4. いつか二人で


 ミツキの出立を見届けた後、ハルトはすぐに就寝の準備を済ませ、寝床のある自室へ向かった。扉の横に据え付けられたスイッチを一度押し込むと、『魔鉱石』製のランプが点灯し、部屋は仄かな光で満ちた。



 木造りの机の上には、ミツキが今日新たに持ってきてくれた外の世界の本が積んである。その周りには昨日の夜、出しっ放しで寝てしまった幾つもの本が積み上げられ、塔あるいは山を成していた。


 ハルトにとって、読書は数少ない娯楽の一つである。しかし外の世界についての知識が多くないハルトは、一冊の本を読む間にわからないことが続々と出てくるので、それを調べるため別の本を棚から取り出し、更に増えた疑問を解消するべく別の本を……と、厚い本を一冊読み終える頃には机の上は本で埋め尽くされてしまい、果ては床にまで侵犯してしまうのである。


 新しく山の一部分となった本たちを手に取って、表紙を眺めてみる。

 東の国の神話をまとめたものや、ある地域の植物図鑑など分厚くて重みのある本から、外の世界で人気だという作家の文庫本に料理本、絵本なんかもあった。本の供給元が限定的なために必然的に濫読家らんどくかであるハルトの目には、どれも魅力的に映った。


 しかし今日は魔物の生態とか『魔導士』の話とか、外の世界の美味しい食べ物の話とか、自分の知らない事を山ほど聞かせてもらったばかりだ。なので今日の所は軽く表紙を眺めるだけに留め、明日の楽しみに取っておくことにした。

 


 と、本を積みなおして、ベッドへ潜ろうとした時。



「……あぁっ!?」



 どさどさっ、と背後から響いた大きな音に向かって振り返ると、机の上に築き上げられた本の山が跡形も無く消え去っていた。それがどこへ行ったのかは、床を覆いつくす大量の本が物語っている。



「……はぁ、片付けなくちゃ」



 手で目を覆い、誰へでもなく悲嘆のこもった呟きを漏らし、今度からはこまめに片付けようと何度目かわからない緩い決意を固めて、ハルトは床に散乱した本の片付けに取り掛かった。


 乱れたカバーを整え、大雑把にまとめて書架へと収める。昔は本を出しっ放しにして、よく爺ちゃんに怒られたっけなぁ……などと、過去へ思いを馳せながら、やっと全ての本を片付けた。



「よし……っと、いけない」



 すると、机の下に一冊、青い表紙の分厚い本が残っているのを見つけた。身を屈め、腕を伸ばして拾い上げ、薄く被った埃をぱんぱんと払う。


 顔を出した本の表紙を見て、ハルトの表情は綻んだ。その本は外の世界の『海』について書かれたものであり、幼い頃、亡き祖父に譲ってもらったものの一つだった。


 専門的な単語や記述がとても多く当時のハルトには難解で、レンと二人がかりでも海はとてつもなく大きい、とか塩分を多く含んでいる、といった程度しか読み取れなかった。

 その後、浴槽にたっぷり張った水に塩を撒いて泳いでみたり、それを見た祖父に二人して拳骨を貰ったりしたのを思い出して、懐かしさから思わず笑みが漏れた。



「……ふふっ」



 そうして、ふと、隣の棚に飾られている写真立てに目をやった。ミツキが外の世界から持ってきた『カメラ』で撮影したものである。そこに写っているのは、顔をくしゃくしゃにして笑う二人の幼い子供だ。




 ハルトは知っていた。レンは口ではああ言うが、その実自分と同じくらい外の世界に憧れていると。


 昔は、ミツキから聞いた話や読んだ本の内容について、二人で散々語り合った。殆どハルトが話す側だったのは今と同じだが、未知の世界に思いを馳せて輝く親友の瞳を、ハルトは鮮明に覚えている。


 狩りや採集の仕事を任されるようになった頃から、レンは関心が失せたような素振りを見せ始めた。

 しかし、それでも時折家に来ては外の世界に関する本をハルトの部屋から持っていく。本人は「ただの暇つぶしだよ」なんて言うが、返ってくる本には同じページを何度も読み返した跡があった。



 あいつだって絶対、外に出たいと思ってる筈だ。



 ハルトが思うに、レンは村長の息子として、村を離れるのが心配なのだ。父に何かあった場合、その後村を支えていくのは自分しかいない……そういう責任感から、あの幼馴染は自分のやりたいことを我慢している。


 昔から、何をやってもレンは自分より一枚上手だった。腕っぷしは強く頭も良い、憧れの対象だった。そんな彼が、『村長の家に生まれたから』というだけの理由で、自己の実現を妨げられている。ハルトにはそれが我慢ならなかった。



 祖父を亡くし、暫くしてミツキも仕事に戻った。

 あの時レンが居なければ、ハルトは本当に一人だったのだ。



 その親友が心の内に隠してしまった望みを叶えるために、たとえ何千敗しようが、ハルトは勝つまで諦める訳にはいかなかった。

 レンは約束を破らない男だ。ハルトが勝ちさえすれば、必ず一緒に着いてくる。何度負けても折れずに勝負を挑む、最大の理由がこれであった。



「……いつか二人で、外へ行くんだ」



 自分に言い聞かせるように呟き、明日の勝負へ向けて決意を固めた。その矢先、身体を心地よい眠気が襲う。今日は日課の採集や勝負に加えて、長い事ミツキと話し込んだこともあって、ハルトは自分で思っているより疲れていた。



 ベッドへ入り、右手側に見える窓越しに空を見上げた。黒い空の中には小さく輝く星々と、それらを従える三日月が静かに浮かんでいる。姿でハルトの世界を照らしてくれる光だ。昨日も、今日も、思い出の中のどんな日もそうだった。



 ぼんやりと三日月を眺めているうちに翡翠色の瞳は閉じ、ハルトはゆっくりと、夢と現の狭間へ落ちていった。

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