2. アルヴの村(2)


 空に見える太陽は、平地で見た時より傾いていた。もう少しすると、大樹の壁によって大きな影ができ始め、アルヴの村には外の世界よりも早い夕暮れが訪れる。



「ん」


「今日もかよ、別にいいってのに」



 外に出るや否や、ハルトはレンに掌を差し出した。カゴを寄越せ、の意である。いつだったか、どちらからともなく言い出した「負けた方が荷物持ち」のルールだ。


 収穫物がたっぷり入ったカゴはそこそこ重たく、ハルトは筋力が鍛えられるとプラスに考えている。しかし未だ無敗のレンとしては、ちょっと気が引けるのであった。



「ううん、ちゃんとやる。筋肉つくし」


「頑固だよなぁお前も……ほら。無理なら代わってやるから言えよ」



 レンが背負っていたカゴを受け取る。今日は取れ高が悪かったのか、そう重くはなかった。

 筒状のカゴを抱くようにして抱えると、キノコ深みのある香りが木の実の甘い香りと混ざって鼻をついた。これならまだ良いが、猪を狩った日なんかは獣臭さがきつく、かなりの苦行である。



「いやっ、こんなの、慣れてるしっ」



 これ以上からかうと長くなりそうだったので、レンは「まぁ毎日やってるもんな」とは言わないでおいた。尤も、ニヤッと上がった口角から、ハルトはこの親友が何を考えてるのかはおよそ察していたが。



「さて、今日は右回りで行こうぜ」


「うん。どっちにしても、最初は向かいのツツジ小母さんのとこから……ん?」




「おぉーい……!」



 家の前の四段の階段を降り、いざ村を回ろうという時。遠くの方から何やら叫び声が聞こえてきた。目をやると、見知った中年の男性が手を振りながらこちらへ駆け寄ってきていた。



「あれは……オウバのおっさんだな」


「あんなに急いで、どうしたんだろう?」



 中年の、人の良さそうな顔をした小太りの男性は数メートルの距離にまで近づくと減速して、やがて止まった。二人は早足でそちらへ近づき、肩で息をして今にも倒れそうな男を支える。



「大丈夫かよ、おっさん。無理するとまた腰をやるぞ」


「はぁ、はぁ……あぁ……戻ってきてたか、ハルト」


「はい、たった今。……落ち着いてください、何かあったんですか?」



 大汗をかいた男性は二人の目の前で両膝に手をついて、切らした息が整うのを待っていた。ハルトは彼が落ち着くように促し、要件を聞く。男性はめいっぱい息を吸い込んでから言った。



「お前のとこの姉さんが、帰ってきてるぞ!」



 彼がそう口にした途端、ハルトの目が輝いた。



「ミツキさんがっ!? ほんとですか!?」


「ぜぇ、ぜぇ……あぁ、さっきすれ違ってな、今頃はもうお前の家だ」



 驚きつつも嬉しそうな顔のハルトに、男性が深々頷く。随分走ったのかまだ呼吸は落ち着かない様子だった。



 ミツキ。その名前が指すのは、ハルトに残されたたった一人の家族である。と言っても、血の繋がった実の家族ではない。


 ミツキは亡くなったハルトの祖父に大恩があって、その恩返しとしてこの村で共にハルトを育ててくれた女性だ。職業は『魔物学者・・・・』で、現在この村と外の世界を出入りする唯一の人物である。


 ハルトは途端に、隣に立つ親友の方を素早く向いた。視線を受けたレンは軽く溜息を吐いて、既に諦めた顔で言う。



「全くお前は、しょうがない奴だな。……まぁ、最後に帰って来てから随分経つしな。仕方ないから、今日は見逃してやるよ」


「やった! レン、ありがとうっ!」



 渋々、と言った様子のレンが了承の意を示すと、ハルトは跳ねて喜んだ。


「そうだ、レンも一緒に来なよ!」


「うーん、お誘いはありがたいけど。俺はどっかの三千敗が置いていくぶんも、分けて回らないといけないからなぁ」


「うっ……」



 レンはわざとらしく唸りながら腕を組んで、チラチラとハルトの背を見て言う。先程の勝利宣言のお礼の、ここぞとばかりの口撃である。


 いつもなら当然食って掛かるハルトだが、今に限っては後手に回らざるを得なかった。



「冗談だよ、早く行ってやれ。俺は明日にでも挨拶に行くから」



 レンはハルトが帰りたくて仕方ないのはわかっていたので、引っ張らずに解放してやった。意地悪しつつも、ハルトがはしゃぐ様子を見るその顔は穏やかだった。



「……ありがとう。じゃあ、後よろしく!」


「はいはい。じゃあな」


「また明日!」



 ハルトは二つのカゴをてきぱきとその場に降ろして親友に預け、先程帰ってきた門とは逆、自身の家がある村の奥の方へと駆けていった。振り返って大きく手を振るハルトに、レンも小さく手を振り返す。



「ありがとうー!!」


「おーう」





「でも明日は勝つからーー!!」


「わかったよ! さっさと行けっつーの!!」



 夕暮れ時の閑静な村には、二人の少年の声が良く響いた。

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