1. ハルトとレン(3)


「……くそ、今日こそいけると思ったのに」



 対して砂埃やら草やらに塗れたハルトは立ち上がって、生成りの衣をぱんぱん払った。レンの着ているのと色違いで、淡い青色だ。



「まだまだ詰めが甘いなハルト。……んで今、何勝何敗だっけ?」


「覚えてるくせに、からかうなよ……2987戦、0勝、に、2987敗……」



 からかうような親友の言い草に、ハルトはまたちょっとカチンときたが、自ら口にした戦績はあまりにも不甲斐なく、それ以上に肩を落とした。



「いいや、讃えてやろうと思ってさ。それはお前が諦めなかった回数だぜ」


「ウソつけ」



 軽い足取りで歩きだしたレンが適当なふうに言った。向かう先は、先程ハルトが寝ていた大木の根本だ。


 この『いつもの場所』には、二人とも長年世話になっている。日に一度の剣術の勝負以外にも、先程のように猟や採取の終わりに寄って、疲れた際に一息入れたりするのである。太い幹には彼らがここへ通った証である、二本ごとに間隔の空いた横線が沢山彫ってあった。


 レンは幹に背を預け、地面から浮き上がっている大きな木の根に座り込んだ。むすったれたハルトも、その隣にどさっと腰を下ろす。



「とにかく、明日は絶対勝つから!」


「はいはい。ったく、そうまでして『外』に出て何があるってんだか……」



 と言いかけて、レンは咄嗟に「しまった」という顔をした。隣に目をやると案の定、外の世界の魅力について話したくて仕方なさそうな顔がこちらを向いている。



「そんなの決まってるじゃないか! ここに無いもの全部だよ!」



 わかりやすく、し飽きた辟易を面に浮かべたレン。その隣では既に、耳にタコができるほど聞いた、ハルトの『外の世界トーク』が始まっていた。



「海とか砂漠とか雪山とか、この『大樹』じゃ見れない景色がたくさんあってさぁ……」



 大樹。太古の時代にこの地に根差していた、人知を超えた大きさの巨木であり、今ハルト達が住んでいるこの森そのものを指す言葉でもある。


 かつての大樹は命を育む陽光も、魔力を与える月光も過剰に吸い過ぎ、周囲の土地を不毛にしてしまう厄介な存在だった。


 しかしある時、枯れゆく木々と滅びゆく人々を憐れんだ神が大樹を切り倒した。神はその切り株の中に森を作って、滅んだ自然や生き物の魂を招き入れ、再び命を与えた。


 つまり、眼前の木々の向こうにそびえたつ巨大な『壁』がその木の切り株そのもので、ハルト達が住むアルヴの村に住む民は神によって生き返った人々の子孫である……というのが、四年前に亡くなったハルトの祖父含め、村の大人たちが二人にしてくれた御伽話だ。


 人が生き返るなんてありえないとハルトは思っているが、実際この森を囲む木の壁のお陰で外の魔物が村に入って来ないのだから、御伽話の全てが間違いではないとも感じている。



「生き物だって、この森とは比べ物にならないほど沢山いるんだよ。何千、いや何万、いやもっとかもしれない!」



 ハルトは好奇心の僕だった。新しいもの、知らないものに惹かれ、未知に対して躊躇わない男だった。


 今座っているこの場所も、小さい頃にハルトが見たことのない蝶々を追いかけている時に見つけた場所だ。虫を獲ったは良いが迷って帰れなくなってしまい、大泣きしている所をレンに発見されて以来、ここは二人の秘密の場所となった。



「あーはいはい。んで、でっかい街には人がいっぱい住んでて、カガクの力でなんか色々いい感じなんだろ」



 瞳をキラキラさせ、身振り手振りを交えて楽しそうに話すハルトに対し、レンは飽き飽きしたような調子で言った。なにせ、何千回と聞いた話だ。



「そんなつまらなさそうに言うなよ。レンも一緒に行くんだぞ」


「2987回聞いたからな、もう飽きた。それにその件は俺に勝てたらって約束だろ」



 日に一度行う試合は、ハルトが大樹の外へ出るための『課題』であると同時に、レンが一緒に着いてくるかどうかを決めるためのものだった。



「分かってるってば。……なんだよ、昔はレンだって楽しみにしてたじゃんか」


「いつの話してんだ。現実見てんだよ、俺は」



 レンはハルトの方を見ずに、足元に散乱する緑色の落ち葉を物色しながら言う。



「それに。お前は外が楽しいとこだって言うけどさ、近くにだって楽しい事は転がってるもんだぜ。……ほら見てみろよ、面白い形の葉っぱ」


「あっ、ホントだ」



 レンが適当に拾った、揺らめく炎のような形をした緑の葉が、すっとハルトに差し出される。受け取ったハルトがまじまじと見るのを横目に、レンはケラケラ笑いながら立ち上がる。



「ははは。そうやってすぐ気が逸れるようじゃ、明日も俺の勝ちだな」


「なっ、また……明日は絶対勝つから! 帰ったら出かける準備しとけよ!」



 先程の当たりの実の件に続いて、また手玉に取られていることに気が付いたハルトは、同じように顔を赤くして言い返した。



「言ってろ三千敗」


「ま、まだ2987敗だってば!」



 レンはハルトの根拠のない勝利の予告を意にも留めずに、手を差し伸べる。その手をぐっと掴み、ハルトも立ち上がった。



「そうならないと良いな。……さ、もう戻ろう。『刻限』も近いし、村のみんなが収穫を待ってるぜ」


「むう……あっそうだ。この前貸した本に『エレメントバード』って魔物出てくるでしょ。あれって、住む場所で全然違う特徴があるらしくてさ……」


「それ先週も聞いた」


「あれ、そうだっけ?」



 並んで置かれたカゴをそれぞれ背負って、日課を終えた二人は広場を後にした。

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