第一章 【導きのブレスレット】

キャンディー・コロンへようこそ



 高く、広く、果てしない空。風に身を任せ、空を泳ぐ雲。そんな雲の上の世界。

 願い事を叶えてくれる、魔法が溢れる空の国。エルナミューレ王国。

 その国に住む人たちは皆、背中に白い翼を持って生まれてくるーー



「朝よ、起きて、サラ。私もう出かけるから、店番よろしくね」

 サラの部屋のドアを半分まで開け、覗くように顔を出す年配の女性。金色の混じった白髪がよく似合っている。光沢のあるイヤリングを耳に着け、シックなコートを纏う姿は、とても若々しい。

「んん……行ってらっしゃい、ミレーヌ」

 寝ぼけた声で返事をする、一七歳の女の子。サラ・ロゼミューである。

 ベッドから起き上がると、背中には髪の間から覗く、白くて小さな、可愛らしい翼がチョコンと顔を出す。

 透き通ったエメラルドグリーンの瞳はパチパチと瞬きを繰り返し、灰色がかったブロンド髪を左手でかきあげた。

「あれ?」

 頭から手を下ろすなり、サラの声がいきなり大きくなる。

「ない……ない、ない、ない、ない!」

「んー……」

 サラのベッドの横に位置する、出窓。その手前に置かれたオルゴールの中で、もぞもぞと起き上がる女の子は、ゆっくりと伸びをしている。

「朝からうるさいわね、サラ」

 その女の子のチリンッと鈴の音のような、可愛らしい声が響いた。

 女の子は立ち上がり、オルゴールの淵に足をかける。そして「よいしょっ」 という掛け声とともにジャンプをすれば、ふわりふわりと浮かぶようにサラのベッドの足元まで飛んで行った。

「ピピ、大変なの! 私のブレスレットがないのよ!」

 サラにピピと呼ばれた、手のひらサイズのその女の子。パーマのかかった、桜の花びらのような柔らかいピンク色の髪が、クルンっと揺れた。

「そう、ブレスレットが……ええ! ないって、どうして!?」

 ピピのその言葉に、サラは左腕を顔に高さに掲げ、ピピに見せつけた。

「どうしよう、ピピ……」

 サラは動揺を隠せず眉を下げ、不安そうな顔でピピを見つめている。

 ピピもまた心配そうにサラを見ている。

 すると突然、部屋に響き渡る大きな音。

ーーメエェ!

 壁にかかっているヒツジ時計が時刻を告げた。午前十時。お店の開店時間だ。

「もうこんな時間! ミレーヌ出かけたんだった! お店開けないと!」

 サラはそう言いながらも頭を抱えている。

「そうね、とりあえず支度しましょう! ブレスレットのことはまた後で考えよ」

 ピピはサラの腕を引っ張り、なんとかベッドから洗面所まで移動させた。

 今日は、家の中でも肌寒い。冷たい水で顔を洗えば完璧。寝起きでパニック状態だったサラの、その大きい目も一瞬で開かれる。

 そこからの身支度は、とても速かった。だが急いでいる時こそ、時間の流れは早く感じるもの。早くしてと急かす言葉も自然と出てくる。

「ピピ早く出てよ! いつもトイレが長いのよ!」

「ちょっとサラ! レディに向かってそんなこと言わないでくれる?」

 トイレのドア越しに始まる口喧嘩もいつものこと。

 サラの家は二階建てだ。二人にいる部屋から階段を降り、リビングを抜けた先には、お店へと繋がるドアがある。

 ドタバタと足音を立てながら、サラはようやくお店の看板を<Open> の文字に。

「お待たせしました! 『キャンディー・コロン』 へ、ようこそ!」

 お店とは、ミレーヌの経営する魔法のキャンディショップのことだ。

 ドアを開けたその向こうには、キャンディを買いに来たお客さんがこちらを見ていた。

 そのうちの一人が、店の中に入るなりサラに声を掛けた。

「おはよう、サラちゃん。今日は寝坊かしら」

 柔らかい笑みに上品さが感じられるこのマダムは、お店の常連さん。

 サラは笑顔で挨拶をすると、申し訳なさそうに言った。

「おはようございます、フランネルさん。お待たせしてしまい、すみません」

「頼んでおいたもの、もうできているかしら。娘が怪我をして、今日も外へ出かけられないから、可哀想で……」

「はい、ご用意できていますよ。これが『おしゃべりキャンディ』 です。人形やおもちゃなどに使うと、たちまちおしゃべりになりますよ。お子様の大切なぬいぐるみに、使ってみてください」

 サラは数粒のキャンディが入った小瓶をフランネルに差し出した。

「ありがとう。話し相手がお気に入りのぬいぐるみだなんて、娘もきっと喜ぶわ」

 サラから受けとった小瓶を、カバンの中へ大事そうにしまったフランネルは、続けて言う。

「それにしても、キャンディ作りがまた上手になったのね、サラちゃん。このあいだのキャンディも、てっきりミレーヌ様がお作りになられた物だと思っていたわ」

 サラたちの作る魔法のキャンディには、それぞれ作用がある。その用途に合わせて魔法を調合するのがとても難しいのだ。

 サラは頬を赤く染め「ありがとうございます」 と努力を褒められて照れたように言った。

「サラちゃんの魔法はパワフルだし、上達も早くて、若いって羨ましいわ。それに比べて私の魔法は年々、少しずつパワーが落ちていくのよね。歳なのかしら」

 フランネルは、乾いた息を吐いた。

「パワー……」

 サラは思わず出てしまった声を引っ込めた。

(魔法のパワーって落ちていくものなの? 歳といっても、フランネルさんはまだ三十代よね? そもそもこんな話、ミレーヌからも聞いたことないけど……) 

 そんなことを考えていたサラは、フランネルに疑問を投げかけた。

「あの……その、魔法のパワーはいつから落ちていっているのですか?」

「そうね、いつ頃からだったかしら。それまでと少し違うなと、初めに思ったのは……二十二年くらい前のことだったかしらね。そうね、ちょうど空の門が閉ざされた年だったから、そのくらい前ね」

 空の門とは、このエルナミューレ王国の中央都市からまっすぐ進んだところにある、とても大きな門だ。国を出るにも入るにも、この門を通らなければならない為、この国に住む人々にとっては重要なものだ。

 サラは難しい顔をしている。

「空の門、前は開いていたのですか? 今は常に閉まっていますし、私はそれが普通だと思っていました」

「サラちゃんにとってはそうよね。でもね、門は開いていたのよ。懐かしいわ」

 フランネルは昔を思い出しているのか、穏やかな笑みを浮かべ、言葉を続けた。

「その頃は、季節が感じられたわ。暑い日が続くとね、友達と水の魔法で遊んでいたわ。今は気候が安定していて、住みやすくて、それはそれで有り難いのだけどね」

「どうして、空の門は閉ざされたのでしょう」

 サラがそう尋ねると、フランネルの表情は一変する。

「人間に、空の国のことを教えた人がいたの。それはこの国の法律を破る行為。それも、最も位の高い禁止項目よ。その人はクラリス女王様の命令で追放されたわ。『ロベール・アルマン』 という名前でね。彼は、お城の騎士隊長だったわ。国を代表する騎士隊長にも関わらず、法を破るなんて許されないわ。追放されて当然なのよ」

「そのロベール・アルマンさんが、国の法律を破ったからと言って、門を閉めることに関係があるのでしょうか?」

 サラは興味津々な様子で、再度、尋ねた。

「地上に住む人間と、雲の上に住む私たちには、違いがいくつかあるわ。私たちには、背中に翼が生えている。だけども翼は、地上では隠してしまえば人間と変わらない姿になる。決定的な違いは、魔法よ。魔法が使えない地上の人間にとって、それが身近に存在する私たちを、脅威と感じる者もいれば、利用しようとする者もいるみたいでね。この国の歴史上、大昔に人間と対立したそうよ。言い伝えでは、初代女王様が人間たちの記憶を操作して、争いを収めたらしいの。初代女王様はこう言っていたと聞いたわ。『私たちには、地上に住む人間たちが必要。繋がりを絶ってはいけない』 と。その後は、人間たちに空の国のことを悟られないように、より一層、警戒を強めてきたみたい。現在のこの国の法律は、そうやって出来たものらしいわ」

 フランネルが話し終えると、サラはまたもや難しい顔をして言った。

「空の国のことが地上の人間に知られ、また争いが起こるから、空の門は閉ざされたーーっでも! 二十二年間、何もなかったんですよね?」

 食い気味なサラの姿勢に、フランネルはクスッと笑った。

「争いは起こらないわよ。二十二年間、何も起きなかったのは、今の女王様が対処されたからだもの。それでも門を閉めたのは、『万が一に備えて』 と、女王様は説明なさったわ」

「女王様はすごい方なんですね」 と、ホッと息をついたサラに、フランネルは尋ねた。

「あら、サラちゃんはお会いした事ないの? クラリス女王様は、ミレーヌ様のお子様じゃない。サラちゃんはミレーヌ様と暮らしているのだから、お城へ一緒に行ったりしないの?」

「私はお城の中へは入れませんよ。ただ、ミレーヌと一緒に暮らしているだけですから。育ててもらった、と言うべきですかね。本当に、ミレーヌには感謝しています」

 サラの言葉に笑顔で頷いたフランネルは、子供に薬をのませなきゃいけないらしく、「ミレーヌ様に、お体にお気をつけくださいと伝えておいてね」 と言い残し、お店を出た。

 サラは生まれて間もない頃に、ミレーヌに引き取られた。両親を知らないサラにとって、ミレーヌは育ての親。だが、エルナミューレ王国に住む人々にとってのミレーヌは、現女王であるクラリスの母親。もとい、元女王ミレーヌ・ロゼミュー様なのだ。

 フランネルを見送ったサラのところに、他のお客さんの対応を終えたピピがやってきた。

「今日もミレーヌに会いに来る人が多いけど、引退した後も尊敬されるミレーヌは、すごい女王様だったんだね。サラもそんな女王様になれるといいね」

「あら、私には無理よ。ピピも知っているでしょう。私の両親は、生まれたばかりの私をミレーヌに預けた。ミレーヌともクラリス女王様とも血は繋がっていないのだから、私は女王様にはなれないのよ」

 空の国・エルナミューレ王国の王位継承は、世襲制度によって定められている。歴史や法律、王としての在り方の教えなど、血の繋がりを持って代々継承されてきたのだ。

 ピピは不満そうに口をすぼめた。

「それはそうだけど……サラの魔法はすごいのに、血が繋がっていないなんて信じられないわ。ロゼミュー王家は国の中で最も魔力が高いのだから、サラもそうなんじゃないかってずっと思っていたのよ。でも、違うのならどうしてサラは色々な魔法を使いこなせるのかしら。ミレーヌと一緒に暮らしているとそうなるものなの?」

 眉をひそめ、考え込んだ様子のピピを見てサラはクスクスと笑った。

「詳しくはわからないけれど、別に良いのよ。私はこのお店をやっていたいわ」

(ここは私の家だもの。大切な人たちがいるこのお店は、私の居場所。血は繋がっていなくとも、私の家族はミレーヌとピピよ)

 すると、ピピは早くも考えることを諦めたようだ。ニヤニヤと笑みを浮かべては、今度は深いため息を吐いた。

「あーあ、サラが女王様になったら私もピピ様って呼ばれたかったのに。綺麗なドレスを着て、舞踏会へ行きたかったのに。フワッフワの毛並みに、立派な角が魅力的で、上品で優しい素敵な王子様とロマンチックな恋もしたかったのにー!」

「願望が激しいわね。それに毛並みとか角って、人なの?」

 呆れ口調で言ったサラの言葉は、ピピには届いていないようだ。

 ピピの、どこかへ飛んで行った意識を戻すように、サラは声色を変えて尋ねた。

「ねえ、ピピ。昔は空の門は開いていたって、知ってた? それと、門が閉ざされた頃から魔法のパワーが落ちていっているみたいなんだけど……空の門と魔法って、何か関係があるのかな」

「さあ、私は魔法は使えないし、さっぱり分からないわ。サラの方が詳しいでしょう。私が生まれたのも、サラの魔法だしね」

「まっ、またその話持ち出す! からかわないでよ!」

 慌てて恥ずかしがるサラに、ピピはニンマリと笑顔を見せた。

「別にからかっているわけじゃないわ。ただ、あの頃のサラは可愛かったなあと、思っているだけよ。一人で眠るのが寂しくて、オルゴールに向かってよく話しかけていたの、知っているんだから」

「はいはい、そうですね」

「それで、中で回っている羊さんに『あなたとお話ができたらいいのに』 って、願った。そしたらなんと、ジャジャーン! 可愛い可愛い雲の妖精、ピピさんの誕生!」

 ピピは両腕を高く上げ、キラキラスマイルを披露している。

 それに比べてサラは、赤く染まった頬を隠すように両手で覆った。

「もういいでしょう! 小さい頃の話よ!」


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