幕間

落ちていく夢

 


(──あぁ、また……この夢か)


 オリヴィアは高い俯瞰的な位置から、コスパの良いファミレスのひと席を見ている。


 そこには三十代半ばの男が、随分と歳の離れた若い女の肩を抱いている。若い女は向かいに座る、男と同じ三十代の女性に見せつけるように、お腹を愛おしげにさすりながら横にいる男へとしなだれかかっていた。

 今のオリヴィアとは似ても似つかないが、あの三十代の女が前世のオリヴィアなのだとなぜかわかった。その女性が自分だと認識した瞬間に、急に視点がその女性へと切り替わり今オリヴィアの目の前には被害者面した元夫とその不倫相手の女が座っている。


 何度見ても、反吐が出るような光景だ。


「本当にすまなかった……悪いのは、全て俺で……だから、彼女は悪くないんだ」


 若い娘の肩を抱きながら、前世で夫だった男が眉根を寄せて、さも自分も辛いんだという雰囲気でオリヴィアに謝罪をしている。


「そんなっ! 彼に奥様がいるのは知っていたのに、こんな事になってしまって……本当にすみませんでした」


 目を擦りながら悲劇のヒロインのように俯いているが、涙は出ていない。夫とのメッセージアプリでのやりとりから見て、こんな殊勝な事を言う女ではない事はわかっている。


(二人ともなんて白々しいの……でも、もう何もかもがどうでも良いわ)


 三文役者の演技を見せつけられたオリヴィアは、深くため息を吐いた。


「……いいよ、もう。終わった事なんだから……それに、その台詞もう聞き飽きたし」


 オリヴィアと元夫の間に子供はいなかった。五年もの結婚生活の中でレスの期間も長く、その上不倫相手に夫との間に子供が出来たのだ。

 それだけならまだしも、離婚するにあたりオリヴィアの親が遺した遺産を巡ってなぜか相続権のない夫が権利を主張して泥沼の裁判へと発展した。

 当然の如く裁判はオリヴィアが勝訴したが、数年前まで愛を誓い合っていた者との法廷でのばちばちとしたやりとりにすっかり精神が疲弊してしまい、オリヴィアは極度の人間不信に陥っていた。


(裁判に勝ちたいからって私の人間性を否定するような事を、散々弁護士に言っていたくせに……)


 オリヴィアはもはや怒りを通り越し、悲哀とやりきれなさが全身を巡る。自分をこの場に呼んだという事は少しでも遺産のおこぼれを貰おうという魂胆なんだろうか。


(この後、どうなったんだっけ……? そうそう、たしか予想通り元旦那から金の無心をされて……それで……)


「あ、いたいたっ! おーい、***!」


 オリヴィアの元夫が何かを言おうと口を開いた瞬間、この場にそぐわない美声がファミレス中に響く。前世のオリヴィアの名前を誰かが呼んでいた。


(誰……? この声は)


 ファミレスの他の客やウェイトレスが、みんなオリヴィアの名前を呼んでいる男に釘付けになっている。

 それはそうだ。日本の小さなファミレスに突如として異国の王子のような美しい青年が現れたのだから。


「やっと見つけたっ! ***、急にいなくなるから心配したよ」


 青年は金髪に鮮やかな茜色の瞳を持ち、スリーピースの濃紺のスーツを着ている。スラリとした長い脚にイタリア製の高級靴を履いて、腕にはおそらく数百万はする腕時計を身につけているが決して下品ではなく海外のモデルのようだ。


(私、この人知ってる……でも、そんなはずない。だって……だって、彼は……)


「菊川にキャンセル出たから、今日行こう! フグ刺しでいいかな? 今日は僕達が付き合って二ヶ月の記念日だから、是非僕にお祝いさせて欲しい」


 ニコニコ、キラキラと笑顔が眩しい。しかも菊川のフグ刺しといえば、予約半年待ちの高級料亭だ。


「……***、この男だれ? ちょっと君さ、今大事な話してるんだけど」


 元旦那が珍しく声を荒げて苛立ちを露わにした。こんな超絶美形が隣にいたら、元旦那のコンプレックスは刺激されまくりなんだろう。不倫女も、彼にうっとりと見惚れている。

 男はキラキラの笑顔を一転させて、オリヴィアの元夫を冷たく睥睨する。オリヴィアを甘く見つめていた人と同じ人物とは思えないほど、恐ろしく冷めた目だった。


「……あんたこそ、誰なの? 僕は***の恋人だけど……気安く連れ回さないでくれるかな?」



 美形から放たれる冷たい波動は容赦がない。彼はオリヴィアを軽く抱きしめて、独占欲丸出しに元夫に苛立ちを露わにした。


「はっ?! 恋人だってっ?!」


 夢の中特有のふわふわした感覚に支配されてうまく思考がまとまらない。しかし、彼に抱かれている肩は確かに温かく裏切りに傷付いた心が癒やされていく。オリヴィアが照れ臭くなり、彼を見上げると蕩けるような甘い笑顔を向けてくれていて、何だか擽ったい気持ちになった。


「***……俺がいるのに、まさかこいつと……」


 オリヴィアはこれが夢とは言え、呆れてものが言えなかった。元夫はそういえばこういう奴だった。都合の悪い時は誰かのせいで、おいしい所は全部自分でもっていくようなクズのような男だった。


 改めてオリヴィアが元夫について失望していると、隣から凄まじい怒りのオーラが放たれた。


「彼女とお前を一緒にするな。彼女は、お前に別れを切り出されてからずっと塞ぎ込んでいたんだ。そんな彼女を見ていられなくて、僕から何度も何度も求愛してやっと受け入れて貰ったんだ。お前のその節操のない下半身にこの娘は勿体ない。早くどっかいけ、目障りだ」


(これって、夢なのかな? 凄く嬉しい……あぁ、私……泣いてる)


 元夫達がいつの間にか去り、二人きりになった空間で、彼はとても優しい茜色の目を細めてオリヴィアを優しく見ていた。


「君が誰かに否定されても、僕が何度でも肯定してあげるよ。君が誰かに傷付けられるたびに、その傷を見つけて癒してあげる。だから僕の所に」


 ──堕ちておいで。


 いつも最後の言葉だけ、オリヴィアの耳に届かず、闇に溶けていくのだった。


 ♦︎♦︎♦︎


 オリヴィアはその後、同じ夢を何度も何度も見る様になった。

 その夢の中では、オリヴィアのピンチの時には必ず王子様が助けに来てくれた。

 起きた後はあまり夢の内容は思い出せないが、悪夢にうなされて起きることもなくなり、多幸感からオリヴィアはよく眠れるようになった。


 現実世界でも、アレクセイは他の人には目もくれず、オリヴィアだけをドロドロに甘やかした。


 夢に引っ張られるかの様にオリヴィアはダメだとわかっていながら、アレクセイに惹かれていく。


(──もう強制力とか関係ない。私、アレクが好きなんだ)


 オリヴィアが自覚した頃には、あれだけ懸念していた学園生活はすでに終わろうとしていた。

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