1. ハルトとレン(2)



 地面の窪みの位置まで覚える程に足繁く通ったこの広場は、決まって二人が日課の手合わせを行う場所だ。レンもハルトも『いつもの場所』と呼んでいる。



「せいっ!!」



 そんな『いつもの場所』には今日も、木剣を交える乾いた音や土を蹴る音、そして二人分の気合が篭った叫び声が、不規則なリズムと大きさで鳴り響いていた。



「受けるかよ、そんなの!」



 掛け声とともに振り下ろされたハルトの一太刀を、レンが打ち払った。

 瞼に半分かかった薄紫の前髪がふわりと上がり、露わになった両の眼は、一縷の隙をも見逃してくれそうに無い。



「そら、お返しだっ!」


「っ、まだまだ!」



 腕に衝撃を感じると同時に、姿勢が崩される。その僅かな隙を狙うレンの、返しの手で繰り出した鋭い一撃が迫る。しかしそれを察知し、ハルトは素早く後方に飛び退いた。



「当たり前だっ」



 使い込まれた、傷だらけの木剣を身体の斜め後ろに構え、レンは後退したハルトを追って走り出す。



「今日はっ、下がりすぎてっ、川に落ちるなよ! あんなダサい勝ち方はゴメンだぜっ!」



 迫りくる刃を二歩、三歩と後退しながら避ける。いつだったかの敗北が、ハルトの頭をよぎった。


 今と同じように、レンの猛攻を必死でやり過ごしていたら、いつの間にか広場の端に流れる小川の方へと追いやられていて、気付いたときには水浸しだったのである。


 恥ずかしい敗因を掘り返されたこともそうだが、勝つ前提のその言い草にハルトはちょっとカチンと来た。


 あんな格好悪い負け方、二度としてやるつもりはない。池の位置は落ちた次の日からちゃんと頭に入れてあるのだ。



「いつの話してるんだよ! ……見てろよ、今日こそっ、絶対勝つからなっ!」



 止む気配の無い攻撃の雨を、剣で防ぎ、身を伏せ、転がってやり過ごす。レンの勢いは全く衰えない。



「へぇ。じゃあいつもと違うとこ、見せてみろよっ!」



 素早く一歩下がった直後、木剣を振り被ったレンは高く飛び上がった。


 とどめとばかりの強烈な振り下ろしが、ハルトの脳天に迫る。自分目掛けて跳びかかってくるつもりだ。当たれば只では済まない、避けなければ。……それが最適解なのは理解している。


 しかしハルトは、正面切って撃ちこんでくるレンに背を向けることなどできなかった。



「はぁっ!!」



 頭上に両手で構えた木剣の腹で、レンの必殺の一撃を受け止める。一際大きな音が、木々の間を駆け抜けた。



「っ……!」



 競り合う樫の刀身の向こうで光る、空色の瞳。普段はヘラヘラと笑ってハルトをからかってばかりの幼馴染だが、ひとたび剣を握れば凄まじく強い。


 間合いに捉えた獲物へ向けるような淡い桃色の視線は、まっすぐにハルトの目を見据えている。その迫力に、ハルトは気圧されそうになった。


 いつもと同じだ、追い詰められている。



「……言われ、なくたって、見せてやるっ!!」



 柄から掌に伝わった小さくない衝撃を噛み締め、ハルトは踏ん張った。ぐぐぐっと押しつけられる木剣の重さに、片膝をついて立ち向かう。


 気持ちで負けるな。いや、勝負にだって負けない。今日こそ勝って、外の世界へ行くんだ。心の底から溢れる気持ちを腕に乗せ、レンの剣を押し返そうとした瞬間。




「……よっ、と」


「って、んぬぁっ!?」



 一瞬のうちの出来事だった。力比べの最中、素早く振るわれたレンの爪先が、ハルトの足首を払った。



「痛って……っ!」



 支えを失って倒れる身体。地面に打ちつけた右半身がひりひりと痛む。身体の底から捻り出した力が行き場を失って、半回転したのだった。



「で、一体何を見せてくれるって?」


「くっ……!」



 起き上がろうとした顔を上げた時、ハルトの鼻先に木剣の切っ先が突き付けられた。 


 それ以後、ハルトの次の手が繰り出されることは無かった。ハルトの身のこなしは素早かったが、レンはその上を行っていた。



「はい、俺の勝ち」



 ニヤリと笑うレンは剣を下ろし、有無を言わさず勝利を宣言した。濃紺の、麻布でできた簡素なシャツには、砂埃一つついていなかった。

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