3. 家族の時間(1)


 アルヴの村の北西から続く、緩い傾斜のある小道。風に撫でられ笑う葉の音の中を、ハルトはずんずんと登っていく。


 途中、愛用の木剣をレンの家に忘れてきてしまったことを思い出した。やけに荷物が軽いわけだ。しかし家族の待つ家を目前にした今、村へ戻るという選択肢はもうない。察しが良くて気の利くレンの事だから明日にでも渡してくれるだろう。



 道の真ん中、我が物顔で木の実を頬張っていたリスを草陰へ、小虫をつついていた鳥を枝の上と退かせ、十分弱ほど走ったところでハルトは自宅に到着した。


 森の中の開けた空間にひっそりと佇む二階建ての木造建築。少々古く、大きくは無いものの、煙突の着いた立派な家であり、ハルトは物心ついてからずっとこの家に住んでいる。

 大樹の壁から削りだした木材を使って建てられており、それ故に頑丈だ……と生前祖父がよく言っていた。



「ミツキさんっ!!」



 バン、と勢いよく片開きのドアを開けて叫ぶ。正面のキッチンには、深い紺色の髪を後ろで束ねた長身の女性が一人。戸棚を物色していた彼女は、ドアの方を見るとすぐに顔を綻ばせ、ハルトを出迎えた。



「おや、帰ってきたか」



 立ち上がった女性───ミツキは、ハルトより頭半分ほど背丈がある。目鼻立ちは非常に整っており、スタイルも女性らしく、若い女性を殆ど見たことの無いハルトでも間違いなく美人だとわかる容姿だ。


 レースの装飾が可愛らしい白いシャツに、落ち着いたグレーのワイドパンツを身に着けている。

 見た目は二十代後半にしか見えないが、ハルトがだいぶ前に年齢を聞いてみたところ「女性に対してみだりに年齢を尋ねるものではないぞ」と、冷ややかな視線と共に一蹴されてしまったので、実際に幾つなのかは知らない。



「ミツキさん! ただいま……いや、おかえり?」


「ふふ、寝ぼけているのかハル。おかえり」



 最近は殆ど家に居ることの無いミツキに対して、どちらを先に言えばいいのかとハルトは戸惑う。それを見たミツキは、ちょっと可笑しくなって金糸雀色の目を細め、ハルトの頭を軽く撫でた。



「ただいま。……ってちょっと、やめてってば」


「あぁ悪い。私が居ない間、変わりないか?」



 久しぶりの家族の温もりを感じていたかった気持ちもややあったが、恥ずかしさが勝ったハルトは、ミツキの真っ白な手を優しく退けた。



「うん、元気だよ。今回は遅かったね、帰ってくるの」


「ん、そうか? ふむ、前に帰ったのはいつだったかな……」


「半年くらい前」


「おや……そうか、そんなに前か。ハルがあんまり変わらないから、ついな」



 顎に手を当て、首を傾げるミツキ。彼女は時間間隔が独特であった。家を出て数週間で帰ってきたと思えば、今回みたいに半年帰ってこなかったりする。



「ミツキさんも、変な時間感覚は相変わらずだね」


「そう言ってくれるな。職業病、というやつだ」



 ミツキは口元に手を当て、小さく笑う。こういった、些細な仕草の一つ一つに滲み出る上品さが、彼女が帰ってきたという実感をハルトに沸かせた。


 ハルトにとって、ミツキは姉のような存在である。ハルトがまだ幼い頃から度々外の世界へ行っては、ハルトのために食べ物とか本とか、他にも色々な物を持ち帰ってきてくれた。

 祖父が死んでから暫くの間はずっと一緒にいてくれたが、その後ハルトが一人で生活できるようになると仕事に復帰し、現在は長期間家を空けることが多い。



「今日の仕事はもう終わったのか?」


「うん。分けるのはレンが代わってくれたんだ」



 ちらっと見えた台所は、ハルトが今朝家を出る前に見た時よりも綺麗に整頓されていた。調理台に置かれたボウルには、やや無造作に野菜が入れられている。どれも皮は剥かれておらず、まさにこれから調理を始める、というのが見て取れた。



「そうか。それじゃあハルも手伝ってくれ、一緒に夕飯を作ろう」


「うん!」


「……どうした、何かいいことでもあったのか?」


「ううん、何でもないよ」



 元気の良い返事をして、ハルトはキッチンに踏み入った。普段よりも台所が手狭に感じて、思わず口角が上がる。



「そうだ、今日は牛肉を持って帰ってきたんだ。ビーフシチューにでもしよう」


「ほんとっ!? やった!」



 ハルトは、昼間の敗北のことはすっかり忘れて、来たる夕餉に胸を躍らせた。その満面の笑顔に、ミツキも笑い返した。

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