第十三章 常識という違和感
国防本部の会議に参加してから数日が経過した。話によると水口局長が要求していた予算、現状の二・五~四倍というのは通らず、一・五倍増での決着となったそうだ。しかしこれは想定の範囲内らしい。その予算の中から俺の戦闘機のシートベルト付け替えが行われる為、明日は戦闘機には乗れない。今日のうちにトレーニングしておくか。
「石山さん、もっと上半身の力を抜いて!そんなんじゃ速くなりませんよ!」
「抜くっつたって、どうすんだよ!」
「ちょっと身体のケアをもっとされた方が……」
「ったくよぉ、お?細見じゃねぇか!」
『石山さんに長浜さん!珍しい組み合わせですね』
「いや、まぁな」
「石山さんが走り方を教えて欲しいと仰ってね」
『石山さんがそんなことを!!』
「なんだよ、悪いかよ!」
『いや、柄にもないなと』
「あなたより速く走れなくて、ショックだったみたいですよ」
「長浜、いらんことを!」
『いやー前回の戦闘でも遅すぎましたからね』
「てめぇ!まぁいい!お前ももっと機動力あげとけよ!次の戦闘知ってるか?」
『え!?近日中ですか?』
「私たちも二日前に聞かされてね」
『TND教ではないんですね』
「察しがいいな!次はもっと手ごわい」
「TTT、トリプルT」
『何の略!?』
「チーム・トレーニー・トレーナーズだよ!前も言ったろ?」
『いやこんな名前は初耳です!』
「あれ?言ってなかったか?最初の頃お前にトレーニングを教えた時、身体運動の基本が分かっていないヤツらの話をしたろ?」
「自分でトレーニングすることは大好きなトレーニーが、トレーニングの原理原則も分からず、身体運動の基礎も理解していないくせに、とりあえず追い込むトレーニングばっかりさせる……自称トレーナー軍団とでも言いましょうかね。」
『だからトレーニー・トレーナーズと……なるほど』
「ただ厄介なのはそれなりに力を持ってるってことよ。TND教のヤツらはそもそも飯食ってないから力が出てやがらないが、こいつらはちゃんとトレーニングして飯も食ってやがる」
「ただ無茶苦茶なトレーニング指導が原因で身体を痛める人たちを量産してしまっているから、放っておくわけにはいかないのです。彼らのせいで世間のトレーナー像はやたらと“筋トレで追い込んでくる人”となってしまいました。これは恥ずべきことです」
「だから俺たちでやっつけるんだよ!ただ、これに関しても強さが必要だ。力でねじ伏せられた時にはもうおしまいだからな」
「そういうわけで私は石山さんに更なる機動力アップを、石山さんから私にはもっと一発の力を高めるように、それぞれ教え合おうということになりました。どう転んでも私たち二人が主戦力であることは今後も変わりませんからね」
『俺に出来ることがなさそうな予感!』
「だから機動力アップだよ。その為にはやっぱりそのシートベルトだろうな。交換されるまでは肩慣らし程度にしておけ。」
「そうですね。それよりも細見さんはレジスタンストレーニングですよ。そもそものフィジカルが弱すぎます。上手く立ち回れてもそれじゃ奴らには歯が立ちません。」
『でもそんな直近に備えてトレーニングしても限界があるんじゃ?』
「そりゃそうだ。ただ直近といっても三か月は先だろうよ。闘いの準備というのは本来それぐらいは……いや本当はもっと必要なんだがな。何より、まだTND教との争いで俺たちだって疲労が回復してねぇし。」
「ですから急ピッチでの仕上げにはなりますが三か月後にピークが来るように、トレーニング計画を立てるのです。その辺はジョンさんが得意でしょうから、今日のトレーニングが終わったら相談に行かれるとよい。」
『お二人はそこは教えてくれないんですね。』
「馬鹿野郎、餅は餅屋に、だろ?ジョンのトレーニング計画に従って、機動力アップなら長浜、フィジカル強化は俺にそれぞれ相談してこい。食事のことは……こりゃ言わなくても分かるわな。」
足りなかったピースともてはやされた俺だが、まだまだ俺自身には何もかもが足りていない。それは身体のことだけじゃない。概念とか、愛とか、守りたいものとか、魂とか、ここまでナショナル教育プログラムを受けてきたが、まだまだ足りない。もっと深く接していかないといけない。表面的なことだけ分かった様な気がして闘うのはそれこそTTTとか言うヤツらと同じことだ。他のメンバーみたいにもっと深く、オタクの様に、知っていかないといけないんだ。それが餅は餅屋にってことなんだろうな。
「力くん、やっぱり君は成長が早いね」
『ジョン!もうここまで来たら駄々洩れマイハートというツッコミすら古臭く感じるが、相変わらず駄々洩れマイハート』
「君の考えていることは本当にすぐに分かるよ。それがいいところだから」
『プライバシーとは』
「まぁ現代においてはそんなものあるようでないと言った方がいいよね。僕たちは通信機器の使用制限があるけど、通信機器をあまり使わない者という情報は既にどこかに流れている可能性が高い。そして使われていない通信機器がこのエリアにいくつか集結しているということも恐らく調べればすぐに分かるから」
『なんて世の中だ』
「それと関係があるかは分からないけど、今度闘うことになるTTTはプライバシーを自ら垂れ流す傾向にある」
『え?そういうヘキだと?』
「まぁヘキと言えばヘキだろうね、逐一自分の食べたものやトレーニングした内容を位置情報と共にSNSにアップするんだ」
『ヘキだな、それは。楽しいのか?それ』
「承認欲求の塊なんだろうね。それをしていないと気が済まないっていうのもあると思う」
『ほぉ、俺には分からん世界だ』
「僕にも全く理解が出来ない。でもTTTの弱点はそこでもある。つまりどんなトレーニングをしているか、どんな食事を食べているか、下手したらログイン情報の分析をすれば睡眠時間だって割り出せるんだ。」
『なるほど!情報が無料で手に入るのか!』
「情報収集の労力を考慮すると無料とは言い難いけど、まぁそういうこと。で、その情報って言うのがこれ」
『え?これ全部ジョンが?』
「まぁプログラムさえ作れば後はAIが勝手に分析してくれるんだけど」
『そりゃ寝不足にもなるわ』
「最前線で戦闘しない代わりに、僕がやってるのはこういうことだよ」
『で?これはどう見ればいいんだ?』
「そこだよね。大抵このデータの解釈を誤るから失敗する。これは僕も注意が必要だけど、ここは力くんが変に分析する必要はない。言い方は悪いけど素人が分析なんて出来ないからね。僕に任せてほしい」
『ひどい言われようだが事実!まぁ端からそのつもりだ!』
「潔くていいね。このデータから相手の弱点を追究する。そして力くんがその弱点を突けるようにトレーニングを重ねるんだ」
『ほぉ、で、俺はどうすれば?』
「今の時点では何もかも不足している。勝ち目なし」
『知っていたが改めて言われると凹むな』
「オブラートに包んでも仕方ないことだからね。何はともあれ約三か月の猶予はある。全面的に能力値を向上させつつ、そうだな、敏捷性は特に高めたいところ」
『全面的に?敏捷性?』
「さすが、いいところを突いてくる」
『そういう役回りなんでね』
「ここはもう一度トレーニングの原理原則を考える必要があるね。そうじゃないときっと失敗する。ナショナル教育プログラム、僕からも正式に授業をすることにしようかな」
ジョンから正式にナショナル教育プログラムを受けることになった。テーマはトレーニングの原理原則。何事にも原理原則が存在するのはトレーニングも同じだ。
トレーニングの原理
一,過負荷の原理
日常よりも大きな負荷を与えることが重要
二,可逆性の原理
過負荷が取り除かれるとトレーニング効果は急速に失われる
三,特異性の原理
トレーニングを行ったようにしか効果は表れない
トレーニングの原則
一,意識性の原則
トレーニングの目的、意図を理解して実施する
二,全面性の原則
あらゆる体力要素を向上させる
三,漸進性の原則
負荷は徐々に増やすこと
四,個別性の原則
個人の体力レベルを考慮すること
五,反復性の原則
継続することで効果が得られる
ノートに反映されたのはシンプルな原理と原則に関する説明。しかしひとつひとつの言葉は重い様に感じるな。原理というのは自然科学的なもので覆すことが出来ないにも拘らず無視している自称トレーナーが多いとジョンは言っていた。ジョンはまた原則は原則として守ることが原則だと言った。これも当たり前だがその原則を守れない自称トレーナーがこれまた多いと……。俺なんかはまだまだ駆け出しで教育を受けている最中だからこんなこと知らなくても問題なかったんだが、実際に指導する人間がそれを知らないなんて、そんなことはあるのだろうか。不思議で仕方がない。それで成り立つ世界なんてあまりにも陳腐だ。そしてその世界でのさばっている奴らがスタンダードだとしたら、長浜さんが言う通りそれは恥ずべきことだし、むしろあってはならない現象だと思うんだが……。
「あんた、ちょっと色々見えてきたみたいやな」
『和美!』
「トレーニングに勉強に、精を出すのはええことやけど、抜く時間も大事やで」
『精!抜く!なんてダイレクトな!』
「は?アホちゃう?」
『やっぱり和美はツッコミだな』
「あんたに対するツッコミが少ないこのチームはどうかしてるわ」
『俺もそう思う』
「まぁチームの皆はこの世界に対しては大いなるツッコミの気持ちを持ってる」
『大いなるツッコミ?』
「簡単に言うたら違和感やな。この世界はどうかしてる。それに違和感を覚えへん人間が多すぎるのもまたどうかしてる。このどうかしてるスパイラルが常識を作り出してるんや。だから総じてこの世界はどうかしてるっちゅうわけ」
『常識か……常識ってなんだろうな』
「さぁ、そのテーマだけで本書いてるエライおっちゃんもおるぐらいやし、簡単には分からん話なんやろな。ただ分かってることは、常識を疑えっちゅうことがむしろ常識なんやってことや」
『俺なんて常識が何かよく分からんままここに来てるからな』
「それはうちかてそうや。スポーツ一本、そのままナショナルチーム入り、世間の常識なんか知らんし興味ないわ。ただ言えることはその常識っちゅうもんがうちにとってはめちゃくちゃ気持ち悪いっちゅうことや。」
『でもそれってもしかしていいことなのかもな』
「どういうこと?」
『和美が言ったようにこの世界はどうかしてるんだとしたら、その気持ち悪い常識ってぶっ壊していかないといけないんだと思うんだ。だからその気持ち悪いって感じられていること、それが大事、いいことなんじゃないかなと』
「そうやなぁ、気持ち悪さ、違和感っちゅうんかな、それが感じられへんようになったら終わりやもんな」
『この前国防本部へ行って水口局長と一緒に会議に出席してきた』
「せやったな」
『あの会議なんてマジでどうかしてた。あれが常識的な会議なんだとしたら、そりゃ我が国はおかしくなる』
「そこにあんたと局長がツッコミを入れたと」
『ああ、そのお陰かは分からんがチームの予算は増えたらしい』
「常識という違和感へのツッコミ、大事やな」
『そう、だから俺たちはツッコミ続けるんだ、この世界に』
「それと愛するメンバーたちにも」
『それ大事やな、なんてな。あはは』
「あ、笑った」
今はまだ何もかも足りない。だが少しでもチームに役に立てるように、なんて思うようになっている自分がいる。そして和美への気持ちも……。さらに深みへ進んで行っている、それはこれまでの自分とは違う心地よい違和感だ。しかし同時にその深みに恐れも覚えている。
ただ、やるしかない。それだけは疑いようのない事実だと感じている。
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