3. 家族の時間(2)


 二人が半年ぶりに食卓を囲む頃には、空はもうすっかり闇に包まれていた。大樹の高い壁によって陽光が遮られるため、アルヴの夜は外の世界より長いのだという。


 今日のメインディッシュが並々入った、取っ手の付いたシチューボウル。周りには付け合わせに作ったサラダと、村で貰ってきたロールパンが並んでいる。


 二人分の食事が並ぶと、ハルトが一人で使うにはやや大きい木目のダイニングテーブルも、いつもより小さく感じた。



 ハルトは、食事の時間は誰かと話しながら一緒に過ごしたいと思う方だ。

 しかしミツキが仕事に戻ってからは、昼にレンと一緒に弁当を食べる以外ではいつも一人だった。こうして自分の家で家族と食事をとる時間は、ハルトにとって大切な時間の一つである。



「いただきます!」

「あぁ、いただこう」



 村の『決まりごと』である食事前の合掌をして、銀のスプーンを走らせた。



「んっ……ん~、美味いっ!」



 ミツキが持ち帰ってきた牛肉を余さず使ったシチューは、何度食べても格別だ。特に、ゴロゴロとした牛肉の塊が良かった。森で取れる猪の肉は噛み応えのある食感なのに対し、こちらは軽く歯で押すだけでふわりとひしゃげて溶け、煮込んでいる間に染みた旨味が口の中を埋め尽くす。


 野菜も同じように柔らかく仕込まれており、決して肉の邪魔をしない。とろみのあるルーにはそれらの風味がぎゅっと閉じ込められており、パンを千切る手が止まらない。


 普段自分が使っている食材とそう変わりない筈なのにどうしてこうも美味しくなるのか、ハルトには不思議で仕方なかった。



「うん、それは何よりだ。沢山お食べ」



 言われるまでも無くハルトはぐんぐん食べ進め、一杯目を完食するのにそう時間はかからなかった。



「……とはいえ、ちょっと作りすぎたな。明日、彼にも分けてやると良い」



 付け合わせのサラダを口に運びながらミツキが言う。


 確かに、シチューは普段ハルトが使わない大きな鍋でも八分目くらいある。ハルトとしても、飽きずに食べられる自信はあったが、痛むのより先に完食できるかは怪しいところだった。



「うん、そうするよ。レンもシチュー好きだし」


「あぁ。そういえばハル、彼にはまだ勝てていないのか?」


「うっ……うん」



 割と触れてほしくない話題に触れられ、スプーンを持つ手が止まるハルト。わかりやすく引き攣ったその表情を見て、ミツキはおよそ察しがついた。



「そうか。……大丈夫だよ。きっとすぐに、その時が来るさ」


「うぅ、そうだと良いけど」



 肩を落としたハルトに、ミツキが優しく笑いかける。

 普段は凛とした細面だが、それを崩して時折見せる笑顔はまるで女神のようだった。身内贔屓を抜きにして、客観的に見ても綺麗だとハルトは思っている。



「あぁ。やり遂げるまで諦めない……簡単なようで、とても難しいことだ。それが出来るハルは凄い子だよ」


「そうかな……ふふっ」



 まっすぐに自分を見つめるミツキから目を逸らし、ハルトは頬を染めながら頭を掻く。



「それよりミツキさん、今回の調査の話、聞かせてよ!」


「あぁ、いいとも。今回は深い森に籠って、トレントの調査をしたんだ。例えば……」



 機嫌を直したハルトにせがまれ、いつものように外の世界の話を始めるミツキ。賑やかな声が、小さな家に響き渡った。



 ハルトが一番楽しみにしている時間が、この日もやってきた。食事を取りながら、ミツキが渡り歩いた外の世界の話を聞くのである。


 彼女が研究している魔物の話を主とし、外の世界の科学技術の話や、様々ある地域の文化の話など、ハルトは村に存在しないものの全てに興味を持っていた。聞く以外にも、ミツキが居ない間に読んだ本の内容について、帰ってきたときに質問したりもする。

 こうして過ごしてきた十六年で、ハルトの外の世界に対する期待や憧れは非常に大きなものになっていた。



「……と、新しい発見はこんなところだ」



 調査についてひとしきり聞く間、ハルトの目はずっと輝いていた。今回の調査は森の中で『トレント』と呼ばれる魔物の出る森に何か月も張り付いて観察する、というものだったらしい。

 ミツキの調査結果には、何度も繰り返し読んだ本には載っていない内容も多く、聞くたびにハルトの心を躍らせた。



「うん、今回も大変だったんだね」


「あぁ。トレントは自分の領域に踏み入られるのを嫌うから、観察するのも一苦労でな」


「そっか。僕も本物、見てみたいなぁ……もぐ、どれだけ大きいんだろう」



 話に夢中になっている間に冷めてしまった二杯目のシチューを平らげ、ハルトは想像を膨らませる。

 ハルトが読んだ古い本には、トレントの体長に関しては『大きさは樹齢に比例する』なんていう至極当然の事しか書かれていなかったので、数メートル規模の大きさだと勝手に想像していた。



「そうだな……生息する場所にもよるが、この家くらいの奴ならざらにいるぞ」


「そうなの!?」



 ロールパンの最後のひとかけらを食べ終えたミツキが言う。ハルトが頭の中で思い描いていたトレント像は、より大きなものに更新された。



「あぁでも、元々大きかった木が魔物になるなら、全然あり得るのか……」


「そうだ。いつも言っているように、世界は常に想像を超えてくる。……例えば、この大樹ぐらい大きな木が魔物になることだって、あるかもしれないな」



 ハルトはそれを聞いて、ちょっと恐ろしくなってきた。今は斬り倒されてしまったこの大樹アルヴも、かつては生きた木であったのだ。

 もしかしたら世界のどこかにアルヴと同じくらいの巨木があって、魔物になって動き出す可能性だってゼロではないと、そう気付かされた。



「そんなの見たら僕、腰抜けちゃうよ」


「はは。流石にそこまで大きいのが居たら、誰も放っておかないさ」



 興味はあるけどそこまでのやつにはなるべく会いたくないな、とハルトは思った。頭の中のトレント像はこれ以上更新せずに、水と一緒に飲み込むことにした。



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