ミレイユの奮闘記

紺碧と青の邂逅

 

 ミレイユは今、自分の未来の婚約者宛に手紙を認めている。


 普段はおっとりとして行動力のあまり無いミレイユを突き動かすのは、単純に死に対しての恐怖。焦りの要因は、あのお茶会から五日後、遂に王太子アレクセイの婚約者がオリヴィアへと正式に決まった事だった。


 カテリーナの話を信じていないわけではなかったが、乙女ゲームの存在や異世界転生の事など何も知らないミレイユにとって、この事態は寝耳に水。俄かには信じ難い話だった。


 しかし、カテリーナの言う通りにどんどん進んでいく現状を見て、ミレイユはどうしてもいても立っても居られなくなったのだ。

 そこで、まだ正式ではないものの婚約者として確定しているロベルト・アローズへと先触れを出して、なんとか正式な婚約に至る前に未然に取り下げてもらえないかを打診しにいくつもりだった。


 本来なら一週間後の予定だった顔合わせを、二日後の昼過ぎに無理やり取り付けたのだった。


 ♦︎♦︎♦︎


 そろそろ四の鐘(大体午後3時)が鳴る時間。


 ロベルトからの返事はひどく端的で"この時間しかスケジュールは空いていない"と書かれていた。ミレイユは少し日は傾いているものの、夏で日照時間も長いので大丈夫だろうと思い、馬車で伺う事にした。


 ロベルトとの顔合わせは、街から大分離れた空気のいい侯爵家の別邸で行われる事となった。

 何でもロベルトの母親であるアローズ夫人が妊娠中で、臨月までは夫人のお気に入りの空気の良い別邸で過ごし、来週にはかかりつけ医の近くに移るという。

 上位貴族の邸宅には必ず用意されている街への転移陣もここには用意されていないらしく、殆どが近くの街からの通いの使用人らしい。


 そしてミレイユは、目の前で居丈高に足を組み、こちらを睥睨している少年に視線をうつす。


 濃紺のサラサラな髪はサイドできっちり固めてあり、美しく整った眉は顰められ、紺碧の瞳は不可解なものを見るように目の前のミレイユを見つめていた。

 まだ子供らしい幼さは残るものの、その自信に溢れた威風堂々さは、さすが攻略対象と言わざるを得ない。

 ミレイユの前世の孫と数歳しか違わないはずなのに、この威圧感は一体なんなのか……


「はぁ……、それで? つまりは、ミレイユ嬢はアローズ侯爵家から、婚約打診の取り下げをして欲しいとおっしゃってるのですか?」


 ミレイユが益体もない考えてボーッとしていると、突然のロベルトの冷たい声の調子に"ピャッ"と肩を震わせ萎縮してしまう。


「別に、こちらとしては婚約者など誰でも同じですし構わないんですけど、グラン卿はこの事はご存知なのですか? 流石に理由も言えないとなると僕は難しいと思いますよ」

「そ、それは……えーと。あの、まだ……父には言っていないのですが………」


 しどろもどろで歯切れ悪く答えるミレイユに、ロベルトはもはや呆れを通り越して"コイツ頭大丈夫か?"という憐憫が混じる雰囲気になっている。


「はぁ……。まぁ、どちらにしても僕の父も今王都から少し離れた場所に居まして来週にならないと戻らないので、今はお返事は出来かねるんですがね。僕もミレイユ嬢の負担になる様な婚約を推し進めるのはあまり気乗りしないですし、父にもそう進言しておきましょう」

「まぁっ! 本当ですの?」


 ミレイユの顔に喜色が浮かんだのを見て、ロベルトは自分から提案したとはいえ複雑な気持ちになる。まるで好いていない相手に交際を断られたような、そんな気持ちにさせられていた。


(なんか……面白くないな)


 ロベルトとしては婚約者など誰でも構わないと思っていた。だが、理由を言わずにここまで自分を拒絶してくるミレイユに対して逆に興味が湧いてしまう。大人間では、わざと好意を寄せる相手に素気無い態度を取り、気をひく手管があると聞くが、ミレイユにそんな器用さは微塵もなさそうだ。


(僕の、一体何が気に入らないっていうんだ……)


 それまで薄ぼんやりとしかミレイユを認識していなかったロベルトは、そこでやっと"ミレイユ"という一個人を観察する事にした。


 見た目は……たしかに可愛い。むしろ、天使と言われても信じてしまうほど可憐だった。

 白くキメの細やかな肌に、野いちごの様な赤い唇。緩く巻かれたプラチナブランドを腰まで伸ばし、烟るように生えるまつ毛。全体的に非常に整った顔立ちは、成長と共にどんどん磨かれていくのだろう。

 そして、なんと言っても魔力量を表す青い瞳の力強さ。自分の紺碧の瞳との相性もきっと悪く無いはずだ。話した声も美しく、本来のおっとりとした性格ゆえに所作が割合遅いのが唯一気にかかるが、貴族らしく優雅に見えなくも無い。

 貴族の子供にしては表情豊かで、感情の乏しいロベルトにとってはひどく魅力的に映った。


 驚いた事に、ロベルトにとってミレイユは超絶タイプの少女だった。今更ながら婚約破談について話が流れてしまった事を後悔しそうになった……ので、緩く繋ぎ止めておく事にした。


「……とはいえ、既に家同士で交わされた縁組ですので、僕から父に申し上げたところで変わるとは思えません。そこは悪しからず」

「は……はい」


 ロベルトがそんな事を考えているとは露知らず。ミレイユは直情的な自分を恥じていた。


(それは、そうよね……ここへ早めに来たからといって子供の意見なんてあってないようなものだもの。私の馬鹿)


 ミレイユが落胆し、退室のお伺いを立てようとした瞬間。


 外からバーーーンッ!!!というけたたましい雷鳴が轟き、雨音が一気に激しくなった。


 夏のこの時期は"龍の通り雨"と言う山からの魔素と海からの魔素がぶつかり合い数時間に渡って激しい雨と雷が降り注ぐ。

 天気云々ではないので予測が難しく、魔素の影響で魔法の効きも悪くなる。こうなっては大人しくしているしかない。


 暫く気まずい空気が室内から流れて、最初に口を開いたのはロベルトだった。


「……今日は客室をお貸ししますので、どうぞそちらでお休みください。使用人も何人か残しますので、何かご入用があればその者に言ってください」


 ここへくる前に家人にアローズ邸に向かう事は伝えてあるので心配はされないだろう。むしろ"龍の通り雨"の中を帰る方が怒られそうだ。


 貸して貰った部屋へと入り大きな窓を見ていると、外はもう景色が確認出来ないほどの雨が降っており、時折稲光も走っている。


 (こんなはずでは……っ!)


 ミレイユは一人、部屋の中でため息を吐くのだった。

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