生命の危機

 

 急に押しかけてきたミレイユに対して嫌な顔ひとつする事なく、アローズ夫人はミレイユを暖かく迎え入れてくれた。

 少し困惑しつつも夫人の心遣いに嬉しくなり、ミレイユはそのままディナーの招待もちゃっかりとうけ、ご馳走になる事になった。


 夫人はにこにことミレイユに気さくに話しかけ、とても楽しそうだ。

 夫人は"いつも無口な旦那と息子が相手だから、女の子と話すととても楽しい"と、ころころと笑いながら話してくれる。


 ミレイユは失礼ながら"何故、この母君からあの息子が育つのか……"と本気で考えていた。


 ロベルトは特に気を害した風もなく、そのまま無言で食事を進めている。食事の所作一つ一つも美しく洗練されており、彼自身がまるで絵画の様だ。


 そして、食事の最中に夫人が時折苦しそうにお腹を押さえているのが気にかかる。

 お腹はだいぶ大きく、一目でもう直ぐ臨月近いのだなと分かる程だ。来週から正式に臨月は入るらしく、ミレイユはとんでもないドタバタな時に来てしまったのだなと猛省した。


 夕食も食べ終わり、各自部屋に戻る前に話の流れでミレイユは夫人のお腹を触らせてもらえる事になった。

 締め付けの無いドレスの上からさすさすしてると、遠い記憶の彼方に生まれたばかりの赤子の愛らしさを思い出して、思わず笑顔になる。


「ここに赤ちゃんがいらっしゃるのですね……不思議ですわ。……あら? 奥様、お腹が少し張ってらっしゃいますね」


 ドレスの上からでも分かるほど、夫人のお腹はかちかちに硬くなっていた。


「え? えぇ……なんだか、今日は起きた時からお腹が変で。でも、まだ予定日までだいぶあるし、誰にも言っていなかったのだけど……良くわかったわねぇ」


 ミレイユは前世の記憶はほとんど鮮明ではない事が多いが、なぜか出産の痛みだけは覚えている。あれほど、生と死を同時に感じる瞬間もそうない。


「本日無理やり押しかけた私が言えることではありませんが、無理はしないでくださいませね。少しでも不調があれば誰かに言ってください」

「まぁっ! ふふっ、そうするわね」


 夫人は嬉しそうに笑ってくれた。和やかなやりとりのあと目線を上げるとロベルトと目が合った。彼の本心を見抜く能力のないミレイユにはロベルトがとても冷ややかな目で見ているようにしか見えず、慌てて視線を逸らしたのだった。


 ♦︎♦︎♦︎


 その日の深夜。


 雨はますます激しさを増して、窓ガラスを叩きつけている。それとは別の喧騒が、部屋の外から漏れてきた。


 枕が変わり眠りが浅かったミレイユは、寝巻きの上にローブを羽織って部屋の外に出た。

 メイド数名がバタバタと忙しそうにしていたので、一体どうしたのか聞くと何と夫人が産気づいたそうだ。


 一番近い街から小さい橋を一つ越えて、ここまで馬で約一時間。魔素の影響で医師宛に伝達魔法を使えない為、馬で迎えに行ってこちらへ医師が到着すのは、どんなに急いでも二時間以上は掛かる。


 ましてやこの天気だ。倍はかかると見ていいだろう。


 執事の的確な指示により、従僕に馬を走らせ医師を呼びに行かせているらしい。家庭のある使用人は、夕方に皆街へ帰していた為、今いるのは年若いメイド数人と年老いた執事、あとはロベルトとミレイユだけだった。


 自分に何ができるかわからないが、人手は多い方がいいだろうと判断し"馬の出産に携わったことがある"と嘘をつき、アローズ夫人の部屋へと入れて貰った。


 夫人の側にはすでにロベルトがおり、先程の大人顔負けの態度が嘘のように十二歳の少年の顔をして母親を心配していた。


 最初は『客人に手伝わせる訳には……』と、遠慮していた人達を半ば強引に説き伏せ、ミレイユは夫人の額に滲む汗を拭いたり、水をあげたり忙しなく動いていた。

 そんな中、医師を呼びに行かせた従僕が想像よりもとても早く帰ってきた。


 従僕、一人で。


 聞けば、街に繋がる小さい橋はこの雨のせいで完全に川の流れに飲まれていたらしい。完全に流されていないのは不幸中の幸いだが、部屋内に絶望感が漂う。


 皆が呆然として従僕からの情報を聞いている最中に、なんと夫人が破水をしてしまったのだった。

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