第23話 金河 誠児③
俺は迫ってきた夜光の拳を空いているもう片方の手で受け止めた。
その1発だけで、彼が格闘技経験者だと言うことはわかった。
「これでも俺は元高校ボクシングのチャンピオンだ。
これくらいはなんでもない」
「ほ~そりゃすごいな・・・ふっ」
「うっ!・・・あぐっ!」
夜光は口に咥えていたタバコを俺の顔に吹き飛ばし、
俺は思わずひるんで手を離してしまい、夜光の拳を顔でもろに受けてしまった。
まあそれほど重くはないから、倒れはしなかったけどね。
「だったらこれくらいのハンデは良いよな? チャンピオン様」
「好きにしろ・・・だが謝罪はしてもらう」
俺は玄関の前に立ちふさがり、夜光が部屋から出る障害となった。
「どけよ・・・」
「断る・・・通りたいなら、力づくでやればいい」
「てめぇ・・・なめてるとマジで殺すぞ!!」
夜光は再び拳を放ってきた。
それは先程の軽い拳ではなく、本気で相手をねじ伏せるためのものだ。
俺目線でもなかなかの威力だと思う。
相手が素人やそこらのチンピラなら、簡単に黙らせることができるだろうな。
だけど、ボクシングで動体視力を鍛えた俺相手じゃ、話は別だ。
腰の入った拳だが、動きが素人の域を超えていない。
そんな攻撃じゃ、受けるのも避けるのも難しくはない。
まあ、ブランクがある分、高校時代のような動きはできないけどね。
※※※
「このぉぉぉ!!」
「!!!」
攻撃が通用しないことを理解し始めた夜光は徐々に余裕を失っていき、冷や汗すら流すようになっていった。
蹴りも加えてきたが、俺はこれも難なく回避できた。
「あがっ!」
夜光は勢いよく俺に殴り掛かってきたが、俺は当たる寸前でかわした。
勢いあまり夜光は下駄箱に頭から激突し、そこに置いてあった靴等が散乱してしまった。
「夜光・・・もう気は済んだだろ?」
俺は夜光に歩み寄り、再度説得を試みる。
「あぁ・・・そうだ・・・なっ!!」
「あぐっ!!」
次の瞬間、俺は頭部に尋常じゃない痛みを感じた。
俺は思わず床に腰を付き、痛む頭を手で押さえた。
ぼんやりとしてしまった意識がはっきりすると、目の前にいる夜光が木製のバットを構えていた。
おそらく先ほど散乱したものの中にあったんだろう。
野球用か防犯用か、それはわからないが、現状では最悪のアイテムに違いはない。
金属製よりかは殺傷能力は低いが、それでも危険なことに変わりはない。
「おっお前・・・」
さすがの俺でも、武器を持った相手に素手で挑むのはきつい。
しかもすでに一撃喰らって頭部から出血もしている。
夜光の怪力も加わっている分、素人が振り回すものより怖い。
だがそんなことはどうでもいい!!
「この・・・バカ野郎!!」
「おぐっ!!」
俺は感情のまま、夜光の腹部に本気の拳を打ち込んだ。
ルール無用の喧嘩とは言え、凶器になりえる武器を使う夜光の異常な思考に、怒りと恐怖を覚えた。
できれば拳を交えずにいようと思っていたが、もはやそうも言っていられない。
「くっ!!・・・てってめぇぇぇ!!」
夜光は腹部を抑えつつも踏ん張って倒れなかった。
素人なら気絶するレベルの一撃だと言うのに、意識を保つ夜光の精神力に俺は恐れを感じた。
「死ねや! オラァァァ!!」
夜光はバットを振りかざし、再び俺の頭部目掛けて振り下ろした。
「あぐっ!!」
俺は紙一重で回避し、頭部への直撃は免れることができた。
だが、まださっきのダメージで感覚が鈍っているらしく、俺は左肩を強打してしまった。
俺はそのまま倒れてしまい、夜光は攻撃を続ける。
「どうした!? でかいのは口だけか!? 雑魚が!!」
俺はバット攻撃を避けきれず、本能的に背中で受け止めた。
だが、背中にも尋常ではない痛みは広がってしまった。
もしかしたら、どこかしら骨にヒビが入ったのかもしれない。
・・・でもわからない。
あんなに優しかった夜光がどうしてこんなに簡単に人を傷つけることができるんだ?
どうして自分が悪いことをしていると自覚できないんだ?
一体何が夜光をこんなに変えてしまったんだ?
俺にはわからない・・・。
そんな俺に残された選択肢は2つ。
我が身可愛さに夜光を見捨てて逃げるか・・・たとえ死んでも夜光を止めるか・・・。
そんなの・・・考えるまでもないか・・・。
「うぉぉぉ!!」
「ぬおっ!」
俺は全身にムチ打って夜光の腰にしがみつき、タックルの要領で押し出した。
俺達はそのまま夜光の後方の一室のドアをぶち破り、中のタンスに夜光の体をぶつけてやった。
その衝撃でタンスの中の物は散乱し、夜光もバットを手放した。
俺はそのまま夜光に馬乗りになり、渾身の力を右の拳に込め、夜光の顔に数発撃ちこんだ。
こんなのはただの暴力であることは重々承知している。
だけど、夜光は言葉だけじゃ止まらない。
そんな気がしてならないんだ。
「ごほっ!」
その途中、俺は全身の痛みに耐えかね、夜光の上から転がるように床に倒れてしまった。
「・・・ん? これって・・・」
倒れた俺の横目に、床に落ちている小さなケースが映った。
ケースは先程のやり合いでどこからか落ちたようで、中身が床にぶちまけられている。
それは、小さな注射器と小さな袋に入った白い粉だった。
「お前・・・これまさか・・・」
世間にうとい俺でもこのセットが連想させるものを頭に描く想像力はあった。
夜光は俺が手に取った白い粉の入った袋を見ると、焦りが見え始めた。
「かっ返せ!!」
まるで命を半分奪わらたかのように、切羽詰まった夜光が袋を取り返そうと迫ってきた。
口にしなくても、これはなんなのかはすでにその態度は示していた。
間違いなくこれは違法薬物だ。
それなら平然とバットを振り回す夜光の異常な思考も薬物の副作用だと考えられる。
だが、夜光が理由もなくこんなものに手を出したとは思えない。
「夜光! 本当にどうしてしまったんだ!?
お前はこんなものにすがるような人間なのか!?」
「何も知らねぇくせに、知った風なことを言うな!!」
「あぁ!! 知らねぇよ1! 俺はお前じゃないからな!!
お前の口から聞かないと何もわからないんだ!!
だから話してくれ!!」
「黙れ!! お前に話すことなんぞない!!」
「くっ!」
夜光は俺から袋を取り返そうと床に落ちているバットを拾うとするが、
俺の手がわずか先に届き、バットを掴むことができた。
「あぐっ!」
バットを奪うことはできたものの、無理に動き過ぎたせいか、体中の痛みがさらに増してしまった。
頭部のダメージもひどいようで、意識が少しぼんやりとしてきた。
ちょっとでも気を抜けば気を失ってしまうかもしれない・・・。
いやダメだ!!
ここで気を失えば・・・夜光はもう取り返しのつかないところにまでいってしまう。
俺にはそんな気がしていた。
そしてその考えが、今の俺を奮い立たせていた。
「ハァ・・・ハァ・・・夜光・・・いい加減にしろよ?
これ以上やり合うなら、俺はもう容赦しない!!」
なんて強がってはみたが、実際俺には後がない。
体中にダメージを負った今の状態では、夜光とこれ以上やり合うのは無理だ。
夜光の方も今までの俺の攻撃は効いているようで、腹部を抑えながら息を荒立てている。
顔もさっき本気でボコったせいで血まみれだ。
まあ俺も多分、人の事をとやかく言える顔じゃないと思うがな。
「返しやがれ・・・このゴミ野郎・・・」
俺が握っている薬物を取り返そうと、夜光は1歩1歩近づいてくる。
俺は正直立っているのがやっとだ。
反撃することも避けることも厳しい。
夜光がぶち破ったドアを背にしているため、部屋から出ることもできない。
どうすれば良いか試行錯誤していたその時だった!!
グサッ!!
「あがっ!!」
それは・・・ほんの一瞬の出来事だった。
夜光は背後から走ってきた夕華さんに背中をタックルされた。
その手には・・・赤く彩られた包丁が握られていた。
夜光の背中を突き刺したその刃を、彼女は勢いよく引き抜いた。
「ゆ・・・うか・・・」
夜光はその場で倒れ、背中から流れる大量の血が床一面に広がる。
部屋中に鼻を塞ぎたくなるくらいの血なまぐさい臭いが充満した。
医者ではないが、夜光の傷が重傷なのはわかる。
夜光の顔からは一気に血の気が失せ、まるで悪魔を見るような怯えた顔で夕華さんの顔を見ていた。
「・・・」
まるで魂が抜け出た人形のように虚ろな夕華さんの目からは一筋の涙が流れていた。
手に握られた包丁からはポタポタと血がまるで大粒の涙のようにひたたり落ちる。
俺は思考が停止し、今何が起きているのかわからず、その場から動けなかった。
「・・・信じてた」
「は?・・・」
「夜光は私を愛してるって・・・心から信じてた・・・だから今までずっと尽くしてきた・・・なのに・・・あんまりだよ・・・」
夕華さんは手に持った包丁を逆手に持ち直し、倒れた夜光に刃先を向ける。
この時ようやく、俺は夕華さんが夜光を殺そうとしていることを理解できた。
「夕華・・・やっやめろ・・・やめろ・・・」
「うわぁぁぁ!!」
夜光の言葉に耳を傾けることなく、彼女は包丁を振り下ろした。
「やめろぉぉぉ!!」
俺はバットと薬物を放り投げ、無我夢中で2人の間に飛び込んだ。
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