あなたはきっともう愛してしまっている」
『……』
「変な顔しないで!私のことを言っているんじゃないわよ!馬鹿!」
『なんだかラブコメ感が戻ってきましたね』
「でもあなたには和美ちゃんがいるでしょ?それに愛しているのはきっと……」
『きっと?』
「ううん、これはあなたが自分で見つけなくちゃね。散歩ご一緒どうもね!じゃ!」
『あ、え、はい。』
別所さんとこうも喋ったのは久しぶりだったような気がするな。それだけ訓練に入り込んでいたというか……何なら朝陽を浴びながら人と喋ったのも久しぶりだったかもしれない。余裕がなくなってたんだろうな。そしてそんな俺のことを、みんな実は気が付いていたってことか。やっぱりここのメンバーは特別な訓練を受けているだけあるというか、特殊能力を持っているって言ってもいいんだろうな。
ある分野に精通するということは並大抵のことじゃない。マネージャーに昨日受けた施術も、石山さんのトレーニングスキルも、長浜さんの身体能力も、ジョンの博識ぶりも、和美の料理も、そして別所さんの洞察力も、さっき聞いた局長の統率力も……あれ?坂本司令の特殊スキルって……なんだ?大人の色気?まさかな……。でも軍事のスペシャリストって言ってたよな……俺には分からん世界の話なのかも知れないが……
「あら、私のことが気になるのね?」
『司令!!』
「そうよ、私の特殊能力は大人の色気。よく気が付いたわね」
『いや、もうあなたには隠し事が出来ない!』
「ふふ、それよそれ。私の能力は」
『え、エスパー的な!?』
「そんなわけないでしょ、馬鹿なの?」
『馬鹿です』
「まったく。まぁいいわ。気になるなら話してあげるけど、機密事項だから漏らしたら殺すわよ」
『望むところです』
「馬鹿ね、本当に。私は諜報員としての訓練を長きにわたって受けてきた」
『スパイ!ですか!』
「そう、仮想空間しかり、ネットしかり、そしてもちろん現実世界しかり、様々な情報をかき集めて世界の動向を探るのよ。仮想空間とかネットが普及する前から訓練を受けているから、そうね、例えばあなたが嘘を吐いていることなどはお見通し。あなたに嘘がないことは誰だって分かるでしょうけど、あなたみたいな調子で嘘を吐いてくる者もいる。でも私の前では本心を隠すことは無理でしょうね」
『めちゃくちゃ怖いですね』
「そうそう、それも本心ね。いい子よ」
『ありがとうございます。是非そのセリフと共に踏んづけて下さい』
「もうちょっと黙っておきなさい。次に闘う相手は手ごわいから私も支援に回る。」
『司令が直々に!』
「ただ指示系統が崩れてはいけないから最前線には出ない。しかし相手の動向を最も的確に掴めるのは私」
『総力戦……ですね』
「現時点ではね。では話はここまで。ひとまず厳しい闘いになるから、愛を持って精進しなさい、細見戦闘員」
『愛!?……ってもういない!そう言えば最初にもこんなことが……スパイ怖っ!!』
改めて俺は大変なことに巻き込まれていることを実感した。予定の戦闘まであと二か月。それまでに俺はどこまで自らの能力を高められるのだろうか。上官たちの様な力には到底及ばないにしても、俺なりにちゃんとやらないといけないだろうな。そしてやっぱり気になるのは……概念と愛か。まだまだ自分で情報を集めないといけない。そう、自分の力で。自分の意志で。
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