懇願

 


 オリヴィアはなんだか無性に腹が立ってきた。優雅な雰囲気で、呑気にお茶を飲んでいるアレクセイを見ていると『コイツのせいで、平安な日常が壊されるのか』という理不尽さにいい加減に嫌気がさしてくる。


 オリヴィアは勢いに任せて、少し突っ込んだ内容も聞いてみる事にした。


「イザーク様は、何故私達が話している遥か東国の語学がわかるのですか?」

「イザークは"トランスレーション"の福音を持っているんだよ。便利だろう?」


(トランスレーション……つまりは翻訳ね)


 オリヴィアはカテリーナを横目で見ると、彼女も知らなかったのか両手を上げてブンブンと頭を振っている。


「カテリーナが知らなくて当然だ。福音は本来なら重要な国家機密だからね。福音欲しさに血が濃くなる事を防ぐためにも、数代前に情報は全て秘匿情報にしてあるんだ。教団は聖光気を重視していて、福音についての情報はとっくに廃れてしまってるみたいだけど」


 オリヴィアはこの説明を聞いてひどく納得した。イザークの福音を見る限りでもその能力は絶大だ。異世界の言葉すら福音の前では暗号の意味をなさない。そして、それと共に一抹の不安がよぎる。


(そんな重要な情報……この場で話してもいいのかしら?確かに防音と侵入不可魔法はかけ直したけど……)


 オリヴィアがアレクセイを伺い見ると、彼はオリヴィアをずっと見つめていたようで、ばっちりと目が合う。アレクセイからの、その熱すぎる視線に居心地が悪くなり、オリヴィアはすぐに視線を逸らした。


「ねぇ、イザーク。オリヴィアが不安そうな顔をしてるよ? 君の能力の事、みんなに話したらまずかったのかなぁ?」


 アレクセイは、わざとらしくイザークへと質問を投げかけた。


「いえ。まさかと思いますが、愛国心なく他国に渡ろうとする不届き者がこの中に万が一にでもいるならばいざ知らず……ここに居るのは、我が君であらせられるアレクセイ様を支える臣下しかおりません。伝わるのが遅いか早いかの違いですので、何も問題ありません」


 イザークのアレクセイに対する忠誠心は相当なものだ。オリヴィアはここにきてようやく、彼らをお茶に招いた事が大失敗だという事実に行き着いた。


「あっ! 因みにもう逃げようとしても、さっき君の目に位置特定の魔術施したから、何処にいても僕にはわかるからね。地の果てまで追いかけるから」

「……はっ?」

「僕だけじゃなくて、ロベルトもジークも何かしら婚約者に対して施してると思うよ。まぁ、僕みたいに他人の体の一部に許可なく術を埋め込む事は出来ないからね。大抵は魔石に術式を込めて相手に渡すんだよ」


 ミレイユとカテリーナも寝耳に水だったのか、心当たりのある贈られた宝飾品を外そうとしているが全く外れていない。

 アレクセイは令嬢二人が焦りながら宝飾品を外そうとしているのが面白いのか、くすくす笑いながらそれを眺めている。


「普通は術式を込めた魔石を外せない様にするなんて出来ないんだけど、それを可能にする情報と交換でジークとロベルトには色々便宜を図って貰ってるんだ。でもあるしね」


 オリヴィア達三人は開いた口が塞がらなかった。今すぐ三人だけで作戦会議を開きたいのだが、何だか見えない檻に入れられている様な、掌で転がされてる様な気になって対策するだけ無駄な気がする。


「──殿下。位置情報の魔術を本人に無断で体に直接刻むなど……禁術ですよ」


 イザークが咎める様にアレクセイを詰ったが、こちらを助ける様子はまったくない。


「えー、だって絶対逃したくないじゃない。何だか国外逃亡がどうとか考えてるみたいだし……閉じ込めちゃおうかな」


 余りにも軽い調子で言うのでつい聞き流しそうになったが、それって幽閉ルートなんじゃ……とオリヴィアは身を竦ませた。


 オリヴィアが怯えからアレクセイと距離を取ろうとした瞬間、いつの間にか目の前に詰めてきていたアレクセイはおもむろにオリヴィアの両手を持ち、安心させる様に囁いた。


「大丈夫だよ。君が僕から逃げようとしない限り閉じ込めたりはしない。やっと会えたんだもの。君の色んな顔を僕に見せて欲しいな」


 茜色に囚われて、気付けばオリヴィアは壊れた人形かの様にカクカク頷いていた。そんなオリヴィアを楽しそうに見つめて、アレクセイは更に言葉を紡ぐ。


「そしてね。君の気持ちが少しでも僕に向いてくれたその時は、僕にもぜひ教えて欲しい。勿論、君に好いて貰えるように僕も最大限の努力は惜しまないし、君が不安に思う物は全て僕が取り払うから……お願い」


 アレクセイが何故こんな泣きそうな声で懇願してくるのか、オリヴィアにはわからなかった。

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