第二章 概念と愛
始まりはいつも突然で、動機付けなんて表面的なもの。特段立派なものではないと思っていた。だが本当は突然ではなくてある時表面化するだけで、表面的に見える動機付けも実は根底から沸き上がったものである。今俺は二千年以上前から流れる川の下流にいる。
「膳場くん、彼、どうだった?」
「司令、仰せの通りに」
「そう、思ったよりも早く事が進んだ様ね」
「ええ、あの細見という男、素直な面がありまして」
「素直?」
「隠し事は出来ないタイプ、とでも言いましょうか」
「じゃあ、やはり彼は……」
「足りなかったピース、かもしれません」
「それは期待しようかしらね。いつから始めるの?」
「彼には明日には実家を出てくるように伝えています」
「いよいよ、始まるわね。この国の命運をかけた闘いが」
「ところで敵の様子は?」
「例の勢力が力を伸ばしてきているわ。洗脳工作も順調のようね」
「くっ」
「でもこの力の伸び方は、まだまだ付け入る隙があるわ」
「詰めの甘さが目立っている……と、そういうことですね」
「明日にでも一発お見舞いしてあげましょうかね、彼にも我々の闘いを間近で見せた方がいいでしょうし」
「それは出撃指令ということですか?」
「まだよ、ただ、いつでも出られるように今夜のうちに準備しておいて」
「はっ」
俺は突如上官となった膳場さんに命ぜられ、荷物をまとめて実家を出た。もちろん向かう先はナショナルフィットネス。
「あ、細見くん!」
「別所さん」
「入隊決めたんだってね。改めてよろしくね。私は事務方だから戦闘にはいけないけど、訓練の準備とかみんなの健康管理とか、色々仕切っているの。だから困ったことがあったらいつでも言ってね」
あぁ、別所さんは今日も美しい。いい匂い。しかもため口で喋ってくれるようになってる。最高!
「そうだ、細見くん、連絡先、教えといてよ。メッセージアプリ」
「え?」
「何かと必要でしょ?ほら、スマホ出して」
「あ、はい」
なんだ、こんなに順調に行っていいのか?電話帳に入っている異性と言えば母親と祖母ちゃんぐらいの俺が、こんなに美しい人と連絡先の交換だと?まさに運が動き出している!ナショナルフィットネス最高!
「オーケー、じゃあ今日は施設の案内だね」
「え?それなら最初に」
「バカね、あれは表向きの案内。ここが国防の為の施設だってマネージャーから聞いたでしょ?じゃ、後に続いてね」
「え、ちょ、ここ?」
別所さんは更衣室横のタオル回収ボックスに飛び込んだ。よく見るとどこかへ繋がっている。飛び込めというのか?えっと……行くしかないか。
俺は思い切って足からそのシュートへ飛び込んだ。遊園地のスライダーの様な道を抜けた先……そこには……。
「遅かったわね。もっとうまく滑らないと。っていうかそっちはタオル用」
「はっ!使用済みバスタオルの山!なんか分かれ道があったっけ?俺は何となく左へ……」
「何となく左に行っちゃうものなのよ。次からは右……右って言っても真っすぐ滑るだけなんだけどね。左に比べたら右……かな?どうも世の中が左に寄っちゃっててね、本当に困ったものよ。ちょっと真ん中から発言すれば極右だとかネトウヨだとか騒がれちゃってね。本当に酷いyわよね」
「ところで別所さん、ここは?」
「ナショナルフィットネスの総本部よ。敵の動きを二十四時間体制で監視していて、出動命令や戦闘中の指令も全てここから出されるわ」
「あなたが細見くんね」
これまた美しい女性が声を掛けてきた。ショートカットの茶髪。別所さんよりは確実に歳上。でもまた違った色気があっていい。なんというか、巨乳。それをアピールするかのように大きく胸の開いたシャツ。いや、これはシャツを開けているというより、シャツが開かざるを得ないほど豊満な……。
「私は坂本。表向きはナショナルフィットネスの支配人、本職は司令、本部隊のトップよ」
「ど、どうも、よろしくお願いします」
「膳場くんが言っていた通り、素直なタイプね。今、私の胸元見てたでしょ。若いわね」
「え、あ、その」
「それから、別所さん、彼女も可愛いわよねぇ。あなたは私より彼女の方がタイプかしら。若さには勝てないわねぇ」
「え、あ、えっと」
「司令、いじめすぎです!何で私まで巻き込まれてるんですか?」
「冗談よ。とりあえず早く慣れることね。事態は緊迫しているから、頼むわよ」
「何に慣れろと!……あれ、もういない!」
「ああ見えてとても部下想いの優しい方よ。それでいて軍事大学出身で戦闘のエキスパート。彼女が味方で良かったと本当に思うわ」
「そうなんですか。」
「で、この総本部は本当に大切な時だけしか入らないこと」
「あ、はい。でどうやって出るんですか?」
「そうなのよね、こういう作品ってそういう細かいこと考えてないのよね。帰る時は非常階段ね」
「じゃあ来るときもそれでよかったんじゃ!」
「スピードが違うわ」
「それだけ?」
「まぁ細かいことは気にせず、階段で戻りましょう」
「これは細かいことなのでしょうか?」
非常階段を上ると別所さんはその先の扉を開けた。
「ここがスタッフルームね。普段はここで待機よ。で、スタッフルームからはまた別の地下に階段が繋がっていて、そこが私たちの宿泊室。基本的に二十四時間体制だけど、休むときはちゃんと休む、これを徹底してね。睡眠が全ての基本だから」
「分かりました」
「あと、宿泊室は一人部屋になっているから、好きなように使っていいわよ。細見くんは八号室ね」
「八号室?ということは……」
「そう、察しがいいわね。あなたはナショナルフィットネス八人目の隊員。司令、マネージャー、そして事務方の私で三人。そして戦闘員が四人いるの。細見君は五人目の戦闘員ってことね。マネージャーは戦闘にも出るから、戦闘は六人で協力することになるわ。みんな個性的だけどいい人たちばっかりよ」
「国防なのに六人って、なんでそんなに少ないんですか?」
「大所帯になると敵にバレるからね。政府との繋がりは司令が持っているけど、政府はスパイだらけ。もうほとんどこっちの判断で動くしかなくなっているのが現状よ」
「他の四人の方は?」
「休憩している者もいれば鍛えている者もいる。スタッフルーム内でだけこういった話をする決まりだから、外ではただのスタッフのフリしてね」
「昨日、マネージャーめっちゃ外でヤバイ話してましたけど!」
「細かいことは気にしない気にしない!」
「くそ!細かいと細かくないの線引きが分からん!」
玉に瑕ってやつか?別所さんはどうやら細かいことを気にしないらしい。その後、俺は残りの四人の先輩隊員と対面することとなった。
石山さんという男性隊員はマネージャーに続く立ち位置らしく、年齢は二十七歳。このジムに初めて来たとき目に留まっためっちゃマッチョな人物の正体はこの石山さん。短髪の刈り上げ。いかにもって感じだ。どうも二十歳ぐらいの時からほぼ毎日筋トレをしているらしく、筋肉やトレーニングのことには相当詳しいようだ。
長浜さんというのも男性隊員。二十五歳。学生時代は陸上の十種競技で全国大会に出たという強者らしい。身体の使い方はチーム随一だそうだ。しかもかなりのイケメンのサラ髪でバランスの取れた体型。こりゃ普通にカッコいい。
ジョンさんという男性隊員も二十五歳。長浜さんとは同期らしいが彼はスポーツマンというよりは学者タイプ。ハーフで金髪。丸眼鏡の奥に覗く目は青いが国籍は俺たちと一緒。海外の大学で人体の勉強をしていたらしく、トレーニングプログラムを作るのが得意とのこと。
戦闘員の中で紅一点の志賀さんは二十三歳。俺より一つ年上。金髪のミドルヘアで、別所さんや司令と違う魅力……可愛いって感じ。歳が近いからそう感じるのか?彼女の得意分野は栄養学や生理学。競泳出身でナショナルチームに入ったこともあるそうだ。隊員の体調はこの志賀さんと別所さんを中心に管理されているらしい。
ちなみに別所さんは俺がにらんだ通り、二十九歳。俺の眼に狂いはない。マネージャーの膳場さんはちょっと予想が外れて、三十五歳。司令の坂本さんの年齢は誰も知らないそうだ。で、俺が最年少にして最弱の二十二歳。細身で冴えない童貞。俺はこのメンツに入り込んで何が出来るというのだろうか。
そして何より気がかりなのが、この国の危機。そんな話は今まで聞いたこともないし、今まで戦闘に巻き込まれたことなんて一度もない。人型戦闘機なんてそれこそマンガやアニメの世界でしか見たことないし、それに乗るのか?俺が?悪い夢でも見ているのか。しかし今俺の手元には「ナショナル教育プログラム」のテキストが……どれどれ、とりあえず読んでおけと言われたな。読んでおくか。
≪ナショナル教育プログラム≫
ようこそナショナル軍へ。私たちは君の入隊を心から歓迎する。ナショナル教育プログラムは、ナショナル軍人としての在り方を形成する為に策定された我が軍独自の教育システムである。
我が国を守るために必要な全てがここにある。しかし勘違いしてはいけない。ここにあるのは答えではないのだ。あるのは概念、そして愛だ。常時非常時問わず我々は概念と愛をもって我が国を守る行動を取るのだ。どんな時も満点を目指すべからず、自分で考え我が国の為に身を尽くすべし。期待している。
ふーん、なんだか分かった様な分からん様な、何から国を守ればいいのか分からん状態でこんなこと言われてもなぁ。しかも答えがないって?満点を目指すな?それじゃどうしろってんだ。やっぱよく分かんねぇ。しかもテキストってこれだけ?後ろのページは……白紙!!落丁?
「お、新入り、いるか」
「石山さん」
「改めてよろしくな。筋肉のことなら俺に聞けよ。しかし細いなお前は。細見っていうだけある。お前、筋トレは?」
「いや、全然まだ……」
「ったく、長浜ぐらいだぜ、ちゃんと鍛えてるのは。ジョンはもうオタクそのものだし、志賀も最近はちょっとサボってやがる。まぁ細見、お前が来たお陰でちょっとチームの緊張感が戻ったけどよ。お前もその調子じゃ同じことだ。よし、どうせ暇だろ。鍛えてやるよ。」
「え?今から?」
「テキスト、読んだだろ?こっから先は、現場演習ってところさ」
「ナショナル教育プログラムって?」
「まぁ分かるさ、すぐに」
こうして俺は石山さんに連れられるがままジムエリアへ向かった。
「いいか、マシンエクササイズも悪くはない。だがまずは自重エクササイズだ。これが基本だからな。ヤツらの中にはマシンエクササイズが初心者向けだからそれを最初にやれと言うやつもいるらしいが、逆だ。マシンは上級者が更に追い込みをかける為に使うんだ。まずは全身を使うエクササイズから始めて、物足りなくなったら重りを持ったりマシンを使ったりする、これが正規ルートよ。ったくマシンマシンって、身体運動の基本が分かっちゃいねぇ」
「は、はぁ……」
「ってなわけで、おい、スクワットやってみるか」
「やったこと、ないんですけど」
「なにぃ!?スクワットのない人生なんて……そんな米のない牛丼みたいなことを言いやがる。しゃがむだけだよ、ほらしゃがんでみろ」
「こう……ですか……」
「……できる……のか……」
「あってます?」
「お、おう、修正は必要だが、なかなかやるな……。お前、スポーツとか何かしてたのか?」
「いえ、帰宅部です」
「本当かよ、参ったな。お前、今どうやってしゃがんだ?」
「いや、ただこうやって……」
「お前、この動き、言葉で説明できるか?」
「え、何ですか?言葉?立ってます。えっと、しゃがみます。で、立ちます』
「ここはさすがにこんなもんか。よし、いいだろう。俺が説明してやる。とりあえず聞いとけ」
「は、はい」
「スクワットってのはお前が言ったように、立っている状態からしゃがんでまた元の位置に戻る動作だ。だが最近はなかなかしゃがめないヤツが増えた。これは色んな理由が考えられるが、和式便所が減ったのは影響が大きいんじゃないかって俺は考えている。まぁそれはさておき、お前はとりあえずしゃがめた。これがなかなか凄いことなんだ。で、詳しく解説するとだな、立っている状態からしゃがむとき、これは実は足首から動かすんだ。足首、膝関節、そして股関節の順に関節を曲げていく。曲げていくというより、そういう風に曲がるんだ。関節を曲げることを屈曲というが、足首、すなわち足関節だけは背屈という特殊な呼び名が付いている。ちょっとややこしいが覚えておけ。
話を戻そう。足首、膝、股関節の順、お前はこの順が少しずれている。しゃがめているのだが股関節を後ろに引きすぎだ。つまり股関節が最初に動いている。確かに動画サイトなんかで解説されているスクワットはほとんどがそうなっている。しかしそれはあまり褒められたものではない。物理の法則に従って下から畳むんだ。いいな。これは重要だぞ。
そして立ち上がる時。今度は股関節、膝、足首の順で関節が元の立っている状態に戻る。関節は屈曲している状態から、伸展という動作で元の位置に戻る。相変わらず足首だけは伸展ではなく底屈というややこしい言葉を使うが、いずれにしても曲がるとか伸びるっていう言葉で覚えてしまってもいい。何はともあれしゃがむときは下から、立ち上がる時は上から、これを良く頭に入れておくことだ、さぁもう一度やってみろ」
「説明長っ!!」
「お、悪い悪い、まぁやってみろ!」
「こう、ですか?」
「まだケツの動きが甘いな。変なクセがついてやがる。もっとケツを後ろから真下に落とすイメージで動いて見ろ」
「こう、ですか?」
「だいぶ良くなってきたな。しかしなぜこうもしゃがめるんだ?」
「石山さん、和式便所っておっしゃってましたよね?実家、和式なんです」
「なんと、今時珍しいな」
「汲み取り式です」
「天然記念物かよ」
「だからここのトイレ、ちょっと合わなくて。入った瞬間勝手に便座が開くし、なんかケツに水かけられるし、お化けでもいるのかと思いましたよ」
「汲み取り式の方がお化けが出そうなんだが……。まぁなんとか慣れてくれよな。街じゃこれが普通だ。頼むから便座に足を置いて和式みたいに使うのだけはやめてくれよ。ただでさえ俺は他の奴と、お尻あい、になるのがちょっと嫌なんだから」
「え、潔癖ですか?」
「おうよ!だからジムのマナーにも人一倍うるさい!ジムの機材は使ったら必ず拭け!いいな?汗をかいていなくてもだ!これはルールじゃない、マナーだからな!」
「そんな!汲み取り式なんて絶対無理じゃないですか!変に拭いたらえらいことになります!」
「最近はそんなもんねぇよ!」
「そう言えば学校も水洗便所と聞いたことがあります。でも家のトイレじゃないと落ち着かないので小しかつかったことなくて」
「ったく……まぁいい。どうもこのマナーというのが最近は蔑ろにされがちだ。思いやりもお陰様の精神もあったもんじゃねぇ、ヤツらだってそうだ。人様の身体を好きなようにいじくり倒して、今さえよけりゃそれでいいんじゃねぇ。大事なのは未来なのによ。俺は悔しいぜ」
「さっきから出てくる、ヤツらって?誰?」
「まぁ色々いるがな、近々お出ましになるとすれば、TND教のヤツらだな。」
「T、TND教?なんか爆弾みたいな!」
「それはTNTな。物騒なモン知ってやがる」
「違いましたか」
「TNDの話はまだだったか。巷ではダイエットだパーソナルトレーニングだとかが流行り出している。それはいいことなんだがな、極端なんだよ。その最たるもの、食べないダイエットってヤツよ」
「食べ、ない、ダイエット……T、N、D、TND!何それ!ダサ!」
「まったくダサいったりゃありゃしない。そりゃなんも食わなかったら痩せるに決まってるじゃねぇか。でもそうやって痩せたらどうなる?食ったらもとに戻るんだよ。何回それを繰り返す?何度目だ?でもな、細見、よく聴け」
「はい」
「儲かるんだ、あの手法は。メディアだって全部グルだぜ、あんなの。納豆ダイエットをワイドショーが報じたら翌日スーパーから納豆が消えるんだ。真っ当に納豆が食いたい俺たちの気持ちなんて考えちゃいねぇ。トイレットペーパーを買い込む心理と同じだ。これは我が国に巣食う病だよ。冷静に考えてもみろよ、納豆食って痩せるか?理論の破綻だぜ。しかも納豆ばっかり食うか?さすがの俺でもそれは嫌だぜ。飽きるに違いない。でもそんなことも考えない愚民は誰が作った?俺たちの敵は、そういうところにあるんだよ」
「じゃあ国の危機って……」
「それは聞いてたか。そうだ、我が国の危機ってのは、概念の崩壊、そして失われた愛だってことだ」
「何だか話が飛躍している気がしますが、それでナショナル教育プログラムが……」
「そうだ。書いてあっただろう?概念と愛なんだよ。概念が崩壊する時それは国体が失われる時だ。連綿と続いてきた歴史、文化が徐々に意味をなさなくなっているんだ。そして愛も同時にな。この土地を愛し、空を愛し、海を愛し、民族を愛するその心が失われている。だから、自分の身体への愛も失われている。自分の身体すら守れないもやしっ子ばっかりになってしまうんだよ……。精神面だってもやし以下だぜ。もやしの方が食えるから価値があるかもな。概念と愛のないものにどんな価値があるって言うんだ……」
「石山さん……」
「は、つい熱くなっちまったな。悪い悪い。よしトレーニングの続きだ。なんか出来るみてぇだから重り持ってみるか!次はゴブレットスクワットに挑戦するぞ!」
「またスクワットですか!?」
「馬鹿野郎!ちょっとやったぐらいで分かった気になるな!スクワットは一生掛けても追い続けられる奥の深いエクササイズなんだよ!」
「えぇ!でももう脚が!!」
「もやしっ子がぁ!!」
こうして配属初日から地獄のトレーニングは続いていくのであった。
「あら、疲れてるじゃない?どうしたの?」
「あ、別所さん、あの、石山さんの……いてて」
「石山くんかぁ、愛が過ぎたのね。彼、すぐ熱くなっちゃうから。」
「きつかったです」
「最初はみんなキツイもんよ。でもね、これは明確な目標があるからやってるだけ。一般のお客様には絶対やっちゃいけない手法だからね」
「明確な目標?」
「で、細見くん、ちょっといい?」
「え?」
「いいから、ちょっとあの部屋に。誰もいないから」
別所さんが俺を誘ってきた……どういう風の吹き回しだ。いやしかしお美しい方だ。筋肉痛を忘れるぐらい見惚れてしまう。目を閉じてもその香りから美しさが伝わってくる。……しかしこの部屋は……。
「脱いで」
「はい!?展開が早すぎませんか!?」
「いいから!早くしないと間に合わないわ」
「いや、俺、早い方なんで大丈夫です、きっと」
「なに訳の分からないことを言ってるのよ」
「いや、だから俺はその童貞……』
「身体測定よ」
「そんな隅々まで!恥ずかしい!大きさ、どうなんだ!?いや、ちょっと待て、デカくなってないか?あ、いや大丈夫」
「もう、うるさいわね。あなた専用の戦闘機を発注するのよ。あなたの身体のサイズが分からないと作れないわ。全身スキャンするだけでほぼすべての身体データが取れるから。ほら、早く脱いで。」
「脱いでって……やっぱり……全部?」
「当たり前じゃない。大したもんついてないんだから早くしなさいよ」
大したものが付いていないとはな……。俺はなんだか小さくなって、全裸で機械に入れられた。
「はいおしまい。明後日には届くと思うから、それまでは待機ね。まぁどうせ届いても使えるようになるまでには時間が掛かるでしょうけど。しっかり鍛えておくことよ」
「はぁ」
「それから細見くん、さすがに細すぎ!ちょっと変な意味でドキッとしたわ。ちゃんとご飯食べなさいよね。そうだ、志賀さんがちょうど今食事の準備中だったわ。厨房に行きましょう」
小さくなった俺は別所さんに連れられスタッフルーム奥にある厨房へと向かった。
「和美ちゃん、ちょっと入るわよ」
「あ、はい。あ、細見くん、ちょうどよかった、この後の盛り付け手伝ってくれへん?」
「あ、はい」
「じゃあ私は事務仕事に戻るから、和美ちゃん、細見くんのこと頼んだわね」
「はーい」
別所さんはそう言い残し、厨房には俺と志賀さんの二人きりになった。
「うち、細見くん見てると母性が刺激されてまうわ。」
「はぁ!?」
「その華奢な身体、好みやねんな。別所さんにはよーさん食べさせてやって言われてんねんけど、個人的にはそのほっそりしたままでいて欲しいねんなぁ。世知辛いわぁ」
「何の話!?」
「うちの、そうやな、性癖の話やな」
「そんなド直球な!可愛い子がこんなストレートを俺に投げつけるなんて!」
「どうせ彼女もおらへんのやろ?うふふ」
「図星だけど!まだ会って間もないのになんで!」
「そんなん、関係ないと思うんやけどな。まぁとりあえずご飯やな。炊飯器に米炊けてるから、うちの分とあんたの分とよそっといて。お茶碗はそれ」
「え?二人分だけ?」
「せやで、基本的にご飯はセルフサービス。今日は新人のあんたと一緒に食べたげてっていう別所さんの計らいや。まぁ食事は誰かと一緒の方がええからこれからはうちに付き合うこと!」
「え、あ、はい」
「その方が出来立てが食べられてお得っちゅうもんや。他のみんなそれぞれ任務の合間に食べにきよる。だいたいこれぐらいの時間になったらうちが全員分作るのがいつもの流れ。うちがどうしても作る時間がない時は、勝手に出前を取ったらええっちゅうことになっとる」
「そうなんですね」
「あーもう歳も近いし敬語はいらんよ。うち下の名前は和美っちゅうから、それでよろしく」
「え、あぁ。あの、和美、、、は、どれぐらいご飯食べる?」
「せやな、こんもり盛っといて」
「これ……ぐらい?」
「あほか!そんな量で足りるわけあらへんやろ!」
「いや、どんだけ食うの!」
「あんたなぁ……。食べな力出ぇへんやろ?明日にでも闘わなアカンのかもしれんのやで?」
「いや、まぁそうなんだろうけど。米だけでこんなに……」
「その分ちゃんとこれも食べるんや、はい、召し上がれ」
「これは……豚汁……!和美は可愛いのに家庭的!!これはポイントが高い!」
「あら褒めてくれんの?嬉しいわぁ。だいたいここで出てくるのはこんな料理やで。米とみそ汁の組み合わせは最強やからな。今回はあんたが来るって聞いとったからちょっと豪勢にしてるんや。いつもは野菜がメインやから堪忍してや。味は補償するさかい」
「米と……味噌汁……」
「うちらの国の伝統や。昔からご先祖さんたちも食べてきてはる。それを何やいまのあいつら言うたら、米は太るとかいうデマを流して、発酵食品やいうて飲むヨーグルトばっかり飲みよって。あ、そうや冷蔵庫に漬物と納豆もあるから好きにとってええよ」
「納豆、和美は?」
「うち?そうやな、今日はやめとくわ。口がねばねばしたらこの後なんかあったらアカンからなぁ」
「さすがになんもないだろ」
「冗談や冗談!ウブやなぁ。余計可愛くなってきたわ。やっぱりお気に入りや」
「軽すぎない!?」
「……あんた、司令がいつも言うてる、足りひんピースっちゅうヤツやろ?」
「ああ、なんかマネージャーが言ってたな」
「そうやとしたら、うちも待っとったんやで、あんたのこと」
「いや、でも俺なんかまだ何も出来ないし」
「これからや。まぁ食事中にこんな話もあれやから、ちゃんと頂きますして食べよ」
「あぁ……えっと……頂きます」
「頂きますとご馳走様。この心が一番大事や。何を食べるかは確かに大事やし、栄養バランスとかカロリー計算も必要かも知らん。でもそんなのは本質的やない。もっと感性を大事にせなアカン。ちゃんと噛んで味するか、身体が喜んでるか、ちゃんと身体のためになってるか、そっちの方が大事や。それからプロテインばっかり飲むのも私は気に食わん。タンパク質を食事から摂らへんヤツが、何で粉を溶かして飲むんか、私には分からん。栄養学の勉強は腐るほどしたけど、現代栄養学は何か大事なもんを忘れてる。もっとご飯は美味しいいもんやと思うんやわ」
「この、豚汁、美味い!」
「せやろせやろ?うちの愛が入ってるからやで!」
「愛?」
「そうや、愛や。変な意味ちゃうで。勘違いしてもええけど」
『それは変な意味ということだな。媚薬でも盛られたか』
「嘘嘘。でもな、この誰かの為に、って想いを込めて作られた料理が一番美味しいんや。自分の為にでもそれはかまへん。でも食べる人が、それが例え自分やろうと、これを食べて元氣になる、明日もちゃんと生きていく、って想って作られたもんを食べるんや。外食にないのはそれや。だからうちがこうしてできるだけ皆にご飯を作ってる。簡単なもんやけどな。うちらはチームっちゅうか、家族みたいなもんやから。なんか弟っちゅうか、新しい家族ができたっちゅう感じで、うちはめちゃ嬉しいんや。せやから今日の豚汁はあんたにとってはホンマに美味しいんやと思うで。あ、変な意味ちゃうからな」
「…………」
「なんや変な顔して!こっちも照れるやないの!なんやったらまたあんたもうちにご飯作ってくれてもええんやで?楽しみにしてるな!」
「いや、料理、したことねぇし」
「最近の男子はそんなもんなんやろか。でもな、料理言うたかて難しいことせんでええねん。今日の豚汁なんか見てみ?こんなん小学生でも作れるわ。出汁とって、野菜と豚肉煮込んで、最後に味噌入れるだけや。これで栄養満点のスーパーフードになるんやから、料理なんて大したことせんでも立派なもんができるんよ。あんたが最初の戦闘で活躍したら、せやな、ええ肉でも焼いたげるわ。豪勢な料理はハレの日だけ。偶の贅沢があるのはええことやからな。ハレとケっちゅう概念をうちは大事にしてる」
「ハレとケか……そんな風に考えたこともなかったな、うち、貧乏だったからいつもケだったし」
「ケが多い方がええのよ。金持ちは舌が肥え過ぎとる。ええもん食いすぎるから病気になるんや。毎日ハレなんておかしいやろ?あんたは……そらちょっと細すぎるけど、ええもん食い過ぎて太ってるよりはええんちゃう?」
「俺って、太れるのかな?ガリガリすぎて闘える気がしないんだ」
「とりあえずお米をちゃんと食べ。ここの米は食べ放題。なくなったら自分で炊いたらええ。せやな。一日三合が目標。でも無理に詰め込んでも吸収できひんから、ちょっとずつ増やすことやで。何事もそう、ちょっとずつ増やすこと」
「ちょっとずつ……ねぇ」
「漸進的過負荷、ってことやな」
「ゼンシンテキカフカ?」
「トレーニングの原理原則や。なんや、まだ習ってへんのか。これは……」
その時館内放送が鳴り響いた。
「業務連絡、業務連絡。スタッフはスタッフルームへ戻ってください。スタッフはスタッフルームへ……」
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