ヒロインの名前

 

 ジークハルトの前から逃げ出した後、魔石に魔力を流し二人を呼び寄せた。

 頭の中はひどく混乱していてまとまらなかったが、あの少女がヒロインなのだという事をカテリーナはなぜか確信していた。

 自身にまとわりついていた聖光気は、走っている最中にいつの間にか霧散していた。


 想定していた集合時間よりもだいぶ早くに待ち合わせ場所へ三人は集まる。

 いつもの明るく快活なカテリーナと違い、前世の記憶に引っ張られた彼女の雰囲気はただならぬ様子で、ミレイユとオリヴィアは困惑以上に心配した。


 そんな二人に申し訳なく思いつつも、前世の事情はとてもじゃないが話す気になれず、破落戸に絡まれた事とジークハルトに遭遇したことのみを簡単に説明した。

 カテリーナの顔色があまりに悪く、説明以上の何かがあったのだろうと二人は察したが深追いはせずに「何か頼りたい時はすぐに相談してほしい」と言われ、不覚にもカテリーナは泣きそうになったのだった。


 ♦︎♦︎♦︎


 そして、カテリーナはあの散策の日から五日経っても、いまだに一人で大反省会をしていた。


(……まさか、あれってジークと彼女の出会いイベントだった? えっ? という事は、ヒロインに助けられる少年って私の事だったの?)


 オリヴィアとの手紙には"この数日間、ジークハルトがなにかとしつこく話をしたがっているがうまく避けている"と書いてあった。


(成る程、妹ならば上手に躱せるのか……)


 恐らくオリヴィアのスペックと要領の良さがそれを可能にしているのだろう。


 しかし、婚約者となれば相手が会いたいと言えば会わなければならない。それが、自分よりも上位の身分からの人物ならば尚更だ。


 カテリーナは、ジークハルトからの顔合わせを理由を色々つけて何日も先延ばしにしていたのだが、なんとジークハルトはカテリーナが苦手としている兄イザークを通じて次に会える日を指定してきたのだ。


 もう、ジークハルトから逃げる事は不可能だった。


 ♦︎♦︎♦︎


「さて、説明してもらおうか。カテリーナ嬢」


 いくらまだ十四歳といえど、密室で男女二人だけで話すのはあり得ないので、外の東屋を使う事になった。カテリーナから何も言わなくても、ジークハルトは公爵家から事前に防音の魔法道具を借りてきていた。


「えっと……何のお話でしょう?」


 カテリーナは取り敢えずすっとぼけてみたが、ジークハルトの目が細められ射る様な視線がとても痛い。


「……まぁ、素直に話すとも思っていないからな。まずは俺の情報話す。それを聞いて、もし話せそうなら話してほしい」


 ジークハルトいわく、カテリーナが残した聖光気の残滓はあそこに居た少女に濃く残っていた為、カテリーナが走り去った後に彼女が教会に連れて行かれた事。

 しかし、結局彼女の発したものではないとわかり解放された事。


「……まだこの話には続きがあるんだが」


 そう続けたジークハルトは、なんとも言えない複雑な顔をしていた。


 何と彼はその二日後に似たような状況に遭遇し、そこにはあの少女がいたそうだ。

 彼女は今度はちゃんと自分の聖光気を発動したという。


 カテリーナは頷きながら話を聞いていた。教会から聖女の認定を受け魔力検査をされれば、じきにこの屋敷にあの少女がくるのだろう。

 そこまで考えて、ふと「そういえばジークはヒロインを見てどう思ったのだろう」と気になった。彼女とジークハルトがもし運命的なものを感じたのであれば、今この場で婚約破棄について話し合っておくのも大事だ。


「ジークハルト様は……あの……彼女を見て、何か感じませんでしたか?」


 ジークハルトは、一瞬何を言われたのかよくわからないと言った雰囲気だった。


「ん? ……あぁ、なんか色々話しかけられたけど。カテリーナの方が気になって、たいして話聞いていなかったな」


 ジークハルトはなんの衒いもなくカテリーナに微笑んだ。あまりに真っ直ぐな言葉にカテリーナの顔が赤くなる。


「……すまない、何か重要な事だったか?」

「い、いえ。そうではないんですが……」


 攻略対象が、ヒロインに対してこんな塩対応でいいのだろうかと不安になる。


「因みに彼女の名前聞いてきたぞ」

「えっ!!! ジークハルト様、是非教えてくださいませ」


 わかりやすく反応を示したカテリーナを見て、ジークハルトは吹き出すように笑った。


(あ、ジークの笑顔かわいい。好き……)


「彼女の名前はアイリスというそうだ。近くの孤児院の子供らしい。……それで、俺の出せる情報はここまでだけど、カテリーナの事情は教えて貰えるのかな?」


 まるで大人の男のように物腰柔らかく聞いてくれるジークハルトにカテリーナは困惑する。


(ジークって、全然脳筋じゃない……っ!)


 思慮深く相手を気遣い、身分を笠に着て命令したりしない。

 人格者であるジークハルトならばきっと信じてくれると考えたカテリーナは、素直に打ち明ける事にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る