堕ちた女神

 

 アレクセイは苛立ちながら、横で書類仕事をしている部下を憎々しげに眺めた。素知らぬ顔をしながら仕事をしているのも非常に腹が立つ。


「……ねぇ、イザーク。オリヴィア、僕に全然会いに来ないんだけど。……どーなってんの?」


 すぐさま会いに行って囲いたいという気持ちに蓋をして。

 アレクセイは人間らしく貴族らしく手順を踏み、オリヴィアからの返事を健気に待っているのだが、返ってくる手紙はいつもつれないものばかりだった。

 体調不良が続いているそうだが、本当に体が弱いのであればすぐに住まいを城に移させて、アレクセイ直々にオリヴィアの身体をくまなく診た方が確実だ。


「報告すべきか、迷いましたが……オリヴィア様は、殿下に大層怯えているご様子だそうです」

「……はっ? オリヴィアと僕は、婚約してからまだ一度も顔を合わせてもいないんだぞ。何に怯えてるっていうんだ」


 アレクセイの細胞一つ一つ、すべてが彼女を欲しがっている。普通の人間が聞けば、愛情というには重過ぎるこの感情に恐れをなして逃げ出すのも頷ける。


「カテリーナ達の手紙によると、どうやら殿下に関わると処刑されるか幽閉されると思い込んでいるそうです」

「はぁ? なんだ、それは」


 幽閉は……たしかに、あまりにオリヴィアがアレクセイの事を拒むようであれば、城の一画に閉じ込めるプランもなくはないが、それは本当に最後の最後の手段である。


「どうやら、二人はカテリーナの指示を仰ぎ行動をしているようです。あの三人の中でも、特にカテリーナはいまだに女神の素養があまり落ちていません。彼女の予知能力の一部がなんらかの警告を発している可能性がありますが、まだ想像の域を出ません。詳しくはまた調べてご報告いたします」

「そうしてくれ。あーあ……オリヴィアの気持ちや名誉を優先して、貴族らしい手順を踏んで会わずにいたのに……僕らしくなかったな。──イザーク、ジークハルトを呼べ。アイルーゼン邸に向かうぞ。ロベルトも、どうせそこに居るだろう」


 必ず手に入れたい物は、自らりに行かないと。もたついて誰かに掠め取られるなど、許されない。


 任務の途中で呼び出されたジークハルトは初めは渋々だったが、自分の邸宅につがいであるカテリーナが訪問している事を知るやいなや、馬の手配やら外出許可やらの手続きをいち早く済ませていた。


 馬を走らせアイルーゼン公爵邸に到着すると、応接室前に懐かしい魔力の波動を感じた。


(あぁ……間違いない。これはの魔法だ)


 何度も焦がれ、求め続けた唯一の存在。元々は女神だった事や、前世だろうが今世だろうが、もう何もかも関係ない。彼女を形作るもの丸ごと全てを飲み込んで、アレクセイが貰い受ける。


 一度魔法のない世界に落ちていたせいか、全盛期に比べると魔力がだいぶ弱い。

 全盛期のオリヴィアの結界ならば、いくらアレクセイでも容易に壊せなかったからだ。

 アレクセイは敢えて自らの魔力を押し当てて、結界をバリバリに破壊した。オリヴィアが展開したであろう結界を、自分の魔力で踏み荒らすこの感覚はアレクセイに得も言われぬ快感をもたらす。


(こんなに弱くなって。これからは、僕が守ってあげなくちゃ……。彼女はもう女神じゃない、ただのか弱い女の子なんだから)


 ようやく直接見る事が出来たオリヴィアは、見事に昔見た女神の姿そのままで、許されるならばずっと見ていたいくらい美しい。

 赤銅色の艶やかな髪を腰まで伸ばし、意志の強そうな眉、凛とした碧の瞳。何もかもが昔の彼女のままだった。

 お茶会にそのまま半ば無理やり参加したアレクセイは、オリヴィアに位置特定の禁術を仕込んだ。溢れ出る魔力の一部を失うが、そんな物はどうでもいい。


 誰かによってオリヴィアが危機に陥る事ならば防ぎようがあるが、オリヴィア自ら他国へ渡ってしまえば見つける手段はほとんどなくなる。


 しかし、オリヴィアは意外にも怒り狂う事なく禁術を受け入れた。禁術について深く知らなかったのもあるが、オリヴィアは『縛りつけられる』事への抵抗が薄かった。


 このオリヴィアの気性は、アレクセイにとっては好都合だった。学園入学前の一年間もずっと親交を深め続け、学園に入学後も常にオリヴィアを優先した。


 三人が懸念していた『ヒロイン』と呼ばれていたアイリスの存在もアレクセイには何を恐れる必要があるのか疑問な程、取るに足らない存在だった。


 ロベルトもジークハルトも、それぞれの女神とより仲を深めており、何もかもが順調に進んでいく。


 オリヴィアが嫌がらない程度にスキンシップをとったり、パーティのダンスを二人きりで踊ったり、内緒で外出し街をデートしたり、普通の恋人がやる様な事をやってきた。


 しかし、あと一息という所でオリヴィアの過去がいつも邪魔をした。オリヴィアはアレクセイがどんなに肯定しようが褒め称えようが、今ひとつ自分に自信が持てないようだった。


 アレクセイの得意魔術の一つに"夢渡り"がある。他人が寝ている隙に深層心理に入り込み干渉する魔術。アレクセイはそれを使い、オリヴィアの前世を探ると彼女の異常なまでの自己評価の低さがようやく理解できた。

 オリヴィアの夢に干渉し続け、不安を根こそぎ払拭して自信を少しずつ回復させた。


 そうして三年の時をかけ、遂に永遠の時を超えてアレクセイ元へと女神が堕ちてきたのだった。

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