第24話 時橋 夕華④
どうして?・・・。
夜光に払い飛ばされ、床に倒れた私の頭の中に、その言葉が何度も浮かんでは消えて行った。
そのたびに胸が張り裂けるように痛む。
私にとって、夜光はこの世で最も大きな心の拠り所。
素直になれなかったばかりにたくさん傷つけた私のことを、彼は愛してくれた。
心の底から嬉しかった・・・。
彼に私の一生を捧げようと本気で思っていた。
・・・だけど、彼は私の事なんて愛していなかった。
私の気持ちを利用して生活していただけ・・・そして、かつて私を捨てたあの男みたいに、私の心を裏切った。
それだけでも狂いそうになるくらいつらいけど、彼が私の恥ずかしい写真で私を脅迫しようとまで考えていたこともすっごくつらかった。
始めて気持ちを伝えた時、私が夜光を守るって誓ったのに・・・彼はその誓いすらも信じてくれていなかったんだ。
愛も・・・信頼も・・・最初から私達の間には何もなかったの?
10年以上も一緒にいたのに・・・?
私は夜光の心を長い間傷つけてしまった。
それは謝っても決して許されることじゃない。
だから奴隷みたいに扱われても、それは仕方ないことだって思っていた。
私以外の女に走ったのも、彼を満足させられなかった私のせいでもある。
そのことについて、今更とやかく言う気はない。
でも・・・彼が私への愛情を偽っていたことだけは許せなかった。
愛がないならないで、私は身を引く覚悟はできてた。
そうなったとしても、最低限の生活費は援助する気はだった。
でも夜光は・・・私に最大限の奉仕をさせるために、”愛してる”と私にささやいた。
彼にはその言葉の重みがわかっていない。
それは決して軽はずみに言って良い言葉じゃない・・・。
まして・・・嘘で言って良い言葉では絶対にない!!
※※※
私の中で、どす黒い何かが生まれた。
私はゆっくり起き上がると、キッチンから包丁を手に取り、夜光の部屋に足を進める。
そこでは、夜光に謝罪させようとする金河さんが争っている。
その気持ちは嬉しいけど、謝罪だけじゃもうこの気持ちを静めることはできない。
今夜光は、金河さんと向き合ってこちらに背を向けている。
ちょっと前までたくましく思えていた彼の背中が、今はただただ憎々しく見える。
ドタドタ・・・グサッ!!
私は包丁を構え、飛び込むように駆け出し、夜光の背中に包丁の刃を突き刺した。
「あがっ!」
刃先は夜光の背中に深く入り込み、体内の血を一気に吸い込んだ。
私が包丁を引き抜くと、夜光の背中から血が噴き出し、彼はその場で倒れた。
「あ・・・あ・・・」
完全に殺すつもりで刺したんだけど、夜光は死ななかった。
背中の傷から血がだらだら流れているから、重傷に違いはないけど。
「ゆ・・・うか・・・」
夜光は子犬のように怯えた目で私を見上げた。
そんな目を見たのは家族みんなと暮らしていたあの頃以来だ。
でもね、今更そんな目をしたもダメ。
あなたは私にとって・・・女にとって・・・1番言ってはいけない嘘を言ってしまった。
だからあなたは罰を受けないといけない。
「・・・信じてた」
「は?・・・」
「夜光は私を愛してるって・・・心から信じてた・・・だから今までずっと尽くしてきた・・・なのに・・・あんまりだよ・・・」
私は包丁を逆手に持ち替え、夜光の刃先を向ける。
「夕華・・・やっやめろ・・・やめろ・・・」
「うわぁぁぁ!!」
私は
夜光の言葉に耳を傾けることなく、包丁を振り下ろした。
「やめろぉぉぉ!!」
そう叫びながら、金河さんが私と夜光の間に飛び込んできた。
グサッ!!
「ぐっ!・・・」
貫いたのは・・・金河さんの左腕だった。
彼はとっさに腕を突き出し、あと数センチで夜光の心臓に突き刺さるギリギリの所で左腕を盾に彼の命を救った。
その腕からは血がポタポタと落ち、間一髪助かった夜光の顔からは、生気が失われていた。
「殺しちゃダメだ・・・殺しちゃ・・・」
腕の痛みを堪えながら、金河さんは私に念仏でも唱えるように、私に殺人をやめるように促した。
夜光への情か私への情かは知らないが、今の私にはそんな言葉は届かない。
「邪魔しないで!!」
私は金河さんの腕から包丁を引き抜き、彼を突き飛ばした。
夜光との乱闘や腕の傷のダメージからか、金河さんは簡単に倒れてしまった。
「夜光! 逃げろ!!」
金河さんの言葉でハッと我に返って夜光は、その場から逃げ出そうとした。
でも背中の傷で立ちあがることができず、這いつくばって移動するのがやっとみたい。
私は数歩歩いただけで、追い抜くことができた。
「ゆっ夕華・・・お・・・俺が悪かった・・・謝るから・・・いっ命だけは・・・」
この期に及んで、命ほしさになんの気持ちもこもっていない謝罪をペラペラと吐き出してくる。
でもそれがかえって私の心を奮い立たせてしまった。
今の夜光にあるのは恐怖心だけで、私に対する気持ちなんてないのは目に見えている。
そんなことを考える余裕がないからかもしれないけど、それはお互い様。
「うるさい・・・うるさぁぁぁい!!」
私は包丁を握りしめ、確実に殺せるように夜光の心臓目掛けて振り下ろした。
愛していた分、憎しみも強いってどこかで聞いたけど、ここまで人を狂わせるとは思わなかった。
「ひぃ!!」
だが間一髪のところで夜光は体をひねって私の一撃を避けた。
「あぁぁぁ!!」
夜光は最後の力を振り絞って私の腕を掴み、包丁を奪おうとしてきた。
私は必死に抵抗しながら、夜光にトドメを刺そうと試みる。
グサッ!!
そんな命のやり取りの中、私の胸に炎で焼かれたような激痛が走った。
「え?・・・」
目を下に落とすと、私の胸に包丁が突き刺さっていた。
胸からは血がじわじわと滲み出し、服を真っ赤に染め上げる。
目の前の夜光も何が起きたのかわからず、茫然としていた。
「ごふっ!」
私は口から大量の血を吐き出し、その場で倒れた。
「夕華?・・・」
夜光が何か言ってるみたいだけど、よく聞こえない。
視界もぼやけ、胸の痛みも徐々に感じなくなってきた。
きっと私・・・もうすぐ死ぬんだ・・・。
夜光を殺そうとした罰が当たったのかな?
もしそうなら、どうすればよかったの?
何もわからない・・・。
でも、せめて一言くらい何か言ってやりたい。
「う・・・き・・・」
私は最後の力を振り絞り、唇を小さく動かし、言葉を紡ぐ。
「う・・・そ・・・つ・・・き・・・」
それが私の最期の言葉・・・。
もっと人を蔑む言葉なんていくらでもあったのに・・・こんな言葉しか出てこなかった・・・。
あんなに憎くてしかたなかったのに・・・きっとどこかでまだ、夜光を愛する気持ちが残っていたのかもしれない・・・。
つくづくバカだな・・・私・・・。
視界も真っ暗になっちゃった・・・・。
・・・でも、本当に愛していたんだよ? お兄ちゃん。
それだけは・・・信じてほしかったな・・・。
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